オルガン(日誌11)  青年寄宿舎

田端先生の抜き書きシリーズ(6)


青年寄宿舎日誌 明治41年12月28日

 久しく望みて苦心惨憺、漸く「オルガン」を求む。価参拾八円、内田君、丹部君等の奔走に依り椅子(価二円二十銭)を寄附せしむ。富貴堂の奮発之れより大なるものなかるべし。
同年12月29日
 「オルガン」に関する規則を定む。
設置室    新聞縦覧室
修 繕 文芸部に属し、文芸部之れが任に当る。
借 債 舎費より参拾八円借債し、雑収入より毎月六拾銭、文芸部より毎        月壱円宛返済し、明治四十一年十二月より初まり明治四拾参年拾       壱月迄に悉く返済するものとする。
使用時間   夕食後一時間、但し、土、日曜日は一時間半とす。



【コメント(田端)】

思い出ふかいオルガンはこの記事のようにして青年寄宿舎にあったのでした。みんなで、自力で購入したのだとは思いませんでした。
 オルガンを売っていた富貴堂は、この年9月7〜8日新築開店で福引き大売り出しでした(この日誌9月7日の記事)。オルガンの椅子も開店大サービス?明治末年オルガンを売っている店がある地方都市はどのくらいあったでしょうか?札幌の「文化度」(?)の現れ?!
このころの日誌によると
1 舎 費   一人毎月1円づつ集める。様々な雑支出に当てる。
2 文芸部費 運動部費とあわせて一人毎月15〜20銭を徴集、文芸部だけだと         月10銭くらい かな?催事の時の茶菓代などのようです。
3 雑収入   新聞3紙、雑誌2誌ほどの旧号のセリ売りの売上金(旧号購入の希         望舎生が入札して買うのです)くらいか、と思われます。毎月40         〜60銭くらい、多いと1円くらいが記録されています。

満室の24人の状態は少なかったようなので、2,3をあわせて月額2.5円〜3円位の所から1.6円を返済する事になったのですが、茶菓代等もずいぶん節約した  のでしょうか。オルガン代金負担の影響がどのようだったのかについてこのあとの日 誌に見あたりません。

ちなみに毎月末の食費決算額6円余が最低で、最高は9円20銭、炭を使った部屋 は82銭(1月)、59銭(2月)の負担がありました。ストーブを使う部屋もあっ たようですが、其の燃料代について記事がありません。どうしてかな?


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草苅メモ

太田さんが担当する昭和10年代?の日誌に、石炭代が高いから4人で一部屋を
使おうという話が出てくるようです。このころは、石炭ストーブもまだなかった、
ということでしょうか?もっぱら炭ですか?炭坑はもう採掘されてますね。

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副舎長は宮部先生が指名(日誌10)  青年寄宿舎

田端先生の抜き書きシリーズ(5)


明治40年6月16日(日)

 午前八時半より寄宿舎の前の庭にて吉田副舎長送別の紀年として写真を取る。宮部先生も御出でになったのハうれしかった。写真を写した後、宮部先生は一同に向ひ、吉田君が今回札幌を去らるヽに付て、其の後任として○○○○君に副舎長になって貰ふ事にしたと云ハれた。今日は雨は降らなかったが風が吹いて道が悪いので町へ出る人ハ大困りであった。


【コメント(田端)】

 副舎長は宮部先生が指名するものだったようですね。この○○○○君の人柄をあらわしている文章が明治39年の『漫録』にありました。
 彼の署名のある文章のぬきがき

 Rooseveltノ所謂奮闘的生活ノミヲ打続ケテStruggle for Existenceノ奴トナラナケレバ今後ノ世界ニハ立ツ能ハザルベキカ・・・・・・・・・諸君如何ニ解釈サルヽヤ。

 何人デモ単ナル祷リヤ勉強デ直覚シ得ルモノデアローカ、兎ニ角scienceノ前殿ヲ通過シテ後、神ノ正殿ヘ入ルコトガ必要デアル。此ノ点ニ於イテ牧師ナドニ皆一応農学ヲ課シタキモノデアル。

 クリスト教の親玉たる基督を見よ、苟しくも堂々たる一個の男子が磔殺さるに当たりて「神よ何ぞ我を棄て給へる」など飛んでもない泣き言を云ったではないか、日本の武士は足軽でも自若として切腹した。

 敬虔なクリスチャンであった宮部先生は、こういう感じの、まじめな○○君を副舎長に指名すると言う考え方の人だったのですね。
 ルーズベルトの奮闘的、或いは戦闘的生活を説く著作が、この頃もてはやされていて青年寄宿舎でも『ルーズベルト集』を購入したという記事があります(明治40年2月5日)。卓越せる国民は戦闘的なり、戦備は平和を維持せんが為なり、戦場は好個人格の修養地、というような見出しの並ぶ勇ましい著作です。北大図書館には原書しか無かったのですが訳書は道立図書館にありました。

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草苅メモ

宮部先生がまじめな○○さんを指名されたその一事で、人としてのぬくもりが
伝わってきますね。背景がぐんとリアルになります。



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レトロな曲、届きました  青年寄宿舎

前々回の田端先生の書きお越しの最後に、

>どなたかレトロな寮歌調のメロディーをつくってくれる人いませんか。

があり、わたしが、ギタリスト&チェリストの石田さんはどうかなあ?と
書いたら、以心伝心、大川氏がつないでくれて、今日、石田さんから、
開封不可能な特殊なファイルで「楽譜?」「音」が届きました。

が、まだお目にもお耳にも掛かっていません。(笑い

これは楽しみになってきました。
ドキュとメロディーを鑑賞する会をもうけねば。

田端先生、T先生にもお知らせしましょう。

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寄宿舎のドキュメンタリー完成!!  青年寄宿舎

かねて紹介したことのある青年寄宿舎の、閉舎から日誌復刻作業を
扱ったドキュメンタリフィルムが、5月末、無事、山形ドキュメンタリー
映画祭に出品されたもようです。

先日、早々に送ってもらって拝見しました。

奥田、田端、所3先生のインタビューが歴史の縦糸として扱われ、わたしの
前後の交友を横糸にし、それも5月、偶然に見つかった一本のテープで
ストーリーを作っている偶然の作品です。長い間のブランクが、寄宿舎の
閉舎パーティで埋められ、久々の再会、日誌の書き起こし作業などで再び
交友が始まったわけですが、Tくんのフィルムはちょうどそこのところを
写し取っています。

関係者には是非お見せしたい作品です。

参加作品のタイトルは「百吟フロンティア」。作者の意図した、寮の生活と歴史、
交友に秘められた「原風景」の部分は、うまく表現できているのではかな、と思える
力作でした。

なにも誘導しないで、登場人物の動きだけでストーリーを作っていく
いわば成り行き任せの作品、ドキュ。なかなか、深みがあると思います。


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愈々栄ゆる寄宿舎の…(寄宿舎日誌 9)  青年寄宿舎

青年寄宿舎日誌 田端先生のぬきがきシリーズ 4 
(明治39年11月9日)

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 十一月九日

次第に寒くなって霜柱や氷や雪や、さては手稲嵐や、珍しくもなくなった。
明日は創立第八回之紀念会でそれぞれ忙しい様だ。余興委員諸君は熱心に趣向
をこらして居らる様だ。実際愉快に興多く明日の会をおへたいものだ。

 倉賀野君の兄君御死去の報あり。寄宿舎より悔状を出す。
 今晩、次の歌を練習す。紀念会席上にて歌唱せんが為也。

  「エルムの樹蔭にたちてより    幾星霜のそのあいだ
   理想の丘を目ざしつつ      愈々栄ゆる寄宿舎の
   齢はここに八年の        今日は祝之吉日ぞ
   祝へや、祝へ諸共に       鳥暁を告ぐるまで 」

  吉田(守一)君の尽力で一夜作りに完全に出来上がった。


【コメント(田端)】

青年寄宿舎の紀年祭歌があったのですね。『青年寄宿舎五十年史』(昭和24年)にも「明治三十八年第七回記念祭歌 吉田守一君 作詩作曲」として載っていました。『五十年史』には「昭和五年第三十三回記念祭歌 土井恒喜君 作歌選曲」
も載っています。吉田先輩、土井先輩とも副舎長をされていた方でした。昭和二年恵迪寮寮歌「蒼空高く翔らんと」も土井先輩の作歌でした。

 この日の翌日の日誌、紀念祭の記事には「昨夜の練習の唱歌を歌った、否怒鳴った。」とありました。残念ながらメロディーがわかりませんが、「齢はここに百余年」という歌詞にして「怒鳴って」みたいものだというような気分になりました。

どなたかレトロな寮歌調のメロディーをつくってくれる人いませんか。

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*田端先生のコメントへのコメント(草苅)

それはOBの石田くんあたりどうかなあ。チェリストでギタリスト。
娘さんを連れて閉舎記念に来ていたOBです。

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明治時代・夕食はカレイ(青年寄宿舎日誌G)  青年寄宿舎

田端先生書き起こしの青年寄宿舎日誌(第2弾) *コメント付き

●明治38年2月25日

 夕食はカレーの馳走ありたり。午後7時より月次会を開く。
 田村君の開会の辞あり。次に当日の弁士は次の如し。

                村上君
True gentleman に付      上野君
  徳田君
 修学旅行の大略        羽生君
 職業の選択に付        石沢副舎長
 精神修養に付         宮部舎長

 演説は午後9時半頃終わり次に茶菓の饗応ありき。
宮部舎長より寄宿舎の名称変更の件に付相談ありしも別に善き名称も
 見当らぬ故各自考てよき名を見出し様にとて、決らば三月の月次会の
 時に廻したり。
  (下略) 


○コメント(田端)

月次会には、ちょっとした「馳走」がありました。「カレイ」が
「西洋料理」として珍重されていたことは日誌にしばしば出てきます
(明治35年9月11日 農園の屠牛の機会に肉をもらってきてカレイを
 つくった記事、など)数人の「演説」があって宮部先生の講評がありま
 した(ここでは講評ではなくて「演説」だったようです)。

 先生は毎月ほぼ確実に出席されていました。来賓の「演説」もありました。
 有島武郎先生が来て「米国ハーバードホールカレージ学生寄宿舎の年中行事」
 について面白いお話しをされた事もあったそうです(明治41年日誌 2月
 22日 月次会の記事)。

明治38年2月の月次会で宮部先生は寄宿舎名の変更を「相談」された
 ようです。この年の日誌の表紙には「青年会寄宿舎」と会の着いた名称が
 記されています。38年1〜2月にはまだ青年会寄宿舎と言う名称で
 「札幌基督教青年会」との関係をあらわしていたようですが、翌39年
 1月からの日誌の表紙には「青年寄宿舎」と会のない名称が記されています。

 この時の月次会では決まらなかったようですが、明治38年のどこかの時点で
 変更を決めたようにみえます。寄宿舎名変更を決めた事については、この日誌
 には関係する記事がありませんでした。

 十周年記念誌の「沿革」によると明治37年6月、基督教青年会から独立して
 「青年寄宿舎」となったという事のようですが・・・(『我が北大青年寄宿舎』
 所載の「青年寄宿舎の沿革」〜所 伸一さんの力作です〜による)。


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(北大農学部にある宮部先生のトルソー)
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宮部金五先生のエヘヘン(青年寄宿舎日誌F)  青年寄宿舎


寄宿舎OBの田端先生から、明治39年の寄宿舎日誌の書き起こし原稿と
コメントをいただきました。このようにコメントが挿入されると、実に
彼我の時間差を感じると同時に、逆に、舎生としての親近感が生まれるのが、
改めて実感されます。

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 明治39年(1906)2月26日

 月次会

(40行ほど省略)

 九、 宮部先生、以上の諸君の演説によりて今人生問題が心中に浮か
 べるは実に賀す べき事、如何に多くの時間を要して必ず各人考ふべき事なる事。
 朝倉君の退舎を悲しまれたり。
 右、終わるや時已に十時なりしかば之より茶菓の馳走あり。宮部先生には
 「みんな演 説がうまくなった事には感心だ、エヘヘン」と言って十時半
 頃帰らる。
 夫れより皆愉快に遊び、文学部委員より太陽問題を提出し結局太陽は廃止
 となる。
 其後には東洋学芸雑誌となる。
 十一時頃楽しく散会す。

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【コメント(田端)】

 この日の月次会、「演説家」は副舎長石沢達夫氏、退舎する朝倉君の
ほか六名の在舎生で、「人生問題」を論ずる「演説」が多く、其の内容
を少しずつ紹介している文が書かれ40行ほどの長めの記事になって
いました。宮部先生は人生を考えるのはよいことだ、「演説」もうまく
なって感心だ、「エヘヘン」と言いました。

「エヘヘン」がユーモラスで先生と舎生の関係の「ホノボノ」感が感じ
られました。

「太陽問題」は総合雑誌『太陽』の一般的な評論を購読するのを何か
ほかの雑誌に変更するかどうかと言う問題のようでした。結論は
『東洋学芸雑誌』に変更すると言うことになったようです。この雑誌は
北大図書館の宮部金吾文庫の内に所蔵されています。このころの目次を
見ると菊池大麓「教育に関する勅語英訳」、ヴァイスマン講述「進化論
講義」の連載、長岡半太郎「蛍光、燐光及び類似現象」、斉藤賢道
「東亜細亜の有用発酵菌」などの「論説」等が掲載されている雑誌でした。

評論でなく「学芸」を、と考えたこのころの舎生諸氏がしめした知的
気概に好ましいものを感じました。しかし、まもなく同年6月30日の
記事には「東洋学芸雑誌を廃する事を決議す」とあったので挫折も免れ
ないものだなあ、とも思いました。


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ちまちま和み系の編集会議  青年寄宿舎

寄宿舎日誌の復刻の編集会議を、北大の100年記念会館きゃら亭で。
(場所も話題もとびきりの和み系)

いずれも70歳を超えられたはずの、前理事長とT先生、団塊の世代の
T教授、それとわたし。もちろん昭和26年生まれのわたしが一番若い。
(これだけが自慢・強調 (^_^;)

まず、進捗状況。そして編集や進捗状況を時折お知らせするニューズレターの
発行について。これは6月に第1号が出る見込み。乞う、ご期待。

北大のキャンパスは今、緑に染まるようなすばらしい初夏の風景が広がって
います。暗いきゃら亭との対照がくっきりです。

青年寄宿舎ドキュに取り組んだTくんの短信メールを下記に貼ります。
都内で上映の機会を探っている模様。

**************

5月31日締め切り当日にエントリーしまして無事、山形国際ドキュメンタリー
映画祭に間に合い出品が完了しました。
タイトルは「百吟フロンティア」です。50分の作品となりました。
これから、都内のいくつかの映画館に対して作品プレゼンを行いたいと思って
います。

林のアジールにも情報を載せていただけたらありがたいです。
近いうちにDVDにしてお届けしたいと思います。
取り急ぎ、ご報告までに。
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(短報)青年寄宿舎がドキュメンタリー映画祭にエントリー  青年寄宿舎

縁は異なもの。

以前も少しご紹介しましたとおり、青年寄宿舎の閉舎とそれに関わる
人々を、早稲田大学の院生・Tくんが追ってきており、この5月、
作品として山形ドキュメンタリー映画祭にエントリーしました。

http://www.yidff.jp/home.html

結果発表は10月頃と聞いていますが、早くみたいところです。


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