苦労人のカラマツ  土地の魂

天候が崩れる前のつかの間をめざして、今年最後の山仕事に
でかけました。懸案はふたつ。

ひとつは「苦労人のカラマツ」に光を当てる作業。樹木が育つのには
具合が悪い苫小牧の一角で、ストレスでこじれてしまったカラマツを、
周りのヤブを整理してスポットライトを当てること。

伸びようとする芽を、南の潮風が繰り返し痛めると、頂上の芽は
枯れ、その代わりに脇の枝がそれに換わろうとします。その結果が、
このような枝の多い、苦しそうな木になるわけです。

フットパスを案内しながら、このカラマツのストレスをしばしば人の
ストレスに置き換えてみることもあります。山仕事とは、こんな環境整備、
関係整理に似ています。

みなさんならどんな印象をもたれるでしょうか。
もうひとつの懸案は、ここ↓を。
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/aigo4-58.html
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やっと、年賀状  家族

先週末に、急遽年賀状を制作し日曜日に家内の分と
一緒にプリント、昨日夕方から、1時間半、そして今朝1時間半、
1,2行の書き込みをすべて終えました。

快感、幸せ、そして達成感。一人ずつめくるたびにメッセージを
瞬時に思い描いて書き込む。フレンチのシェフは、送られてきた
素材の箱を開けて数秒で、その日のメニューを発想すると
いいますが、なんだかちょっとそれに近いものがあります。

池波正太郎の、元日から次の年賀を書き始めるという悦楽は、
種々のネットワークが張り巡らされた今日、タイムマシンのように
遠い世界ですが、いや、意外と未来のことになるかもね。

なぜなら、相手に思いを馳せるのが悦楽ならば、長い方がいい、
そのためには、手で書くのが一番だから。今年、御はがきを
くれた方が数人おいでだけど、やはりうれしかったし。

よし、来年ははがきももっと多用しよう!
そっかあ、そういえば絵手紙もいいなあ…。(^_^)v クリックすると元のサイズで表示します
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日置真世さんの女性ネットレシピ  家族


以前も書いたことがありますが、
釧路のNPO法人「地域生活支援ネットワークサロン」
http://n-salon.org/

の日置さんが、この10月、足取りと考えを料理のレシピになぞらせた
著作をだしました。2/3程を読みました。

直接、職場においでいただいてお話しも伺いましたし、いろいろな
方から活動の中身をお聞きしていますが、今回の著作は、日置さんの
折々の心の襞までわかるような、さらに説得力あふれる本に仕上がっていることを知り、ご紹介したくなりました。お母さんたちのつながりと起業の、ドキュメント+
つながる極意にあふれています。

ある行動がどういう、自然な動機で始まるのかに特に興味がある
わたしには、この襞がとてもクリアに感じられました。

特に障がいをもつ1才の長女の方を療育相談に連れていった際に、
専門医師からいままでの充実した母子のつきあい方を全否定されて
落ち込んでいく部分を読んだだけで、この本の、あるいは日置さんの
行動の根っこのところが伝わってきました。

書名「日置真世の『おいしい地域づくりのためのレシピ50』」。
日置さんの関連ブログ↓
http://n-salon.org/hioki/ クリックすると元のサイズで表示します
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ミツバチのその後  北海道と自然

養蜂家のSさんの御宅に忘年会で呼ばれた折に、以前のミツバチ
騒動はどうなったのか、聞いてみました。

発端は3年ほど前の米国で、突然セイヨウミツバチがいなくなる、という
異変でした。原因不明とされました。

その後、一昨年あたりから、日本でもセイヨウミツバチがいなくなって、山奥の日本ミツバチもいなくなった、という報道がでてきて混沌としてきました。山奥だから、原因は農薬ではない…などと。

まず米国のそれは、下の画像にもあるようにいくつかの疑わしきものが
あります。Sさんは、昔からセイヨウミツバチには突如いなくなる「逃去」
という現象があり、CCD(蜂群崩壊症候群)といっているのがそれです。

Sさんはその原因はほぼ「栄養失調」だと断定します。つまり米国式の
大規模農業でミツバチを話すと、下手すると100から1000ヘクタール
単位の単一栽培、アーモンドやブルーベリー、かぼちゃ、メロン,リンゴ,チェリーの受粉を助けるためにハチたちは駆り出されて、必要な餌もあたえられないまま、移動に移動を重ねる…。そんな折、ハチたちはへとへとになって、いっせいに姿を消すのだと。

あと注目されているのが無臭の強力殺虫農薬「ネオニコチノイド」。

Sさんはこのようなことを以前から知っており、自ら、メロンやイチゴの受粉にミツバチが欠かせないとしてビジネス化した北海道でははしりの方です。

Sさんは、そんなハチの保養と養生の場として、わたしのフィールドである原野を昔から借りて、一働きしたハチを原野に放してやります。ハチは、ホザキシモツケやアワダチソウや木の花などの花粉をたべ蜜を採りながら元気になっていくようです。

そこへ出てきたのが、ハウス栽培の激増。ハチが払底したところに、
海外からウイルスに汚染されたハチが輸入されて、蔓延。農水省は
セイヨウミツバチの輸入を禁止。どうやら、輸入したのは養蜂業者では
なく、素人の貿易会社だったようで、ミツバチは死ぬ、減少する、これは
大変だ、イチゴはどうなる…、てな具合になっていったと推定されます。

しかし、古くから付き合いのある農家と養蜂家は、単価としては3倍にも
跳ね上がった市場を尻目に、信頼というか安心の付き合いを続けそうだ、
ということでした。もちろん、「3倍」に鞍替えする人もおおいでしょう。

で、すこし見えてきました。
今、ニュースに出る銀座のミツバチプロジェクトは、そこで微妙な世論
形成の役目を果たしているのではないかと思います。まゆに唾をつけて
今後を見ていこうと思います。

↓米国の現状解説ニュース=結構真面目で正確なカンジ

http://www.youtube.com/watch?v=msdoccPUr3k&feature=player_embedded





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クリスマスと贈与の霊  土地の魂

中沢新一の『純粋な自然の贈与』を読みました。例によって難しくてよくわかりません(^_^;)ので、またまたとばし読みです。

しかし、この本、すごく新鮮な視点があり、特に日本捕鯨を贈与という不思議な概念で解いて見せたり、また、もともとあった伊勢神道が大和朝廷に乗っ取られてきた経緯とひずみなど、ついに文庫本は傍線があちこちにつきました。

で、なにが贈与なんだ〜、ということになりますが、そのつまり、贈り物と一緒に実は「贈与の霊」が一緒に動いているのだ、と。まるで、人の身体と「気」のようなモノですね。そう言うのです。

アメリカインディアンは贈り物は動いていなければならないモノで、贈与の霊が動き流れていくとき、世界は物質的に豊かで人々の心が生き生きとしてくる、と考える、そして贈与がモノを結びつけるエロスの力をもっているのだ、と。ふむふむ、贈り物は確かに人をつなげる。あり得る。

贈与はエロスで結びつけ、売買はロゴスで分離する。ブッダは惜しみない贈与の果てにブッダの人格を得た。贈与のことしか語らなかったというイエスもまた、存在とは惜しみなく愛を放出し続ける父なる神で、…とあり、さらに、ハイデッガーは、存在とは贈与するものである、と表現にたどり着いた…。

「贈与には霊がつきまとう」。この見方を伊勢神宮や日本捕鯨やマルクスやバルトークやバスケットボールなどに串刺しして見せます。そしてそのうちに、クリスマスとサンタも登場。

クリスマスの贈り物はその意味でものすごく霊的な営みと表現されています。つまり、夏に産まれたというイエスを冬の年末に産まれたことにまでして遂行したキリスト教の世界化の過程で、地域の冬祭りを教会の行事に吸い込んでいく際、ここでもこの贈与の霊が動いている、と。

太陽の光が弱くなる冬至の頃合いに、生者の世界には数多の死者の霊が訪れ、地上の生きる者たちはこころを込めてもてなし、贈り物を与えて喜んで帰ってもらうようにしました。ここはアイヌの人の言い伝えとそっくり同じようです。この際、子供と若者は目に見えない死者の領域と深い繋がりをもった存在として扱われ、それが子らへのプレゼントとして続いたと言います。

贈与の力によって、滞ってしまった宇宙のエネルギーをもう一度健やかな動きに戻す、そんな祈りが込めれて、それによって世界は元気を取り戻す…。なるほど、祭りは元気の底=冬至の直後、回復したての時にするわけです。

長くなってしまうのでもう止めますが、人にモノを送ることで自分と人がつながる、ということは日常的なこととして多くの人が体験してきたことですが、そこに(贈与の)霊がいて、その霊が動かないと世界が止まる、ということ。これは「お互い様」でもあるしモノをもらったら「お返し」をしないと居心地が悪い、というあの感覚、あれが霊の仕わざだった訳ですね。贈与の霊は気のようにめぐり、また、めぐるように動いてきた世界と歴史がある…。極々、簡単に言えばこうなるでしょうか(カンタンニシスギカ〜!

クリスマス前の、もうけた拾い読みだったようです。
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桂文珍の笑いの芸  芸術

先日、札幌市民ホールで行われた桂文珍の独演会に、家内と行ってきました。ホールが新しくなって初めてだったのですが、大分こじんまりした会場とはいえ、満員。久々の落語です。

演目は、蔵丁稚、そこつ長屋と、口開けにもうひとつ、これが思い出せませんが(-_-;)、やや古典に近い出し物が、文珍独特のまくらの語りで、まったくもってリフレッシュされています。

テンポラリーなニュース、たとえば鳩山さんが多額の「こども手当」がもらえていいな、などというエピソードをどどどとまぶしていくわけですね。

自在に、聴衆を笑いに引っ張り込むあの才はうらやましい、一度はやってみたいものだと、野心をいだきました。(笑い)

計算されたように要所要所にまんまと笑わされ、家内と声をだして笑ってしまいますが、前後左右はずっと控えめ。左前の「笑わぬおじさん」には、ついに振り向かれてしまいました(^_^;)マイッタ

文珍の笑いはすこしひねりをつけるのが特徴でしょうか。たとえば、犬を連れた婦人が寿司屋に入る、当然店主は嫌がる。

店主 「困りますね、豚を連れて来ちゃ〜」
婦人 「いえ、犬なんですが。」
店主 「オレは犬に言ってんだよ」
    ……
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エディット・ピアフの「3つの鐘」  林とこころ

ザ・ブラウンズの「谷間に3つの鐘が鳴る」を、忘年会で1回くらいは
行くかも知れないカラオケのレパートリーに入れよう(^_^;)としていたとき、
ふと、あれ、これはモトは違うよなあ、と思いだし、調べたら、そ、
エディット・ピアフでした。うっかり、してました。

動画を探したら、こんな素晴らしいのが出てきてうるうるしました。
かっこいい!

http://www.kiraku.tv/category/50799/movie/3/x1q33m_edith-...

谷間を舞台にして人の一生(生まれて、愛して、死ぬ)を歌ったモノ。
この歌が流れた時代は、フランス人にとっては第二次世界大戦で死んでいった若者たちの記憶が満ち満ちていた時代だったようです。

ある解説では、日本版「りんごの歌」だと。最後のフレーズは
「千の風…」みたい。

歌詞は下記。なんと叙情あふれる…。
結局、レパートリーにはなりそびれました。(-_-;)



エディット・ピアフ Edith Piaf が歌ったシャンソン
「三つの鐘」 Les Trois Cloches (壺齋散人訳)

三つの鐘

  谷間の底の小さな村で
  星空の下 生まれた子ども
  ジャン・フランソア・ニコ
  愛らしいあなたは洗礼を受けにここにきました

  鐘がなります こだまとなって
  それはあなた ジャン・フランソアのため
  生まれたあなたを迎える響き
  か弱くそして可愛いあなた

  谷間の底のさびしい村で
  19才のジャン・フランソアは
  桃のような乙女エリーズと
  神の前で愛を誓った

  鐘が鳴ります こだまとなって
  二人のために すべての鐘が
  若者と乙女 二人の心が
  ひとつとなって
  愛の炎を 燃やし続けよ

  谷間の底に月日は流れ
  星空の下 魂は眠る
  ジャン・フランソア・ニコ
  あなたは安らぎ 神の前に
  召されていきます

  鐘が鳴ります 風に乗って
  高らかといつまでも
  生ける者に呼びかける
  嘆くなかれ
  死者はここに天使となって
  永久(とわ)に生きます
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山の神の参拝  林とこころ

11日は午後年休をとって、雑木林の寒いベランダで道庁の方と
簡単な打ち合わせをしたあと、恒例の山ノ神をひとりで参拝。
今日のお供えは、玄米少々、日本酒、それとりんご。

山仕事をする人たちは、本人や家族の無病息災を願って、12月11日に
林に祀ってある山の神を参拝し、仕事はやめて宴を開き、翌日12日は
山に入らないようにします。ちなみに、山の神の神事は全国各地にあり、
この日にちは各地で多少変わることもあるようです。

この禁じ手をやぶり山に入って事故にあい、亡くなったというニュースを
よく聞きます。また東大演習林のドロガメさんの兄さん、高橋喜平さんの
エッセーには、「見るな」といわれてきた山の神のご神体を覗き見
して病気になったり死亡した人の話が集められていました。

わたしは、ほぼこの35年ほど、苫東のつた森山林にある「山ノ神」の
参拝を欠かさないできました。一番身近な神様といえます。おごそかな
気持ちでご神木を仰ぎ、越し方を振り返る…。家族や支えてくれた
大勢の方々、仕事や世間、コミュニティ、、、とイメージできる限りを思い
描いていると、あ、祈りすぎかと思うほど時間が経っていたり(笑い

こうしてお祈りをすると、明日からの山仕事が安全でスムーズにいく
ような気がします。山仕事で危険な目にあうたびに、段々と祈りは
深くなってきたようです。 クリックすると元のサイズで表示します
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落ち葉にもぐる子等  北海道と自然

12月5日、雑木林に遊びに来た札幌の手稲さと川探検隊。
子供たちは、タップリある落ち葉をかけて落ち葉に埋もれていました。
それも、かなり長時間。はて、彼らは何を考えていたのか…。クリックすると元のサイズで表示します

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寄り合いの場  林とこころ

11月29日、今シーズンの山仕事の初日になりました。
山仕事をやらせてもらえる幸福というものを感じます。
放置された林だからなおさらでした。

そこへ、ひとりふたりと棲んでる人が集まり始め、7,8人に
なりました。

「手伝えることあったら言ってね」

身体を使いたい人、時間がある人、軽トラックがある人、などなど。
こういう自然発生は、なにか、懐かしいものがあります。
ある、始まりを暗示しているかもしれません。
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