人に揉まれ、人格を磨く、の巻(青年寄宿舎日誌E)  青年寄宿舎

大掃除や舎生会議の協働作業にいつも欠席するひとは、わたしのころも
よくいた。下記5月29日のS氏はそれを嘆いている。口吻はそっくりだ。
しかし、こうやって、人の中で生きること、常識というモノを学んだような
気がする。自己中心主義を少しずつ和らげていくのだろうか…。

だから、逆に、これがなければ寄宿生活の意味はがくんと薄まってしまう。

樽商戦は恒例行事だった。でもこうやって書き始めたらキリがない。
気づいた感想はコメント欄へどうぞ。

(注:昭和16年のこの日誌は、OBの大川健二氏の判読・書き起こし作業に
よるモノですので申し添えます。)

                     (2007/05/31 take/草苅)


**********************
二十九日 木曜日     S生

 舎生の少なくなるのも淋しく悲しい。
○○○(注:判読不能)

當番ならざるも、一言呈す。コートのアルバイトに関し舎生各自が楽むべきにもかヽはらず、喜んで働かぬ者があることは、殘念だ。自分が舎に殘って居るのに働く気なくして加えも、やり方が気に喰ふの喰はぬのと、利己主義をふりまいたといふM.M.の如きは実に根性がひねくれて居る。又、アルバイトをやると言ふと遊びに逃出す如き者が在ればこれも殘念な輩だ。働く事に楽しさを見出せない者は気のどくでもある。私は運動部の一人として以上を書き、個人としてM.M.がコートにその悪体を見せないことを切望す。T

三十日 雨後曇り

今日は遠足があるはづであったが大雨の為に見合はす。昨日はアルバイトがあった様だが誠におはづかしい次第であった。後悔してゐる私が苦しい立場にあることは御了解下さい。六月にはいってからは人一倍張切るともりでゐます。T君の意見も誠に当然である。君の御奮闘は充分に認める。中心となって行はれんことを希望してゐます。
今日、「牧笛」(注:寄宿舎の文芸誌)が廻って来たが、未だ讀んでない。最後を丁度、のぞいて見ただけです。舎の方々が、如何にも熱心に舎に対する関心を披瀝されてゐるのを見て、唯それだけでもう、嬉しく思ひます。
札幌も梅雨期の様で厭です。早くカラとしてくれないかしら。○○○○○の不安、それが今の気候である。

舎には色々と生活の異る人がゐる。故にアルバイトの如き、誰もがいつも出来るとは限らない。ただ出来るだけ自のひまを生かして、出来るだけのことをして頂けばよいと思ふ。我々が他人を批判出来るほどのアルバイトをすることは、だれにだってむづかしい事だと思ふ。できるだけ、仲よく、やりませう。無理をせぬ程度に。

三十一日晴 土曜日

先づ自分の病気のために皆様に色々と御迷惑をかけたことをおはびします。まだ依然としてふらふらするので舎の用も出来なくて申譯ありません。
今日久振りに富貴堂あたりまで出掛けて行った。T沢さん達に会った。舎に戻るとアルバイトをしてゐた。少しばかり手傳った。
半日のアルバイトは大変うまく行ったらしい。二三日よい天気が續くとよいであらう。

六月一日(日)晴

久しぶりによく晴れた。今日は春の高商戰の行われる日である。僕は、投手のI見は浪人時代から親しかった友であり、捕手のT倉はクラスメートなのでわざわざ小樽まで應援に行く氣がおこった。そして少しでも學生時代の思ひ出を豊富にするために、健さんの言をかりれば、エントロピーの多い生活を送るためにもと思って十一時の準急で出掛けた。舎からはこの他、K本、兼H、K林(H)君が一緒に行った。

南小樽駅から街頭更新を起し十二時半花園グランド着。一年、二年が多くて三年は總務幹事の外は全然と言っていヽ位来てゐなかった。應援團が解消になり、ストームが禁止され、野次が禁じられると表面は随分眞面目になった様に見える。しかしその反面、應援に対する熱の失われるのは事実である。高商戰があるのかないのか関係しない様な予科生も昔よりずっと、多くなった様だ。それだけ情熱がうすくなってゐる。それだけ個人主義になってゐる。それだけ意氣がなくなってゐるのだ。

社會状勢の変遷によって応援の新体制もよからう。しかしその結果、物事に対する情熱と青年の若さとが失はれて行くのは殘念である。花園グランドのコンディションは甚だ悪く、しばしばイレギュラーバンドがおこった。戰前の練習は高商よりはるかに予科の方が勝ってをり、殊にショートあたりは実に完璧の様に見えた。そして予科の一寸した失策に対する高商の野次を我々は涙をのんで我慢しなければならなかった。予科生のこの急変を今まで高商戰を見た事のある人はさぞかし驚いた事だらう。実に試合を通じて一言も野次が飛ばず、味方の選手の激勵と稱讃の他は何も口に出す事を許されなかった。我々にとっては淋しい、物足りない事だったが、それによって少しも應援の熱には変わりなかった点からみるとやはり非常な進歩であると思ふ。
    1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
予 1 1 2 4
高 1 1 1 3

試合は予科先攻で一番打者の中前安打に始まり、四球、安打と續出して先づ一点の先取得点をあげれば高商も予科のエラーによって一点を加へ、つヾく予科も二壘打を放って又も一点。三回表予科チャンスを迎へて二点を加えへて四対一と引き放って、も早勝敗決したかの如く見えた。

しかし、しばしば、おそはれた予科のピンチは皆エラーによるもので、戰前の練習の時に比べると、かくも精神が、かたくなってしまふものかと意外に思った位だった。今見の健投に対して誠に氣の毒である。五回裏高商一点、その後チャンスあらはれず。八回裏、安打とエラーで又も得点され、あはや同点にならんとする所で辛うじて喰ひ止め得たのは誠に幸ひであった。そして息づまる九回を迎へて、予科よく高商を抑へてつひに勝利の凱歌は予科に上ったのだった。

それにつけてもI見はよくやってくれた。この日の彼の出来は四球を一つもあたへなかった事によっても分るだらう。投手としての責任感、彼を知ってゐる僕から見た彼の悲壮な氣持は、実によく表情から知る事が出来た。予科の運命を腕一つにかけた投手、そしてピンチにおひ込まれた時の彼の胸中如何ばかりであったらう。

最後にフライをとってゲームセットとなった瞬間、何處からともなく急にU野さんがあらはれてグランドに入る事を制止したのは折角の感激がうすらいで実に感じが悪かった。我々は一度注意されれば分るのに。以前なら全員おどり出して選手と共に泣き、選手を中心にして大ストームを行って若き日の感激に酔ったのに、誠に殘念である。かうしてこそ本當に人格がみがかれるのだ、僕はおし切って今見の手をとって涙と共に感謝した。若人の涙と涙、之程美しいものが世の中にあるだらうか。應援に来た数百の予科生の中、涙を流した者が果して何人あったらうか。若人の涙、それこそ高商戰の神髄ではないか。

再び、優勝歌、寮歌を高唱して街頭行進、札幌駅から更にクラーク博士の前まで来て始めて大ストームが敢行されたのだった。
それにつけても高商は市民から絶大の応援をうけてゐるのは頼母しい。札幌市民はどうしてもっと予科を応援しないのだらう。

顧みればずい分変ったものだ。僅か一年半の間のこの急変は、余りにも驚異的なものだった。着物のある人は必ず着物を着て行く事、靴は絶対はいて行かぬ事ときめたのは、つひ一年前の話である。そして出来うる限りの野次を奨勵してとばし、ネオンの狸小路で堕眠を貪る市民を尻目に大ストームを敢行したのはつひ少し前の事だったのだ。
この最極端を僅か三年の予科生活で経験し得たのはある意味では実に幸福であった。実に特筆大書すべき予科生活だった。

予科生は非常におとなしくなった。そして現在の社會からみれば眞面目になった。しかしその反面、若さがなくなった。意氣がなくなった。そして情熱がうすらいだ事は事実である。何れをとるべきか、それは輕々しくは論ぜられない。しかしこういふ高商戰の様な時を、我々の若さと意氣と情熱とを思ふ存分に発揮し得る機会としてもらひたいものである。
(S)
クリックすると元のサイズで表示します
上の写真は北大の中央ローン。キャンパス内の一風変わったオアシス。
本文とは、全く関係ありません。


******************

感想を書き足したいのですが、これは明日でもコメントへ書き直します。
0

65年前の今日の札幌で  青年寄宿舎

昭和16年5月の寄宿舎の日誌から

*****************
二十三日(金)
O君退院さる。舎生として、一人の人が増したことは嬉しいことである。夜コンパ、特別室にある。曇天にて、異郷の身の財布も少々氣持が悪いらしい。
昨夜の決算で、一人三〇円余。石炭、薪炭代として七円あるから止むを得まい。食費は余り高くない所から食事部の人には感謝する。自轉車の使用にも電話と同様三銭頂戴さるべく、Yさんが申し出ず。
T君「牧笛」のことで文藝部を招集する。エッセンを喰ひに行ってその熱心さに、感嘆。小生の当時の無責任が恥ずかしい。結局、小生の「ずぼら」の致す所か。
H君が今日コンパの席上で、皮膚科の検査を脱れたことを語れば副舎長のYさん始め角帽の諸君情けなき表情を示し居る。角帽になると、兎角、信用を失ひ勝になるのだろうか。さもあらばあれ・・・。○○○都、春ともなれば、夜の暗い路をさ迷い歩む二人連がれ○○○受けられて、羨ましい。  (独尊生)

二十四日(土)
天気ハアマリヨクナイガ大掃除ヲヤルモノ、二三アリ。ドウシタモノカコノ二三日割合ニ寒イ。イツマデタッテモ、アアタカイ日ガ来ナイノガ実ニイヤデアル。東京デハモウ氣ノ早イ連中は水泳ノコトヲ考ヘテヰルノニ。二十二日ニシメキッタ牧笛六十五号ハ今日製本ノ運ビニイタリマニ入ッテ、一人製本ニ努メ第一部、二部共に出来上ル。割ニ上手ニ製本出来タノデ、昔トッタ杵ヅカトハイヘ嬉シカッタ。八中の頃アノ家デキタナイ道具ト紙ノキレハシの中デ製本ノ手ツダヒシタ時ノコトガ思ヒ出サレテ懐シカッタ。
第一部、二部ニワケタ理由ハ二ツアル。自分ガ製本スルニ薄イ方ガヤリヨク永持チスルコト。廻覧スルニ都合ガイイコトデアル。又コノ前のソリノネノヤウニ、ナクナルヤウナコトガアルバアヒ、一冊ノコレバ、マズイイト思フ。
寒イ寒イ 実ニ寒イ。  TK

二十五日(日曜日)
本日は日曜で、皆朝から熱心に大掃除をしてゐたらしい。といふのは我が三号室の住人共は疊をたヽく音で熟睡の夢を破られたから。掃除しようと思って大いにハリキッタ分でもないんだが、兎に角仕度をしたら雨が降ったのでやめてしまった。今日は昨日に引續き朝から猛烈に寒い。札幌は季候が悪いと聞いてゐたが、実にその悪さも徹底してゐる。晝は岡本君のお母さんより戴いたお菓子でコンパ。晝飯を昨日の中にたべてしまった人々が多かったので大助かりであったであらう。午後別に変ったことなし。夕食後映画に出かけた人が相当多いらしい。牧笛はもう大分皆によまれてゐる様だ。 (K生)

二十六日(月曜)
本日も曇天。北海道の陰鬱な寒い気候を一面から考へれば決して陰鬱でもなく身を引込ましめる寒さでもない。
獨逸や英国や北フランスのある北欧の地方は一年中晴れることの極めて少ない約半年は全く曇天の下にある寒い地方である。日本人が考へればそれは北欧の陰鬱である。然しそこに見られる文化は偉大なものである。南欧に見られぬ偉大(・・)な(・)もの(・・)はこの陰鬱な風土と離して考へられない。北國的な性格を作り上げて行くのに北海道に住むのは意味あることである。寒さに対しては張切りの気持を持ち、曇天に対しては深いものをみつめる気持を持てばこの札幌が魂を育て上げる地ともなろう。(以下略

*******************
昔の札幌の5月も結構寒かったようだ。
寄宿舎のテニスコートを、みんなアルバイトと称して整備しているのが、あちこちに出てくる。大掃除は年一回だったような気がする。

写真の高いビル西6丁目の札幌センタービル、その奥が伊藤邸、左が植物園。
伊藤邸の向こうに寄宿舎はあった。
クリックすると元のサイズで表示します
0

プレデビュー「昭和16年の日記」  青年寄宿舎

青年寄宿舎の明治時代からの舎生日誌を判読・書き起こし作業をしている
ことはこれまでご紹介のとおりです。

で、プレデビューすることにしました。どういうことが書かれているのか、
その片鱗を、今の日付を65年ほど遡ってみるという試みをこれから
随時やっていこうと思いつきました。あくまで、プレデビューです。

初回は、Oさんが判読してくれた昭和16年(1941年)の連休から。
北大などの写真は本文と関係はありません。では、始まりはじまり…。
(注:実名は原則ふせました)

**********

五月五日 月曜日
日記帳が新しくなった。舎の歴史を語る長き連鎖の輪が又一つ増したわけである。今春卒業されて行かれた人々が一つの環を作られ、その後を引き継いで僕等が又一つの環を作らうとしてゐる。世の中は新体制も愈々軌道に乗り出したやうだし、食料問題その他の総ての点に於て、もはや吾々は、親の膝を噛って、微分や積分を解き、イカレ話に浮かれては居られぬやうになった。吾々舎生も古き衣からスッカリ抜け出して此の日記と共に、全く新しい第一歩を謟み出さねばならぬ。 (Y)
諸君よ、今年は、此の誌上で大いに舎生活に関する腹蔵なき意見を吐露されんことを!!

五月六日 火曜日
僕は自分の日記すらもろくに書いたことがない。まして舎の日誌などという威(イ)かめしいものは一寸氣が引けるが、これも一種の義務だから書いて見る。文章は到って幼稚ですから断って置く。
扨て今日は朝から快晴。學校では櫻星報国會の新入生歡迎會を擧行。中島公園に予科生全員集合し眞駒内へ行き會を開く。大分彌次が飛んだが幹事達が指揮し教師達に面倒をかけず自治で行ったことは非常に嬉しく思った。途中さぼった者もあったやうだが大体三時頃歸舎。舎には別に変ったことなし。舎の窓からお隣の植物園の木々が緑色を帯び始めたのを見るのもまだ物足りない氣がする。もう一二週間すれば梢にも若葉が出揃ふでせう。(K・H)

五月七日(水曜日)
昨日、明日と休みが續く中間の日は心がだらける。緑の芝生に横になってゐる青年学生がいかにものびのびと見えて嬉しい。晩は舎内、東西対抗のピンポンの試合。小生は、出席しなかったが、西側が優勝した。個人ではM.H.O、君の三名が一、二、三番を獲得した。
文武會の休日を利用して、H君がT、S藤両君を引きつれて函館のUeimatへ案内かねがね帰って行った。金と時間の余裕のある人が羨ましい。
正に嫉妬心を感ずる。函館の家の布団の温みは、彼等に、舎にて結ぶ夢より美しい夢を結ばせるであらう。朝日さす窓辺にて、記す。 (M生)

**************

むむむ、なんか、面白い。なぜか、わからない。
(画像はJRタワーから観た北大。
クリックすると元のサイズで表示します
0

判読、転写は写経に似ていないか  青年寄宿舎

表題のような気分がこの頃するのです。

寄宿舎の古い先輩たちが20前後の頃の日記を、わたしのような55歳前後から
80歳ほどまでなる中高年の、それも後期高齢者の多いスタッフが、丁寧に
書き起こしているのだけど、そんな年齢の不ぞろいを通り越しています。

古い人の息遣いをたどる、というそのことが、そうですね、どこか、
スピリチャルなのかもしれません。

スピリチャルというのは、普通、自分の先祖とのつながりであるのに、
この感覚は何だろう。

今日からあらたに昭和16年4月からの日記を書きお越しはじめました。
合計350pを群馬の大川、太田両氏、及びわたしと成田君とで分担。

今日の分には、こんなくだりがありました。出征のあったころ…

***************(昭和十四年@札幌の話です)

四月十四日 小雨後曇
今日の雨で庭前の雪も大分溶け、ところどころ土が見え出した。久しぶりで土が見られて何となくなつかしい。然し道が悪いのには大変悩まされる。学期初めであるのに先生方の講義が多い。**君漸く今日帰る。「皆様只今」とか黒板に書いてある(**)

十五日(土)
午後**氏予定通り荷物をまとめて退舎なさる。
舎生大部分出征兵を見送りに行く。
本日快晴なれど吹く風いたって冷たし。

十六日(日)
新学年初めての日曜日、皆いかに此の一日を過ごすべきかに苦心して?いるやうだ。午後より、**、*根、河*、渡*、:沼の諸氏手稲にスキーに出かける。内地ではもう櫻の満開として。夜九時過ぎ**副舎長帰舎さる。三*勝君入舎コンパ行われ、簡単なる各人の自己紹介にて○○○○○雑談に入る。
新入生の予約二、三入る。一日一日と雪も溶けて行くが馬糞風が其れにつれ強く○○ちと無情だ。

0

寄宿舎日誌の判読作業(2)  青年寄宿舎

わたしのHPのurlを忘れました。m(__)m

http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/seinensya-top.htm
0

寄宿舎日誌の判読作業  青年寄宿舎

昨年、財団を閉じた北大・青年寄宿舎。閉舎の記念行事を終えて、
粛々と消え入る運命にありや、と思ったのもつかの間、明治の初めから
つづられた舎生の日誌のなかに、現代に受け継ぎたいスピリットが
こめれているという発見から、日誌の判読という奉仕作業が、昨年末から
進められていました。

5月10日はそのもちよりの会。残念ながら、進捗ははかばかしくなく、はっきり
いって難産の状態。それでも、次回8月の編集会議まで、奮闘しましょうと
誓って散会。

わたしは事実上完成不能と見られる冊号をふたつさらに受け持って、前後の
有志ともう一度チャレンジの見込み。前回奮戦してくれた大川氏に、今度は
太田、成田の2氏が加わり、400pを判読、記述します。よろしく
お願いします。

寄宿舎のページをわたしのhpにはってあります。覗いてみてください。

画像は、過日の編集会議@エル・プラザ。

クリックすると元のサイズで表示します
0




AutoPage最新お知らせ