居残るハクチョウ  土地の魂

山仕事の帰りにウトナイ湖によりました。

相変わらずの人気です。ハクチョウとオナガガモへの餌やり。
動物園より身近で、たまに来て見るのです。

もう本隊は南へ渡ったので、ここにいるのは越冬組です。 クリックすると元のサイズで表示します
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田端先生の講話と松浦武四郎的視点  北海道と自然

*先生の講話の内容をかいつまんで紹介しながら、わたしの日頃の感想を
綴ってみます。チョット長いです。(^_^;)

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啓発される不思議なことは続くものです。

金曜の朝、池澤夏樹の「静かな大地」をJR車内でハンカチをぬらして読了した翌日、つまり昨夜、松浦武四郎研究の大家の一人、田端宏先生とお会いし、講話「北海道史を振り返って」を聴きました。学生寮・青年寄宿舎のOBの会合です。

池澤夏樹はアイヌの宇宙観をつまびらかにしつつ、和人の一人として
アイヌ側にたって明治の一時期を静内で生き壮絶に崩壊していった、ある移住者の人生を描きました。

田端先生は講話で、「だまし討ちが日本古来の正式な常道だったこと」「アイヌの人々勘定は正確でカウント能力も独自にあったこと」「アイヌの人々は飲んだ暮れでなく平取では酒量は和人の3分の一だったこと」などを、文献と町史などをふまえて語りました。

特にアイヌは飲んだ暮れで、だめ民族だと喧伝されていますが、平取町100年史では、酒を扱う唯一の店「山岸商店」の総売渡額のうちアイヌと和人一人当たりの比率が記録されており、それでは和人はアイヌの3,4倍を飲んでいます。のんだくれの称号はどちらがもつべきか…。

結論。アイヌ民族というのは、飲んでばかりで、数も数えられず、酋長ですらしょっちゅうだまし討ちにあい、和人のいうことをよく聞く、だから蝦夷地にいけば儲かる、的なことを政治的に言いふらしてきたのではないか。
自然にそう思えてきます。

無主地を官有にする制度に、アイヌ民族は、「いつ、誰がなにによってそうしたのか」と問うたのも当然のことではあります。このような数々の歴史の描写はどちら側から描くかで、おのおの言い分がありますが、ことこの話では多勢に無勢の悲劇を嗅ぎ取ります。丸呑みにはしないまでも結構そういう先入観念はいつの間にか根付くものでもあります。

アイヌ民族には、「静かな大地」で再三描かれるように、「和人に逆らってもいいことはない」とあきらめさせるに十分な仕打ちが続いたといえるでしょう。これはアメリカインディアン、イヌイット、アボリジニー、などの先住民にもどこか共通したものがあります。テリトリーに押し込められた先住民族のアルコール依存もしばしば報告されています。

でもわたしの身の回りには、50を超えてからアイヌ民族であることに誇りをもって「わたしはアイヌよ、と行き始めた」方がいます。林のこころなどを語るとき、その感性にわたしは脱帽します。

(あ、マダ、オツキアイクダサル?


あ、横道が長くなってしまいました。池澤夏樹の描いた世界が、田端先生の講話のストーリーとものすごく重なるのです。

で、わたしは田端先生に聞きました。

「先生、池澤夏樹、先生のところにヒアリングに来ませんでした?」
「ぜんぜん。わたし、その本、知りませんもの」

松浦武四郎は、官や公の仕事に無縁ではなかったのに、抑圧されるアイヌと場所請負や和人の関係、そこのところに強い義憤を感じていた人です。ある種、アイヌ民族へのまなざしがとても暖かく、尊敬すらしている。
実は、平取を訪れているイザベラ・バードも似たような感触をもったようでした。しかし、表立って和人に言うことも出来ませんでした。

わたしが息づく大地、風土の不思議を読み解くために、このたび、池澤、田端両氏の話にはまいりました。

追記:OB会35人中、56歳のわたしは下から3番目でした。
(^_^)v  

(ドウモドウモ、コリャ、日記ジャナイネ…
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青年寄宿舎の舎友会、2回目  青年寄宿舎

財団が閉じて親睦会のみになりました。

明治からの日誌の復刻作業が地道に続いていますが、
古いOBの方々との交流もわたしにはとても刺激的なものが
あります。

今回の田端宏先生の講話「北海道史をふりかえって」(画像)は圧巻でした。

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