流氷の頃  土地の魂

オホーツクに流氷が接岸しているようです。
割と好きなこのデザインに変えてみました。たしか2回目です。
中央にある羅臼岳、右のなだらかな山は海別岳(うなべつ)。

北海道に住んでいながら、まるで異国のようです。
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マサラティーを作る  

休日はしばしば料理をし、そしてときどき、マサラティーを作ります。ティーといってもマサラティーはほとんど料理のようにやや手の掛かるものです。インドで買ったティーマサラはすでにグラインドされたものでしたが、個別に材料を買い求めてやってもあまり味はかわりません。

わたしのレシピは下記。

<マサラティーの作り方>2人分程度。

@一人一杯分の水(かなり蒸発するので)

A次の3種類を砕いて入れ3分ほど煮る
・シナモン…小片
・カルダモン…干草色の小粒、1,2個
・グローブ…丁子・黒い小片1

B次の2種をいれ3分ぐらい煮る
・紅茶1〜さじ(ダージリンがベストと聞きます)
・生しょうがの小片(つぶして)

C牛乳をカップ2分の一ほど注ぎとろ火で2,3分(攪拌すればベター)

D砂糖をお好みで(なんやら甘くしたほうがそれっぽいみたい)

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書けば面倒なようですが、流れ作業のようにやれば実はなんてことはありません。

休日後半をおくつろぎくださいませ。(^_^)v クリックすると元のサイズで表示します
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砂川の神社訴訟  土地の魂

最高裁まで闘った砂川神社訴訟。え?北海道の砂川?と思われた方も多い、ごく身近な判決でした。

市が、神道という宗教に公有地を貸しているのは違憲という判決でした。これで、国内に何千とあるこのような施設は都道府県も市町村も見なおしに入らざるを得なくなりました。

先週の金曜日、北海道神宮で「人と地域のつながりを考えるフォーラム」が正々堂々と?(笑い)開かれ、建築家やアーティスト、メディア関係者等と共にパネリストになった神宮の権禰宜(ごんねぎ)の方は、判決に対する抗議も込めて急遽話題に載せました。

新聞などでも詳しく報道され、かつ大変わかりやすいのですが、早い話が、開拓の時にみんなで建てた神社(土地は恐らく共有、いわゆるコモンズ)を砂川市に寄付、それをその後はほとんど町内会館として使って祭事にも使ったもの。それを元教諭のクリスチャンが2004年に提訴したものです。違憲になったのはこの空知太(そらちぶと)神社。もう一つの市から町内会に譲渡された富平(とみひら)神社は合憲です。

この一連の訴訟の正否は、知見が乏しく書けませんが、人と地域の「つながりの依り代(よりしろ)」だった神社の扱われ方がますます風化してしまう、と直感しました。

フォーラムでも、人と人、とか、人と地域とか、フラットなつながりを云々はしますが、権禰宜さんですら、もっと深層の「土地のスピリットと人のつながり」を言及せず、当然、そんなアブナイ話をされる方は居ませんでした。

土地のスピリットは、災害が多く寒い貧しい不安な時代には、人々はお祈りでもしてつかの間の安心を得るためにヨリシロになったのでしょう。今は、その必要がないとして、スピリットを感じる第6感のアンテナも、ほとんどの人がさび付かせてしまったようです。それも当然です。社会的にも「非科学」の烙印をおされて封鎖され、実質的にタブーの領域に押し込められています。

これはますますまずいことになった、と思いました。が、さて、隠れ神社ファンとしてはどうすべきか、とくにいい思いつきもありません。ただ、言えることは、日常のそれを水平軸とすると、人智を越えた価値観、この垂直軸の価値観というのは、自らを戒めつつ律しながら生きる上でどうも欠かせない、と地味に発言されている識者も結構多いのです。ただ、あまり声にしない。できない。そこにジレンマがあります。
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窓からタラが  北海道と自然

海辺の町に住んでいると、海の幸がよくやってきます。

朝、居間にパジャマでいると、窓をたたく人が。

「takeさん、タラいらないかい?」
「え、タ、タラですか?」

というわけで、大きなスケソウダラを二匹、お隣からもらいました。
大振りなのは40cmくらい。ボールに入れるとなかなか、かっこいい。

で、さばく前に、今年の元旦に始めた絵手紙を描いてみました。絵手紙は
うまく書こうという邪心がわかないこと、それと一言を添える楽しみが、また格別。

出刃をだしてさばいてみると、一匹にはタップリのタラコ、もう一匹には白子が。夜はタラチリということになります。    合掌 クリックすると元のサイズで表示します
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フィンランドの森林の風景  北海道と自然

このごろ、TVの当たりがよくて、示唆をえたり懸案に答えを得る番組に
であいます。先日は、スイスのアルプ、一昨日の夜はフィンランドの森林。

BSのハイビジョン、小林聡美さんがレポーターで、わたしは晩酌体制に
入った8時過ぎから。そ、ヘルシンキを舞台にした「かもめ食堂」が背景にあります。いえ、あると思います。(^_^;)

10年ほど前の冬、いちど、フィンランドを訪れたことがあります。そのときは、針葉樹の黒い森を眺めました。しかし、やはり、どうも寒々とした光景にみえました。北海道でも針葉樹は、耐凍性を高めるためか黒くなります。黄緑だったりするとそれは枯れることが多かったような気がします。

本州人が、北海道に転勤になったとき、まず、北海道あるいは苫小牧は冬の緑がない、などとよく言います。そしてたいていの人は「そうなんですよ〜」と本州人に荷担する。

でもわたしはフィンランドに行く前から、違う対応でした。広葉樹林の葉っぱを落とした冬の姿こそ、「みどり」的なのだと気づいていたから、異論を唱えてきたのです。「あなた、なにも知らないのね」、と。

雑木林の落葉期はその気持ちよさで胸が膨らむのです。それも体験しないで「緑がない」などというのは、あなた、はっきり言って人間が未熟ですよ、と…いえ、そんなことは言いません。11月から5月下旬まで、雑木林はとても明るく気持ちもさわやか。

で、フィンランド。さほどの大木があるわけでなく、ちょっと山に昇れば森林限界があり、なんか、どおってことない、北海道にそっくりな林。ドイツのような荘厳なトウヒでもなく、スオミの人たちの印象のように控えめな。北海道で言えば、幌加内や美深のような山々と森林。

ムーミンを絡めながら、理屈ではなく、感じる、番組でした。 クリックすると元のサイズで表示します
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アルプというコモンズ  土地の魂

コモンズの勉強をしている間に、スイスなどのきれいな
牧野「アルプ」も典型的なコモンズ(共有地)だというのが
みえてきたのですが、どうも実像がみえません。

で、今年の春にでも、かつてはアルピニストのはしくれだった夫婦連れ立って
スイスに行こうか、などと語っていたところでした。

そこへ昨夜、NHKでアルプの特集をやっており、かなり概要を
知りました。放映されたアルプは、7家族150頭ほどの
牛をそのアルプに放牧しているようでした。

アルプの上部は岩山ですから、雪解けと一緒に牧野には岩や石が
ずり落ちてきて放置すると岩山になってしまうのだそうです。

だから牛1頭に付き10時間の整理義務があり、子供たちは、この岩の
片づけや、乳しぼりを手伝っていました。子等はそこで大人になるのだそうです。

美しいアルプはメンテナンスの成果であることは、心温まることです。
子供らが麓からあがってきてひと夏、そこで嬉々として手伝う光景は
羨ましくなるものでした。

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セラピスト「薪ストーブ」  土地の魂

山仕事は、大雪が降る前に形を作ろうと思って通い詰めると、
つい小屋に行く回数及び時間が少なくなり、結局、薪ストーブと
いる時間が持てなくなります。

今日は昼過ぎから、小屋にうつり、ごろごろしました。背中にぬくもりをかんじるだけでもう、眠くなります。室温はまだ一桁なのに。 クリックすると元のサイズで表示します
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NPOの法人登記を終えて  社会

昨年10月15日に法人の認証を申請した「NPO苫東環境コモンズ」が、
ちょうど2ヶ月半たった年明け1月4日に北海道知事の法人認証をうけました。

さらに法人格を得るための登記の手続きをして、1月7日、法人登記を
無事淡々と終えました。これから道税の手続きなど若干残っていますが、今日の午前、残りのやりとりを終了しましたので、まず、所要の法令に基づく手続きは完了とあいなりました。これで正式に「特定非営利活動法人」と名乗れます。(名乗ッテモ、タイシタコトナイケドネ (^_^;)

関係者の合意形成に動き出したのがおととしの春でしたから、ほぼ1年半が過ぎたことになります。ふり返ってみますと、地域に根ざした、こういった「公」をたちあげていくというのは、山も谷もありますけれども、まあ、人生の冥利に尽きます。公私を行ったり来たりしますが、基本的に「悦働」です。

社会や困っている方が求めているすき間は、いくらでもありますから、
是非これから回りにもおすすめしたいところですが、今、法人格を得る
のに最も面倒なのがNPOだと言うことになり、もういきなり、会社等を
めざすのも大事な選択肢だと言われていますね。

新政府の「新しい公共」関係の新予算の骨格が発表され、事業型NPOは
その内容の把握に賢明です。先週の1月8日午後は、その「NPO政策検討会」に顔をだしてみましたところ、その緊張感はなかなかでした。施策の利用(助成など)は頼もしい支援ではありますから、追いかける意味は
十分ありますし、社会における存在理由とも直結します。

時代は、まちがいなく、行政頼みから、自分たちことは自分たちで、の
体勢に移ろうとしています。雇用や医療、福祉などの社会保障そのものが雇用に直結するのが昨今の大きな特徴のように見えます。

つまり、このまえまでは公共事業という雇用が力をもってきましたが、福祉や教育等の分野が新たな公共を巻き込んで雇用を創ろうとしているようにもみえます。

こういう、社会のグランドデザインが改められる時期に必要な視点が、
「生活保障」なのだそうです。宮本太郎氏の「生活保障」(岩波新書)は
そこにふかくコミットしています。

あ、ちょっと違う話に流れました(^_^;)

最近の当NPOのHP↓

http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html クリックすると元のサイズで表示します
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ついに紙切れに…  社会

JALの株が紙切れになりました。

もとはといえば、娘の帰省とわたしの実家の母を見舞う帰省用
にと、割引券をあてにして購入したものでした。

事前調整型法的整理。国民45万人の株主は見事に捨てられましたが、契約は冷徹ですから恨み言は申しません。が、前原さんはこういうときの言葉選びがある意味、下手というのか別格です。「国家権力」を久々に意識させる口吻でした。

流れは財務体質の改善というのですが、残念ながらわたしは、兆の額で
支援する効果は期待できない。そんなこと、出来たためしがない、と思います。

また一方で、国の施策に翻弄されてきた面もある程度理解します。
それは夕張がそうであり、北海道自体もそうであり、わたしのいた
国家的プロジェクトもそうでした。

しかし魔物のもうひとつは地元など根っこの「組合」。しばしが主客が転倒するのですね。集った「員」の利益が優先する。地方自治体のある組合関係者に
この地益誘導の不公正さを言うと、「団結しなかったあなた方が悪い」
という言葉を浴びたことを思い出します。

わたしの場合は、社長も業務中枢も某・国の金融が仕切ってきたの
でしたが、破綻時、その金融は急遽、債権者側にでんと構えました。
もとはといえばトップはいつも大蔵OBでした。JALというところも
じつはこの自己増殖、責任転嫁機構がしみわたって、自己認識も
改革も出来ないところまできていた、ということだと諦めました。わたしが
馬鹿だった、と。

話しはやや飛びますが、地域開発は、国や金融にとって、ただのフローである…。
いや、行政やプロジェクトに携わる多くの人にとってもほとんどそうである…。
これは、わたしが、後年気づいて、驚き、さびしく理解したことでした。

(では土地の氏神さまはだれがどうつきあうのだ!…わたしが付き
合うNPOは、ただここにコミットするものでありました (^_^;)

話が大分それました。「それる」、というそのことを書きたかったようです。
それる?なにから? もともとから。そこにミッションの維持管理が要る、と。

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生きる壁  北海道と自然

昨日は、年明け初めての森をつくる山仕事をしました。

森づくり、というと、地球にいいことをする典型みたいな印象をもたれますが、実はきつい、危険、汚い、俗に言う3kの見本のようなものです。

でも、混んだ木を抜き切りしたり、ブッシュカッターで雑草を刈ったりするような、社会ではまずどうでもいいような作業、いわば瑣事をこなすということに、実はとても幸福感があります。きのうはその幸福感がとても強い日でした。

この山の瑣事には、今まで給料をもらいながらやってきた仕事とまったく見劣りしないような手ごたえが、あるんです。なぜかは良くわかりません。こんなことが幸せなら、世の中の人、みんな、不幸な人などいない、といえるくらい(爆

その山仕事で、写真のようなモノをみつけました。なんだと思われますか?

これは大きなトドマツの枝の下であえいでいた、やや小さなトドマツの梢のさきっぽです。上へ真っ直ぐ伸びようとする芽が、隣のトドマツの大木の枝に触れて枯れ、翌年、また別の2番手が伸びて枯れ、3番手、4番手、、、10番手あたりまで挑戦しては枯れてきた、つまり、行く手の壁に阻まれて生きるのを断念した形跡が見えるのです。

こうなると、樹木はこの梢をすて、光の当たる下の枝に希望を託していきます。それも困難なら…、これはしばしば伐ってみてわかるのですが、自ら枯れていきます。

この現象に、人間の希望と絶望と死を重ね合わせて暗喩を読み込んだこともありましたが、今は「よしよし、ご苦労さん」と伐ってあげるだけ。林全体の再生に発想を転換します。この輪廻転生を目の当たりに見ることに、森羅万象との一体感とか安堵というのが潜んでいるのかもしれません。が、やはり良くわかりません。

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1月3日の日の出  土地の魂

1月3日、朝7時6分ころから、快晴の日の出ショーが始まりました。
家から南へ2kmの海岸、気温マイナス5℃、朝日は襟裳岬沖あたり
から昇ります。

みなさまとご家族に、幸多かれ! クリックすると元のサイズで表示します
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日本という方法の発見  コミュニティ

外はシンシンと雪がつもり今10数センチになりました。

今、松岡正剛著『誰も知らない世界と日本のまちがい』を読み終えました。以前、Kさんが書評↓を書いておられたものです。

(わたしがかかわる北海道の地域sns「どっとねっと」です。登録して参加できます)
http://www.hokkaido-sns.net/OpenPNE2/public_html/?m=pc&a=...

要点はKさんが的確に記述されましたから、わたしは、混沌から飛び出すのにヒントになりそうな、正月らしい興味深かったセンテンスだけをちょっと紹介しましょう。

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…「(以上、のべてきたような)アメリカン・リスク・マネジメントの趨勢に対決できるのは、ひょっとすると、、このような日本人の「小さな変化」を見立てられる力なのではないか、…また天変地異をひょいひょいと自然哲学や俳諧にしてしまう才能が、新自由主義の金融工学にはむかえる力ともいえるんじゃないか…」

ある段階から次に移るときに、予想もしなかった創発が起きると前置きし、それはいわば日本の水田の苗代なんだ、と述べてから、

「特に苗代や植木鉢をいろいろなところにつくっておくこと、…にヒントがある、そこに「日本という方法」の発見もある…」

「われわれは、そこにいて、そこの不在者になってはいけない…」

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最後の1行は、正剛氏最後459pのメッセージなんですが、かなり強烈なメッセージだと思います。伏線として、近代社会は「代理の社会である」ということがあるようです。政治は政治家に、旅行は旅行代理店に、美味しい食事はシェフに、教育は学校に、ことごとく他者に任せる社会というわけです。

だからこそ育児や家族や身近なネットワークなど、ぎりぎりの接点から逃げずに、「今」にコミットせよ、とも受け取れます。わたしの関係で言えば、「森林は地球環境を守る」「CO2に欠かせない」などと言ってないで、五感で感じ取り、「リラックスする」「気持ちいい」「薪の暖は格別」などという具体に突き進んでいくべし、と取れます。

ここのところが実に希薄になってしまっているのは事実ではないでしょうか。本当はそうでなくて、つまり、眼前の「今」への対処にしっかりとした
大きな意味がある、と。

展開された世界史解読と世界観はHelvetia さんを連想させました。博覧強記についていくのは困難でしたが470pは混迷の日本を展望してみる上でかなり刺激的な視点にあふれていました。
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