ピップエレキバンの磁力と身体反応  身体

体に影響を及ぼすもろもろのこと、こういう漠然としたことを日常的に考え始めると、脳のある種、別のところが働くような気がする。いや、脳ではない、いやいや脳かもしれないが別の言い方がいいかも知れない。体自体が持ち、脳からちょっと独立した感性…。勘…。

 この前の2,3日、仕事中に異常な睡魔が襲ってきてとても難儀したがこれは恐らくその前の日に左肩にいついた五十肩の痛みに対してピップエレキバンを張った反応だったと思われる。わかるのである、磁気によるけだるさ感覚が。ピップエレキバンはこの点で実はとても喝目してきた。が、科学的な紹介というのはこの辺になると自明なのか怪しげなのか、ちょっと微妙になる。恐らくわかりきったことに入るのだろうか。人間の感性が主として磁気のようなこの波動によってコントロールされているとすれば、ピップの身体への介入は計り知れないかもしれない。

 わたしの発見は、驚くべきことに「居眠り運転」だった。生まれてはじめてのそれ。ガーンである。かねてより、超ヘビーな山登りの後の運転でヘトヘトな時でも、そして山の帰りの温泉でくつろいだ後のものすごく眠い運転の時でも、覚醒と睡眠のコントロールは出来ていた。しかしある日、突如、運転中にセンターラインを超えてはっと目を覚ましたのだ。この間、0.5秒。この0.5秒は恐るべき魔の時間だった。今まであり得なかった居眠りのキッカケはピップだったと断言したい。

 肩こりと腰痛とに耐え切れず、そのときはピップを数箇所に張ったのだった。そしてなんとなくけだるいなあ、という感覚を楽しんでいた。白老の川で小さなヤマメと遊びに行く途中だった。国道を走っていたときも異常に眠いと感じ、途中で午睡を取ろうかと思うほどだったが、町道に入ってからはっと気づくとセンターラインを超えて向こう側に入っていた。

 要はピップは、そこから発せられる磁気が実際に体をリラックスさせるのだ。久しぶりだとは知りつつ、どこか人工的な『いじり方』というのがピップにはつきまとう。少なくともわたしはあの磁力にトロトロと体中の緊張が解けるようなのである。「磁力で人工的に体をいじる」。これはまさに現代の医療なのだが、居眠り以後、わたしは警戒を始めた。が、忘れたようにたまに手を出す。恐るべし。
2

バーストする  

私たちの日常は日々移ろいながらただ流れていくが、しばしば何かを確実に積み重ねていくようだ。善悪いずれももちろん含み、単なる仕事や知識の蓄積であることもあるし、とりあえず何ら関係性をもたないバラバラのパーツであることもある。少なくともそう思っている。
 そんなバラバラに見えた関わりのパーツが突如バーストするように突然つながり始めて形を見せ始めることがある。ばら撒いたシーズが実る、などと柔らかくいう人もいる。わたしはある条件が満たされてひょんなキッカケから生命が生まれるような、そんなイメージをもっている。そのバーストというのが、実は昨年あたりから時折出てくるようになった。悪い面ではなくいい面ばかり、ハッピーなことだけである。
 例えば、全然関係のない人間関係がある日、ある共通項を持っていることがわかり新しい付き合いが始まったり。ささやかな勉強が大きなテーマに育ったりする。こういう時は数日胸がふくらむ思いが持続する。そして自分はなんと恵まれているのだろうと素直に神々や周辺に感謝する。
 そしてなぜだろうと考える。バーストして生まれるのは、社会的にたいして意味のあるものでもない些細なことだから、きっと欲のない結果なのではないかと思う。なるようにしかならない、だから流れに任せ、とらわれることがない。人生についておおむねいつも肯定的である点などを別の角度から見ると、きわめていい加減な人生だと言えなくもない。木を切ったり草を刈ったりすることに満足できるのだから、使命感など皆無。ああ、こんなことでいいのか。目標が低すぎるのではないか?でも、きっとこれでいいのである。

 さて話は変わって、昨日の午前はアオダモに関する2回目の検討会に呼ばれた。苫東のフィールドに関することだったのでアオダモ造林地のこと、山の人がアオダモを薪に重宝してきたこと、苫東のコナラの雑木林は「こころ」に優しく、育林コンペなどはまず美しい林を創る先駆けだったこと、森林療法の第一人者らが早期に苫東のフィールドを訪れ、ここの立地条件に注目してきたこと、それらはログハウスの周辺でフットパス作りへと続いていること、そんなストーリーの一部もかいつまんで話した。
 考えてみると、あの林の故事来歴、意味などをかなり自己PRと重ねてしたことになる。ひょっとしたら土地所有者もそんな捕らえ方をしていないかも知れないから、近年わたしは自分のことを「物好きな風土のインタープリター」なんだと思うことがあるのだ。土地の所有とは、たまさかの仮の姿でありあくまで地域(人と土地)のものであろうと心の中では感じるようになったから、土地の氏神様、あるいは地霊(ゲニウス・ロキ)にわたしはチョッとだけ頼まれているような気がするのである。こう書くといよいよ危ない感じになってくる。ざわ(笑い)。
 夜は北大であるお別れの会に参加した。環境を考える場でもあったが、いろいろなタネも拾った。こういう一日に拾うシーズが背中のザックの中に無造作に投げ込まれながら突如静かにバーストすることになるのだろう。バースト…。バーストとは生きる意味にとても近い。
0

子供の引越しにて  家族

長男ががこの春就職することになって今日札幌市内で引越し、そして昨日はそのもろもろの手続きと段取り。このたび初めて、不動産屋との交渉をすべて自分でやらせ、ほったらかしにした。車選びも好きなようにさせた。家内は、無責任すぎるんじゃないの?と懐疑的だったが、ともかくそうした。
 結果は家内の心配したとおり散々だった。一体、俺たちはどういう教育としつけをしてきたのか、昨夜、家内と二人だけの家族会議はため息が出た。でも、小泉首相とは反対に息子はしっかりとわたしの出番、すなわち絵に描いたような尻拭いを2,3させてくれた。考えてみると、すべて初体験だったろうと思う。厳しくもありたいし、支えてもあげたい。
 親心はかくも試される。これもわたしたちの修行かな、とわたし。悩める季節。
0

アオダモとの付き合い  林とこころ

今日の午前は、北大農学部での同期の矢島教授がアオダモ造林の生育調査の下見でやってきたので、長老と二人で案内した。教授は海から1kmにありじめじめしたこの地のアオダモが、予想以上の生育を見せている理由が見つからないと不思議がっていた。それほど元気がいいのだ。
 一方、わたしの興味はアオダモの薪としての特異性。山の先輩・松田橿教授によれば北大山岳部はアオダモが薪に適していることはつとに知っていて重宝していたという。わたしたちWV部では少なくともわたしは知らずに来た。林学科のわたしが知らなかったから、他のメンバーももちろん不案内だったと思う。松田教授が「やはり山岳部はインテリジェンスがあった」と冗談交じりに語ったというエピソードを残念ながら悔しさを多少味わいつつ矢島教授に聞いた。この悔しさはいい感じ、むしろ快感ですらある。
 松田教授のほかにも、最近、何人かの山仕事に詳しい人たちにアオダモの話を聞いていると、アオダモは生木でもマッチ一本で点くとか、山の調査ではアオダモのそばで昼飯を取ったことを知った。やはりアオダモが良く燃える薪としてすぐ使える特異性を知ってのことだ。

 そこで今日は、株立ちの細い1本を小さく切って実験してみた。@よく燃えるか、Aマッチ1本で火が点くか、B水につけると水が青くなるか、を調べるのである。Aは、生木の樹皮を剥いでマッチで火を点けてみると、ボーと燃え縁がオキ状態になった。量がまとまってシラカバの樹皮(がんぴ)や新聞紙があれば一発であり、恐らくこれならなくても可能だろうと思われた。@は長老がストーブでやってみたらいい塩梅だったという。Bは確かに1時間もたたないうちに色が着いて来た。いずれも経験による知だ。おお、すごい、と山人とアオダモに感動した。昔、山仕事をしたことのある60台後半、70台はたいてい知っていたのだ。恐れ入る。

 ちなみに今週、来週は林道の水溜りがすごくて車は進入が難しいと長老の話。で、またもや断念。出張明けのなまった体はさてどうするか?         
0

土地のエネルギー、長谷村にて  土地の魂

月曜から信州、北陸、近畿を駆け足でめぐった。その手始めに長野長谷村を訪問した。観光の町おこしの原型ともいえる取り組みが長谷村にあると考えたのが発端だ。長谷村には中央構造線が走っており、そこの分杭(ぶんぐい)峠に、きわめて強烈な気場がみつかった。昨今、がんなどの末期症状に悩む人から健康志願の人まで、ごった返すようなヒーリングスポットとなり、村では癒しの施設も作っている。気場という資源をどうとらえ、どう活用してどんなインフラをしているのか、それと背景にここ数年関心を持ってきた。

役場のNさんが案内してくれた現場は50cmの深い雪の中だった。急斜面のそこは地すべりもおきやすい沢の中で、雪の踏みあとも大変危なかった。で、結論、わたしはあまり感じなかった。世話役でもあったので集中する間もなく、せわしなかったせいもある。ただ、入野屋という生涯学習センターにあったケヤキの大木のオブジェに人目を忍んで寝てみるとこれがリラックスを誘った。数回、試してみたが呼吸がどんどん深くなった。これにはすっかり驚いてしまった。また、松本のホテルの朝も気持ちのよい冥想が出来た。

どうも、土地をどう使っているかは、風土の神さまのこころ=土地の魂みたいな物と無関係ではありえないのではないか。このような、気場や、気持ちのよいイヤシロチや風水の考えは、どこかでつながっていて私たちの日常を支配しているのではないかと思うようになった。科学的な積み上げや現象は、そのうえにおこるのではないか。つまり、非科学ともいえる土地の意思を無視したところにはそれなりの結果が待っているということ。

長谷村の気場はゼロ磁場だとされるが、その科学的根拠は浅学にしてまだ飲み込めなかった。しかし、感じる人は感じる。それは気によるリラクゼーションではないかと思う。ここのように具体的なスポットがそれをする場合と、田園の風景や位置関係がそうする場合とがある。大木もそれに近い働きもあるだろう。そのうち、頭を整理しよう。
0

青年寄宿舎のこと 1  青年寄宿舎

わたしが30年以上前、6年の学生生活のうち4年を送った青年寄宿舎が107年の歴史を閉じる。寄宿舎を巣立った舎生は約950人。昨日、財団の最後の理事会があり正式に閉じる事務段階に入った。青年寄宿舎は植物学者の宮部金吾先生が設立した禁酒禁煙の寮で、対象は北大生、場所は植物園の北5条通りの伊藤邸のとなりにある。昨今、入舎する学生が2,3人しかおらず、基本財産をくずしながらの運営が続き、もはや存続不能、初期の目的は達した、と判断したのである。閉舎を決める前から財団の評議員として呼ばれ、ご高齢ながらてきぱきと運営する諸先輩のなかでささやかな手伝いをしてきたのであった。

 昭和45年、入学はしたものの仕送りのないわたしは安い宿泊先を探していたが、郷里関係の寮やキリスト教関係の寮をことごとく断られ途方にくれていたとき、ひょんなことから見つかったのが、この寄宿舎だった。すすけた簡素な板壁の寄宿舎は、大学のほかどこからも一切補助金などない、完全な自治寮だった。賄いのおばさんの給与は勿論、国への借地料、電気光熱費、冬の暖房用石炭の代金などすべてを学生だけで切り盛りした。2人で住む8畳の部屋は、板壁の間から外がみえ、暖房費節約のため冬はこの8畳に4人で居室とし、もうひとつの8畳は火の気の全くない寝室として使った。本当に寒かった。

 当時わたしの奨学金は8000円、舎費は朝晩の2食ついて4500円ほどだったから、残は3500円のみ、したがってアルバイトは欠かせなかった。わたしのように貧しい学生がほかにもいたから励みにもなったし、なにより寄り添うようにしながら多感なあのころを生きたことには、今、連帯感のようなものも覚える。当時のことだから、学生運動に熱心な人からバイトばかりの人、麻雀に狂う人、そして勉強一途な人、実にさまざまな人間模様だった。わたしは当時ワンダーフォーゲル部におり山ばかり登っていた。

 その中に大人びたり、青臭かったりと縦横の色合いがつくから、実に面白かった。これらは太田実くんというアマチュア小説家が同人誌「上州文学」などに着々と投稿してしてすでに活字になっている。彼の交流した人物が実名で出てくるから顰蹙も買っているようだが、個人的には舎生の記録として意味があると思うようになった。そのうちのひとつ、当時山野を跋渉していたわたしを主人公にした小説が、三好京三氏などが審査員をつとめていた北海道東北文学賞で何年か前に次席となったという驚きのニュースもあった。「この手の作品は世の中を明るくする」と三好氏が評したと聞いた。学年が2年ほど下だった彼を、近郊の沢登りから、大雪山の沢、そして日高の沢まで連れて行く過程の最後の沢登りを、地元のひととの付き合いを絡めて描いたものだった。わたしは彼にとっての、小さなデルス・ウザーラのように仕立てられていた。

 青年寄宿舎のことは、また日を改めて書くことにする。
0

手塚治虫のブッダ  林とこころ

朝の通勤列車のなかで、手塚治虫の「ブッダ」12巻目を読了。この年齢で人前で漫画を読むと言うことに抵抗がないわけでもないが、ところかまわず最後まで読み進んだ。30年以上前になるだろうが、ブッダの映画(恐らくインド産)を見たことをおぼろげに思い出す。手塚治虫ワールドはそれともまた違った世界をイメージさせた。イメージ描写に用いた原点などは一体何なのか浅学にして知らないが、ブッダが息づき修行し悟りを開いた林というものに少なからず関心を持つ私としては、自然描写はそれなりに目をこらして読んだつもりだ。

手塚ワールドの風景は、まばらな樹木に草原の混じる広い空間、そして砦風のお城、岩山、それと広い湿原が印象に残った。熟年・高齢者向き雑誌「サライ」がブッダの故郷として北インドを特集した時にみた写真は、斜面と平地がはっきりしていて平地はすでに耕地に変わっていて、この辺が樹林地だったと想像すればいいのかな、という感じだった。かつて北インドやネパールでみた風景と相似である。

手塚ブッダは伝記体により生き様と背景をドラマチックに描いてさすがに飽きさせない。横山光輝の「三国志」と同じような息の長い勢いがある。それにしても宮崎駿も手塚もスピリチャルでシュールな世界を好んで描く。自在な表現技法がめざす究極というのは、こういった世界になるのだろうか。

手塚の世界にひたりつつ、わたしのもうひとつの頭は、苦行林などにおける修行を現代に置き直したらどうなるのだろうか、というありきたりなことを考えていた。多様な欲と獲得した便利さ、ストレスなどもろもろに包まれた日常のどのステージで、日常的な修行をするのがいいのか。生活そのものが修行だ、だから生活ヨガなどというジャンルも確かにある。なんとなく、現代こそ修行の意識をもてばもう少し楽に生きていけると感じてきたためか、読み終わってからもそこだけ浮かび上がって未消化のままである。</span></span>
0

風邪が教えてくれること  身体

長い風邪だった。でも結論をいうと、身体の自然に耳を傾けるエクセサイズのような日々だった。自らの身体の声を聞くとは、海や林、生きものとのつながりを、まさに自然に感じ取ることだ。

2週間以上の長〜い風邪状態だったからこそ、野口晴哉のいう「風邪は治すのではなく通り過ぎる、経過するもの」という言葉を、この歳で初めて実感することができたのかも知れない。風邪そのものが治療行為なんだという逆説を、本当にそうなんだなあ、とうすらぼんやり考えている頃、2005年冬の風邪はわたしを通り過ぎていた。
0

ブログ開設によせて  

とうとうブログを始める。当然の成り行きのような、息切れするのを恐れるような、そんな気分で初日を開始した。タイトルはある日の掲示板に記した下の言葉を思い出したから。

すなわち
《後ろから支えられて前方を眺める、高みから眺めること、そのものが人を落ち着かせ安心させ、木々に囲まれたへこみは精神の避難所=アジールである、…などの言葉を追っているうち、わが「まほろば」はアジールであったのだと気づく…。》

林とこころ、林と人の本当の付き合いを探していくわたしの関心において、まほろば的な場の意味はとても大きい。いずれ変えるかもしれないタイトルではあるけれど、まずこの言葉で動機を明確にしようと考えたわけ。

淡々とした小さな船出。先達、同胞たちの巧みな修辞に見習いつつ着実な文章作りをレッスンしてみたいというのももうひとつの動機でした。でした、などとここで文体を混合する遊びも吉本ばなななどをみつつ感嘆してえることとなったある種の収穫。しなやかに行って見る…。こんな感じで行ってみよう!
0




AutoPage最新お知らせ