兎狩り  青年寄宿舎日誌15  青年寄宿舎

田端先生の抜き書きシリーズ10

【明治45年10月6日】

☆兎狩り・・・4匹もとる

 10月6日  星影尚しるき朝の五時数多のヴェッカーは一時に暁の静寂を破ってあちらこちらに響いた。舎生は飛び起きた。今日こそ兼ねて待ちたる兎狩当日である。各自四個の握飯を携へて雄々しくも立った。一行は舎生十六名、副舎長及び数日前まで我舎生たりし守谷君との合計十八名である。

軽川までは汽車の厄介になった。それより守谷君、安井君、下村君等の先導にて北方に進む。約半里にして第一回の襲撃を試みた。二頭の敵を前に見て空しく逃がした。以後、全軍の意気阻喪し四,五回の中は更に獲物はなかった。益々西北に進む事一里余にして遂に或る敵の根拠地に到達した。小笹の中を追ふる事二回にして四匹を逃がし終に一匹を獲った。一同の元気は再び快復した。一同は茲に嬉しくも持合の昼飯を平げた。

此時、徳田副舎長は帰へられた。是より先県人会の為とて佐藤君も帰へられた。追う事尚数回にして一匹を打ち得た。敵の剽悍にして実に出没の機敏なる、兎角不平性の一致を欠きたがる我等追撃隊を苦しめた事は非常のものだった。

午後三時に垂んとして日暗く、風荒く寒かったので拙者は風邪の為を以て豊島、根本と共に先に帰路についた。然し眼前に列車を見て而して乗り後れたのである。僕は林檎で喉の渇きと痛を癒し、只管本隊の来着を待った。五時半頃奥間君と園田君とは四匹の兎を重たげに差担ぎにして来た。僕等は一時に拍手した。程なく全部停車場に着いた。

一同は随分空腹だったらしい。安井君は途中臥れたったと誰か言った。五時五十一分おしあひへし合ひ込みに込んだ下り列車にとび込んだ。札幌に着いてプラットホームを出るとすぐに得意げに今まで網で包み隠し置いたる件の獲物を曝け出して持った。そしてデカンショ歌で練りかへった。舎前に来た時は一同転た青年寄宿舎万歳を三唱せざるを得なかったのである。今日の兎狩は大成功を以て芽出度く此所に終わった。
(残りの10行ほど省略)


【コメント(田端)】

兎狩りの記事はいくつもありました。
明治43年11月8日 予科の兎狩、21頭も獲る。
明治43年11月22日  水産科、兎狩
明治44年10月27日  水産科、兎狩  
大正3年10月4日  青年寄宿舎の兎狩、1匹獲る。

なかでもこの記事はもっとも詳しくて興味深いです。大成功で終わって翌日の夕食では「淡泊の而も柔らかい甘い兔肉を充分に貪り喰って大満足で舎生一同は口々に甘かった、うまかったと叫んだ」ということでした。

 しかし、困った問題も起きていました。兎狩りの網は札幌中学から1反につき5銭を出して10反を借りたのですが1反を紛失してしまったのでした。軍隊で言えば軍旗を失ったと言うほどではないにしても兵器を失ったのに均しい事だ、と委員会での嘆息が書かれていますが運動部主催の行事だったので運動部委員氏は札幌中学と弁償方を相談しなければならなくなったのでした。10月9日記事には「品物にて弁償する事となった。」とあり、11月20日になって「運動部で注文して置いた兔網今日漸く整ふ。代は二円七十銭なりし由、同委員さんもホット一安心されたろう」ということになっています。

網紛失一件のほか、夕食の前に密かに肉を煮て食った奴が居る、兎狩りに行かなかった奴だ、夕食の時も肉ばかりすくって喰う奴が居たとか、嘆かわしい有様が見られた、と。文芸部氏は舎生はゼントルマンでなくてはならぬのにと、歎かなければならない様なこともあって、兎狩りは楽しい「大成功」だけではなかったようでした。

 なお、兔を四匹も(4羽とは書いていません)誰が、どのようにして食肉状態にしたのかは書いていませんでした。それから日誌ぬきがき本文冒頭のヴェッカーは、ドイツ語で、WECKER-目覚まし時計のことでした。



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takeの感想

リアルな描写に、昔日の感を禁じ得ません。大イベントだったのでしょうねえ。
わたしが担当したところでも、鶏を2羽もらったので、とかありますから
舎生がさばいたのでしょう。またもや、飲まず食わずの空腹感が伝わり、
一日が濃密。
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