ホオノキの葉落ちる  林とこころ

ついに昨日の雑木林は12度でした。
ホオノキやハリギリの重たい葉っぱはほとんど落ちてしまいました。

ちょっと寂しい秋の林、見ものです。クリックすると元のサイズで表示します
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森林デトックス  林とこころ

林ではいろいろ不思議なことがありますが、先日は瞬間的な
デトックスのようなものを味わいました。

その週は前半から胸に引っかかるものがあって整理がなかなか
つきませんでした。週末のその日の夕方も林の入り口に着くまでどうも
もやもやがありました。

ところが薄暗い林に入った途端、文字通り雲散霧消。ある方がここの
林を見て浄化作用があると語りましたが、これは不思議でした。
マイ・フォレスト効果かもしれません。

あるいはこれは春先から山菜でデトックスしてきた効果でしょうか(笑い
先週おいでになった「どっと」の面々はどうだったでしょうね。

自然に沿った心身のデトックスをするという点ではすでに長野の穂高
養生園が森林デトックスを行っています。良いボキャブラリーが商品に
なったというわけです。ここは療養に森林散策を入れています。
http://www.yojoen.com/shinrindetox.html クリックすると元のサイズで表示します
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雨ニモツヨク?  林とこころ

昨日の新聞でおやっと思った記事。

米国の先生が宮沢賢治の英訳をしていて、
「雨ニモマケズ」を初めて肯定的表現にした、と。

すなわち、Strong in the rain

これは違うと思ったのです。
雨にも風にもめげてしまいそうな、弱い自分だけど
精一杯行くよ、大丈夫だよ、という弱さといつも隣り合わせの
自分であって、「強さ」を目指しているわけではないと
思うのです。

そもそも弱さは強さの反対語かどうかも疑問です。
これはグローバリゼーションの理解ではないのか。
新自由主義が賢治解釈にもやってきたみたい。(-_-;)
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美瑛の朝  北海道と自然

美瑛の朝。
前田真三に見つけられた美瑛の田園だが、眼差しひとつで
身近なところに「美瑛的感動」はある。
気持ちひとつで朝が変わる。
この気持ちひとつがむずかしい。クリックすると元のサイズで表示します
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林とスピリチャリティ  林とこころ

昨日は、朝から、懸案だった8/31勉強会の記録をホームページにアップ。
スピリチャリティというとてつもなく重たいテーマで、もうわたしなどが
書けるテーマでもないのに、うんうん唸りながら、資料を写すだけで
精一杯でした。とても身になる気がします。気づくとアサヒルのご飯も食べずに
1時半でした。フー(-_-;)

http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/kinari02-12.html

以下、そのなかから。

…ソニーでAIBO製作に関わった天外伺朗氏にわたしは冥想のメソッドで示唆を受けたが、氏はスピリチャリティは仏性であると書いている。「心理学者ユングは、多くの精神病者とのかかわりの中から、あらゆる人間は既存の宗教とは無関係に宗教性をそなえている、と論じた。つまり、宗教があるから宗教性が生じるのではなく、人間が本来持っている宗教性をかたちにしたのが宗教なのだ。スピリチャリティとは、その宗教性のことである。仏教でいう「仏性(ぶっしょう=誰もが持っている仏になる可能性)と、ほぼ同じだ」。「すべての宗教はスピリチャリティに根ざしている。その意味では、それをわざわざ別の言葉で表現しなければならないというところに、既存の組織宗教の大問題が潜んでいる」。スピリチャリティとは仏性のことである、というのは、今まで知った定義の中では一番ピンと来る。仏性はすべての人に備わっている「ピカピカの良心」である。仏性は内観の結果たどり着くことが出来、人それぞれの羅針盤のように道を示してくれるのだが、ハイテンションションな日常に漬かっているとなかなかたどり着くことができないのだ。
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ひまわりのように生きた人  北海道と自然

(今日は、九州に友人を送るため午前だけ休暇中)

6日土曜日、学生時代のクラブの顧問をしてくださった、
八木健三先生のお別れの会に。

奥様が最後にごあいさつされ、「夫・健三はひまわりが
大好きでした」…。

そういえば先生はひまわりのような方だった。いつも明るく、
物怖じせず、不平不満に縁なし。

そして「私利がなく善意で人と付き合う人でした」…。

ほんとにそうなのでした。ああ、それに引き換え凡夫は
いかに煩悩に振り回されているか。…
わたしは今回初めて、先生にひょっとしたら宗教的支えが
あったのではないか、と考えてみました。意外でした。


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森林療法あらかると  林とこころ

今年はわたしにとって出版に縁のある年のようで、年末まで3件の
予定(共同執筆等)があり、そのうちのひとつがアップしました、と
出版社側から連絡が来ました。

http://www.ringyou.or.jp/publish/detail_718.html

上記のタイトルです。あまり聞き慣れないものかと思いますが、
欧州起源の、森や林を心身の健康に役立てるかという視点で、
医療関係者だけでなく保養地関係者、自治体の人など、各方面
の方が書いています。

わたしは精神科の先生と第2章を受け持ち、大胆にも林とこころの間柄を
見つめた一文を書かせてもらいました。機会があればご覧下さい。


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赤塚不二夫の「これでいいのだ」  林とこころ

昨日につづくこころ系のA

赤塚不二夫が今月初めに亡くなりました。

赤塚の奇想天外なキャラはやっぱり驚きでした。あのハイな感じは
わたしの苦手なところであり、その中身はいつもタモリを通じての
間接的なものでした。下の公認サイトはかなり赤塚の足取りを
描いています。

http://www.koredeiinoda.net/

またwikipedeia はこんなに充実したプロフィールを書いています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%A1%9A%E4%B8%8D%...

「これでいいのだ」。このギャグのように言われる言葉の意味は、数々のエピソードの中にほとんど描かれていません。しかし、これは肯定の重要な哲学のようなものがこめられていると思います。

天才バガボンの主題歌に、間が抜けた「これでいいのだあー」というフレーズが出てきますが、「これで…」の理解はちょっコアレに引っ張られすぎたかもしれません。

さて、その弟子と自認するタモリ。タモリは何も書かれていない弔辞を
読んだ、とされています。実にすらすらと、弔辞はかくありたいという見本のような弔事でした。さすが話芸の天才、と思いました。その全文は下記。

*****************

「8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。

 10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。

 終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから、私のマンションにいろ』と、こういいました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。

 しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このやろう逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。

 いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。

 私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。平成20年8月7日、森田一義」




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