帯広の森を歩く  林とこころ

快適なまちに緑は不可欠で、それも身近なところになければほとんど意味がない。農業とともにあり、田園風景が美しく成熟していれば申し分がない。そういうところに生業を持ちたい‥。これは日本人でなくても思っている心の奥底に眠っている願望ではないだろうか。

土地の切り盛りに不快感を覚えるようになってから、列島改造という言葉も罪深いものだという思いを強くします。大木と言うのも、実は改造されていないと言うシンボルでもあった。だから大木のない薄っぺらな土地と言うのは、快適さとは離れているはず。

話は急転回して(笑)、その点、美瑛や帯広周辺のなるい、あるいは平坦地は大地をそのまま使っている安堵感が漂います。

先週後半、家内とその帯広ツアー。あちこち巡って往復710km。家内ははじめてみる田園景観に感動。(実は初めてでないのに‥)帯広の森のフットパスもほぼ全部歩いてみました。帯広特有の、新しい身近な緑。開拓された農地を行政が買ってそれを市民の林として作ってきたもので、首長が変わったのにめげないでここまで来たのは偉いことだとわたしには思える。ちょっと、民度のような面もある。

身近なみどり、緑のある暮らし。短い夏休み第1弾。(写真は帯広の森のフットパス)
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腰の苦労について  身体

腰は体の中心である。かつ、働き者。上半身の重みを受け持ちながら前後左右に移動する運動のツナギをいつも担当している。「担当」という言葉を使うと、つい「ご苦労さん」と言いたくなる。そんな担当者、「腰」。生命力の中心とされる「丹田」も腰にある。

股関節にちょっと異様さを覚えてからますます腰に注目している。いつも疲れており、ねじっても曲げてもイタ気持ちよい感覚が残る。歩くと最初左足が痺れる。この頃はプラットフォームなどでも腰を回したり、足を前後にふったり。寝る前にスクアットをしたりする。どうも、もっと腰を動かせと、体が言っているように思って土曜日は散歩の時に軽くジョギングした。これは調子がいい。ということは運動不足だろうか。運動不足で左股関節あたりの血行が悪いのか。電気風呂でここをさらすと、痛みはしって気持ちよく、翌朝随分腰が軽い。こうして腰と対話していると時間を忘れるのである。

パソコンの前で原稿など書いて固まるとその後どっと不調になるから、やはり固まらないで動くのが賢明か。体との対話、この永遠のテーマ。

(空港から雑木林のフィールドに向かう途中の、夏の畑、いいなあ=写真)

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無心で草を刈る  林とこころ

雑木林の小屋の周りとを林を巡るフットパスは今年は草が良く伸びます。
6月に入ってからは毎週、ブッシュカッターを使って、作業小屋の周りとか小屋へのアプローチの林道とか駐車場とか、せっせせっせとただ刈り込む日々。もちろん、癒しのフットパスはメインだからこっちも手を抜けない。昨日9日はフットパスの全線を2時間近くかけて刈ってから、薪片付け。小さな小屋でも周辺を身ぎれいにしておくには雑用が一杯あるもんです。

この草を刈る単純労働、はためには重たく暑く辛い仕事に見えるけれど、どっこい止まらなくなるちょっと深い世界。草木を刈り込むのだから悦楽という表現は不遜だけども、作業はほとんど無心で外は大きな騒音でも心はいたって平静である。無心で集中する点ではほぼ行動的冥想と言えるでしょう。

目に入ってくるミヤコササ、ツタウルシ、フタリシズカ、フッキソウ、チョウセンゴミシなどを一応「安全で」「刈るべき」と識別はしながら、左右にカッターを振ってやはりそのほかは何もなし。コウライテンナンショウとかラン、束になったフタリシズカなどが目に入った瞬間、キキーッとブレーキがかかることがあるが、道の幅は必要だと決めているから「なむさん」ということになります。手入れといわれる所以。日々の作業というのはその辺の感性をマヒさせた方がいいのかもしれないのですが、週1のわたしは、わざわざ思い起こすのを日課にする。「わたしは今、草木を刈っている」…。クリックすると元のサイズで表示します
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イワナ、その殺生に  林とこころ

釣友のお誘いを受けて、白老の川へ久々にプチ・フライフィッシングにでました。とてもきれいな川です。そこで、大きな岩の下に潜んでいた約1尺のイワナがヒットしました。

イワナはわたしのフライを喉の奥までしっかりくわえ込んでしまい、ハりをはずすうちに息絶え絶えになってしまいました。釣友はもうリリースしても回復しないと断言し、やむなく夕食のご馳走としていただくことにしました。その場でさばいてくれた釣友に進呈です。

もうここのところずっと、自分達のおなかを満たすために直接殺生することはしなくなっていたから、とても衝撃でした。尺のイワナこそ川に戻って欲しかったのに。わたしの未熟!と反省しきり。無用な殺生はしないこと(アヒムサ)を日々心がけてきただけに‥。

1時間半の釣行のあと待っていたのは、庭の草取り、耕し、隣に侵食した枝の片付け。特に土を反転して草をとっていると、何匹もの太いミミズと出会う。彼らを殺生することのないようにと祈りつつ耕し地面深く入り込んだ雑草の根ごと抜く。枝もとって片付ける‥。

ああ、生活のいたるところに起きてしまう殺生。食べられる側へ思いも馳せずに気づかずにいる毎日の食。小さなヤマメには感じないでしまった罪悪感を、手ごたえのしっかりとした、わたしと渡り合ったイワナに感じてはっとするのでした。

今日は、静かに祈るべし。
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