セントラルパークと公園緑地願望  林とこころ

先週末の金曜日の夕方、コモンズの研究会の打ち合わせでニューヨークのセントラルパークが話題になりました。マンハッタンにある340ha、外周9.7kmのこの人工の公園の管理費は年間25億、その85%はCPC(central park conservancy)という民間のNPOが集めているといわれています。

そしてその資金を提供するのは、セントラルパーク近隣の個人と企業だといいます。参加する市民ボランティアは400人。「公園が繁栄し続ける限りは周囲の不動産の価値は高まり、そこにビジネス機会も生まれ、都市は繁栄する。また豊かな自然環境によって健全な市民生活が保たれ、人々の日々の活力もここから生まれている」(agora
special may 2010から)。CPCとNPOコモンズは全く縁もゆかりもないですが、このキモチはとてもよく通じるような気がします。

この公園のデザインコンペが始まったのが1857年といいますから江戸時代末期。英国のハイドパークやパリのブローニュの森のような、都市住民が憩う公園がないというニューヨークの実情に対応したものと聞きます。わたしは縁あって、個人的にハイドパークもブローニュの森も歩いてきましたが、都市のど真ん中のオアシスという点では、どちらもすごい存在ですが、ブローニュの森のほうが、フットパスだらけの、よく歩かれている感じがしました。そして広葉樹が多くバルビゾン派の描く光景を彷彿とさせます。

北大研究林はこのふたつの都市林よりはるかにワイルドですが、わたしたちの苫東・勇払原野のフィールドは、さらに田園の中の放棄地ですから、原野に戻ろうというプレッシャーが強い野性味いっぱいのところということになります。今回の話題で、人々の憩いの願望、ミドリへの憧れ、というのを久々に思い出し、一稿したためることになりました。

写真はwikipediaから。クリックすると元のサイズで表示します
雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
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ヘビの抜け殻に思う  林とこころ

このところ、丸太小屋でヘビとの出会いが続いていることから、ちょっとどんな意味が隠されているのか、いないのか、ちょっと考えてみたくなりました。恐らくは、ただ、彼らが住みやすい環境だ、と言うことだけでしょうが…。

実のところ、里山の雑木林にあの丸太小屋を建てた当初から、空間は「ヘビ」(恐らくアオダイショウ)と縁が深かったようです。そのうちに「ヘビ」という呼称は「ヘビちゃん」というちゃん付けになり、「ミドリちゃん」という個別名称に変化しました。種類の名称ではなく、長くつきあわざるを得ないこれからのことを感じ取り、自然と愛称に変わっていった、と読むこともできます。、

ところが、「ミドリちゃん」は単一でなくやがて二つになり、今年は抜け殻が3つ発見されました。里山の雑木林は折りしも、生物多様性の宝庫と目され、その保全は国家の焦眉のように目されている傍ら、昆虫や爬虫類を含む多様世界は、決して本音で人びとに歓迎されてはいません。

「ヘビ」を特徴づけているのは、「信仰」上の扱われ方ではないでしょうか。wikipedia では、「足を持たない長い体や毒を持つこと、脱皮をすることから「死と再生」を連想させること、長い間エサを食べなくても生きている生命力などにより、古来より「神の使い」などとして各地でヘビを崇める風習が発生した」とあります。

キリスト教などでは邪悪な悪魔に仕立てられ、悪魔の化身またはそのものとされているようです。ギリシャ神話では生命力の象徴、インド神話ではナーガと呼ばれる蛇身神が宇宙の創生に重要な位置を占め、これが中国の竜のモデルの一つになったとされているようです。

欧米では医療や医学を象徴するらしく、WHOのマークになっているとか。日本についてwikipedia では、「ヘビは太古から信仰を集めていた。豊穣神として、雨や雷を呼ぶ天候神として、また光を照り返す鱗身や閉じることのない目がカガミを連想させることから、太陽神における原始的な信仰対象ともなった」とあります。男性神であったり女性神であったりしますがともかくも人の力の及ばない、ある独特の地位を与えられていることは間違いないようです。

話をぐんと身近なことに寄せてしまえば、この「長い神様」はわたしたちの小屋には無害であり、悪さはせず、片方の何でも食べてしまうネズミにプレッシャーを与え押さえてくれる益獣、益ハ虫類といったところです。

ただ、何となくの心配は、密度。冬山に訪れる無人の温泉場の浴場に、たくさんのヘビが越冬しているような、あずましい環境が好まれてどんどん増えてしまったりするのはちょっと困ります。なにせ、大勢のボランティアが行き来する作業小屋ですから、びっくりさせないことです。まして北の森カフェを開店しようというのですから、そこはどうすればいいでしょう。むしろ見える方が森らしくて自然?

そ、ミドリちゃん達の最大の欠点は、人を驚かすことができる、ということでしょう。とりとめのない話になってしまいました。いずれまた、つづきを。

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心身のゆがみと付き合う  林とこころ

1年ほど前、自宅近くに保険の使えるはり灸マッサージ&整骨の治療院が開設し、これまでの非保険の治療費に小遣いも家計の医療費も侵食される現状に危機感を抱いて、先日、初めて訪問。

その若い施術士とは気軽に話をかわすことができます。施術士は「誰でも歪むから要はバランスなんですよね」といいながら、電気マッサージと手わざを使ってくれます。即効性ある快癒を患者は切望するものですが、いやいや、ゆっくり自律的に歪みを小さくするしかない、という地味なメッセージは説得力があります。

初診1300円、2回目540円。これまで一桁違います。

実はこころの歪みも同じことがいえそうです。この歪み、ひずみこそ、よほど念入りに己を無にして観察しないとわからない。基本、人のこころはすぐマヒする。ヨガの教え、先達の一言、ブッダの言葉の数々、キリストの導き、なんでもいい、毎朝あるいは寝る前、少しでも立ち止まってみたい。こころと身体が、自分にケアを求めていることに気づいている方と、たまにお会いし静かな対話を経験するのは、至上の楽しみでもあります。

写真は黒松内のフットパス(本文との関係はありません・笑い)

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都市と農村の不等価交換  コミュニティ

広井良典著「創造的福祉社会」を読みながら、いくつかの発見とインスパイヤがあり、実はまだ読み終えることができません。考えながら読む、というのは楽しみでもあり、インスパイヤを反芻しメモしつつ読むという行為は本当にはかどらないものです。

ここまで読んでとても印象深かったのは、まずセーフティネットの構造。生活保護〜社会保険〜雇用という進行軸の先に、新たなセーフティネットをボンヤリと図示しています。

雇用というプラットホームにさえ戻れば、積極的な意味のセーフティネットはある程度維持できるという考え方は、宮本太郎氏の交差点型社会に通じるものとみましたが、その先の新たなセーフティネットとしてあるものは、実はまだ示されていません。ただわたしは、シェアする社会、コミュニティ、寄付やお布施の世界ではないか、と勝手に閃いています。これはおいおい、考えて肉付けしていきたいベクトルです。

もうひとつ、心に残るのは「不等価変換」。なぜ、農村社会は都市にさげすまれる位置関係になってしまったのか。日本人はクチでは自然や田舎をこよなく愛しているかにいいながら、一向に都市の便利さから離れようとしない。地方の魅力によつに組んだ行動がない。

その答えとして、農村と都市の間に不等価変換のメカニズムがあるというのです。手っ取り早く言うと不当に農産物が安い。春から秋まで時間をかけて育てたものに対する対価が、余りに安すぎる。したがって雇用のマーケットとして機能していないし、後継者も出てこないと言うことになる。

これはグローバリゼーションによって、農産物価格が海外価格に抑えられているせいだといえるでしょう。しかし、先月スイスにいって目からウロコが落ちたのは、スイスは高い自国の農産物で自給しながら、農村物価格が多少高くても、その国土保全の担い手である酪農業者がそれで自立できるなら高くないという合意形成ができていると言うことでした。

農産物はコミュニティにおけるケアも同じで、時間をかけたこれらは単純な市場経済に向かないというとらえ方は新鮮で、そこに公的な支援が必要だというわけです。

今回の原発事故で、わたしたちは原発の不経済を市場に織り込んでいないことを知らされました。外部不経済を無視して、リスク管理も結果的におろそかなまま突っ走ってきた。このように外部化してしまったもののなかに、「こころ」「林(森林)」「倫理」などもあるのではないか…。

まだ半分しか読み進んでいないのに、もうすでに一度読み返してみたい願望に駆られます。モヤモヤしていたわたしの中の問題意識が、ソーシャル・キャピタルの視点も大いに援用してなにか、どっと明かりが見えてきそうな、そんな予感がするのです。いい書籍に出会えたことにとりあえず感謝。


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