都市と農村の不等価交換  コミュニティ

広井良典著「創造的福祉社会」を読みながら、いくつかの発見とインスパイヤがあり、実はまだ読み終えることができません。考えながら読む、というのは楽しみでもあり、インスパイヤを反芻しメモしつつ読むという行為は本当にはかどらないものです。

ここまで読んでとても印象深かったのは、まずセーフティネットの構造。生活保護〜社会保険〜雇用という進行軸の先に、新たなセーフティネットをボンヤリと図示しています。

雇用というプラットホームにさえ戻れば、積極的な意味のセーフティネットはある程度維持できるという考え方は、宮本太郎氏の交差点型社会に通じるものとみましたが、その先の新たなセーフティネットとしてあるものは、実はまだ示されていません。ただわたしは、シェアする社会、コミュニティ、寄付やお布施の世界ではないか、と勝手に閃いています。これはおいおい、考えて肉付けしていきたいベクトルです。

もうひとつ、心に残るのは「不等価変換」。なぜ、農村社会は都市にさげすまれる位置関係になってしまったのか。日本人はクチでは自然や田舎をこよなく愛しているかにいいながら、一向に都市の便利さから離れようとしない。地方の魅力によつに組んだ行動がない。

その答えとして、農村と都市の間に不等価変換のメカニズムがあるというのです。手っ取り早く言うと不当に農産物が安い。春から秋まで時間をかけて育てたものに対する対価が、余りに安すぎる。したがって雇用のマーケットとして機能していないし、後継者も出てこないと言うことになる。

これはグローバリゼーションによって、農産物価格が海外価格に抑えられているせいだといえるでしょう。しかし、先月スイスにいって目からウロコが落ちたのは、スイスは高い自国の農産物で自給しながら、農村物価格が多少高くても、その国土保全の担い手である酪農業者がそれで自立できるなら高くないという合意形成ができていると言うことでした。

農産物はコミュニティにおけるケアも同じで、時間をかけたこれらは単純な市場経済に向かないというとらえ方は新鮮で、そこに公的な支援が必要だというわけです。

今回の原発事故で、わたしたちは原発の不経済を市場に織り込んでいないことを知らされました。外部不経済を無視して、リスク管理も結果的におろそかなまま突っ走ってきた。このように外部化してしまったもののなかに、「こころ」「林(森林)」「倫理」などもあるのではないか…。

まだ半分しか読み進んでいないのに、もうすでに一度読み返してみたい願望に駆られます。モヤモヤしていたわたしの中の問題意識が、ソーシャル・キャピタルの視点も大いに援用してなにか、どっと明かりが見えてきそうな、そんな予感がするのです。いい書籍に出会えたことにとりあえず感謝。


雑木林&庭づくり研究室
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NPO法人苫東環境コモンズ
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