オルガン余話(日誌14)  青年寄宿舎

田端先生の「青年寄宿舎日誌」ぬきがき(9)

【オルガン余話】

明治45年7月18日

毎日朝寝坊博士なる余も本日は久しぶりに早起きをなし心持宜しき事甚し、時に一人の婦人裏口にあり、何の用事かと思へば事は意外にして小学校の先生らしき者にして9月よりオルガンの教授にてもするらしく休暇中楽器の使用を願へる者にして只九月迄にしてそれ迄楽器買求の資力なきとの話なりき、もし舎にてひく事出来ざれば暫時休暇中損金を出して借りたき由申し出ずるに至りては滑稽至極の話なり、然し至りて真面目らしき者にて年の頃二十三、四位の婦人なり、只九月の用意の為め是非実習致さねばならぬ為かかる舎迄依頼に来る熱心の程は感心の至りにて余も当時竹の練習に余念なき時なれば、余一人としては其熱心に感心して借すを許したかりしも一人にて定むるを得ず、徳田さんも返事に困じしものの如く、宮部先生に許しを願ひ許されなば宜しとのみ返事され婦人は帰宅せり。

【コメント(田端)】

 夏休み中の寄宿舎に若い女性がたずねてきました。オルガンを借りられませんか、というのでした。小学校の先生らしい彼女は九月からオルガンを教えなければならないらしい、尺八の練習に余念の無かった文芸部委員氏は楽器の実習に熱意を示す彼女に貸してあげたいものだと思ったのですが・・・・

 静かな札幌の北五条西九丁目、オルガンの音は近くを通る人によく聴こえていたのですね。申し出を「滑稽至極」と書いたのは女性の熱心に同情するのが恥かしかったから?

副舎長氏は宮部先生の許可があれば、と言ったのでした。
 このあとの様子は日誌に出ていません。宮部先生はきっと貸してあげなさい、と言ってくれたのではないかしらん。


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【takeの感想】

ううう、情景が彷彿としてきます。「一杯のかけそば」みたいな清貧の実話。
いいお話しでした。時間の流れ方が今と違います。

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紀年祭歌「鳥、暁を告ぐるまで」の楽譜が誕生!  青年寄宿舎

明治39年11月9日の日誌の抜き書きで、田端先生が、下記の部分を
引用され、「どなたかメロディを」と書かれたのですが、わたしが勝手に
「それはチェリスト&ギタリストの石田君だ」と半ば冗談でフォローし、
ここにしたためました。

それが本州に住む石田君に伝わり、立派な楽譜が届きました。
1回目は、写真右の、歌詞とメロディ。寮歌っぽくてバンカラ風。

これだけでも上出来だったのですが、さらに、バイオリンとチェロ、
ピアノにトランペットのパートをいれ、テノールとバスの2部合唱に
なるような小品が完成したと第2信。final notepad というソフトで楽譜を
開くと音が出て楽しめるというおまけ付き。

もちろん、田端先生は大喜びです。


作詞:吉田守一 作曲:石田明男  いつか歌ってみましょう。


>今晩、次の歌を練習す。紀念会席上にて歌唱せんが為也。

  「エルムの樹蔭にたちてより    幾星霜のそのあいだ
   理想の丘を目ざしつつ      愈々栄ゆる寄宿舎の
   齢はここに八年の        今日は祝之吉日ぞ
   祝へや、祝へ諸共に       鳥暁を告ぐるまで 」

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舎友の帰国に送る文(日誌13)  青年寄宿舎

田端先生の「青年寄宿舎日誌」 ぬきがき(8)


■明治37年3月3日

 やよいもついたちすぐる三日となれば姑射の松はかぜに笑み千年にいろいよいよふかくなりまさり羅浮の梅はあめにものうちいいてまれなる香のいよいよ清くなり鶯のはつこえいとおほどかになきいでたるころになるべきに之はただ内地のけしきにて札幌の天地はなほも雪の中に埋まりて人をなぐさむべきにもあらず。

唯月のみはいとかすみてをもしろく軒端に下るつらヽにてりてそのけしきいひしらず、たぐひなきにもすみなれし古里のそらまづ思ひ出でられてそぞろにむかし恋しく思ひつヾけられけむ、わが舎の鈴木○○君は今日札幌の地を後にしてともの都にぞむかわれける、君がこの地を去りしは古里恋しきにあらず他にことはりあればなり。

 君がこぞみそぎする夕の冷気いとすヾしくしてきのふけふみづのひヾきのいとすみてきこゆる初秋のころいつくしみふかき父母にわかれ姉妹にいとまをつげて学の道にこの地に遊び通学せしもつかのまさヽいのきづより入院しようようとしたちかくりて、睦月半ばをすぎつるころ退院せしも再びあしくなりいよいよ帰こくに定められぬ。われら友からはまことにきみの同情にたへぬなり、この日そらも何となくなかれむごとく、あさまだきよりくもりてかぜみぞれはげしく、われらは停車場まで見送る。われらは君の早く来られん事をまち札幌の天地また君をまつめり。

【コメント(田端)】 

 病気の友の帰国におくる文章ですが、凝ってますね。
姑射・・・諸橋『大漢和』によると、姑射山・・こやさん 仙人が居るという山。
 藐姑射山 はこやのやまとも云うそうです。読みがわからなくて広辞苑では     調べられませんでした。 はこやのやま 方は出ていました。
  
羅浮・・・これまた広辞苑には出ていない。『大漢和』によると 羅浮・・らふ 
 広東省の山、山麓は梅の名所で古来名高い、とありました。

 明治の若者はこんな言葉を心得ていたのですね。日誌には、手稲登山や定山渓遠足を美文調に叙する名文もみられます。


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*takeの感想

うむむ。美文というか、この文章に濃密な人間関係を感じ取ってしまうのですが、
単なる当時のレトリックなのでしょうか。レトリックに心がついていくのでしょうか。
言葉がこころを引っ張るかも、と、ふと思い始めます。
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初めて電灯がついた(日誌12)  青年寄宿舎

田端先生の 【青年寄宿舎日誌】抜き書きシリーズ(7)

●大正2年1月8日

冬休み寝坊の習慣と為りてなかなか規定の時間に起きるのは容易なる事にあらず。

朝より電燈掛来舎して取りつけを為し、其の晩より初めて電燈がつく様にはなれり。

当舎も夜の如きは今までとは外観を異にする様になれり。

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【コメント(田端)】

明治40年代になると札幌水電という電力会社の電力供給が始まって
電灯をつける家も大分多くなってきたということですが、需要が多くて
容易に電灯がつけられない状態も続いていたとのこと、大正2年頃は札
幌の1万6000戸ほどのうち8300戸ばかりが電灯をつけていたと
のことです(『新札幌市史』)。

農学校の寄宿舎(まだ恵廸寮という名前ではありません)は明治33年
に電灯をつけていると云うことです、官立の寮は違いますね。

青年寄宿舎では寄宿舎前の道路の外灯電気代が工面できず、明治44年
春から宮部先生が毎月1円の電気代を負担してくれていたのだそうです
、「舎より支弁の方法も不能故、世話人に交渉して電燈代減額を請求す
るに決したり」(明治45年4月13日の記事)と、ありました。



*takeの感想…文明がゆっくり進んできた様がまさに一歩一歩といった
       感じで描かれ、襟を正します。

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T君からのたより:青年寄宿舎ドキュメントの評価  青年寄宿舎

若いTさんがエントリーした青年寄宿舎の交友と歴史的取り組みを
描いたドキュメント「百吟フロンティア」の評判を本人のメールで知りました。

また、取材でお世話になった寄宿舎OBの先生方や、関東でつきあってくれた
Oさん、道内でも関東でもサポートした別のOさんなどにも、作者からDVDが
送られたようだから、ひょっとして今頃、ご覧になっているかもしれません。

前にも書きましたが、ドキュは3名の先生方が縦糸としての歴史と骨格を語られ、
わたしらの交友が、ぼそぼそと、閉舎を機会に偶然また始まったひとつの交友を
横糸にして描かれています。

最初から最後まで語りが続き、説明が全くないのは不親切だとか、語りが冗漫だなど
の辛口の感想も、当然ながらあったようです。

龍村仁監督の「地球交響曲」(ガイアシンフォニー)は、各作品ごと、テーマに
そったナレーションがあって、そこにオムニバス風に数人の語りが一人ずつ入る
わけですが、アレですら、語りが多すぎて理屈っぽい、と敬遠する人がいるの
ですから、Tさんのドキュは当然そういった感想が出るはずです。

でも、わたしは、彼の今回の作品で、ドキュの見方が少し変わりました。
この手のドキュは自分の鏡だな、と。

Tさんは、さらに編集をすると言っています。また、札幌で上映会もしたいと
言っています。できれば縁の北大がふさわしいはず。編集会議の時までに
その辺の話もすすめましょうか。
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