自分をブランドにする  コミュニティ

ミクシィ型地域SNS、twitter、フェイスブックと使ってきているうちに、この
奇妙な手ごたえと違和感はナンなんだろうと思うようになっています。そこへ
google+が登場して、テレビ会議や半オフ会の飲み会をするようになって、
これが今もっとも新しいソーシャルメディアだといわれるに及んで、今度は
どこまで進化し、人々はついていくのか、と心配になる始末。

わたしの場合、違和感は特にfacebookに強くありましたけれど、それは、
自分を押し出し売り込む姿勢に、自分にはない高いエネルギーが見て取れたからでした。
ぼそぼそと仲間内の会話が異質に思うほど、新しい仲間を求めて拡散しようとします。

でも、何となくわかりました。やはり、自分をブランドしている方、しつつある方、
ビジネスや研究などでネットワークを拡大する指向を目指す方に、かなり向いている
ということです。反面、自分を売り込んでいったり、積極的に交友関係を拡大しようという
動機の少ない方、これらの方にはちょっとまぶしすぎる。わたしは後者に入りそう。

でもさらに考えてみると、押し出しの強さ、強弱は程度差であって、人は本来、
自分というアイデンテティを定番商品=ブランドととして「慈しんで」いるのではないのか。世界中に二つないブランド、オンリーワンを、日々生活を重ねることが結局そこへ
つながっていくのではないのか。オレはブランドなんかじゃない、といいながら。

華やかな交流には引っ込み思案な自分ではあっても、死ぬまでひっそりと自分というブランドを磨いているんだ、と思えば、なんかほっとするのです。木彫りを掘り込んで完成して
ぽっくりあの世にいくような。

わたしのfacebookは、大勢の人がセルフブランディングする光景を見させてもらう、
そんな場になっているようです。


雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
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雁とお月さま  林とこころ

昨日は満月、今日はもう十六夜。十四夜は小望月(こもちづき)と呼ぶようですが、
その夜遅く、南中にさしかかった頃、ベランダで椅子に座っていると、ガンの群れが月を
南西に横断していきました。

夜更けや朝方、布団の中で聞こえてくるハクチョウやガンの渡りのときの鳴き声は、時に悲しげ、またあるときには勇気に満ちたものに感じます。どちらかといえば、悲しげに聞こえるといっていいでしょうか。

万葉集をみると、夜や朝まだきのガンの声にはかように反応しています。


  さ夜中と夜は更けぬらし雁が音の聞こゆる空ゆ月渡る見ゆ

  我が宿に鳴きし雁がね雲の上に今夜鳴くなり国へかも行く

  朝に行く雁の鳴く音は我がごとく物思へれかも声の悲しき


花札模様が象徴する花鳥風月をみて、かつ万葉の歌を見ていると、のどかな
光景に見え、万葉人がいかにもゆっくりズムの平穏な日々を送っていたのだろうかと
推察もできます。

しかし、恐らくは、花鳥風月というのは、自然界と人をつなぐ窓のようなもので、
人々は全身全霊で自然を気候の情報、芸術、療養などなどさまざまなヒントを
そこから得ていたのではないか。花鳥風月との付き合いはのどかさではなく
緊張にも近かったのではないか。

忙しく立ち振る舞う現代のわたしたちが、なにか進歩、進化の形にあるかどうかは、
軽々には全くいえないんだ、と思っています。
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都市が排除したもの  北海道と自然

昨日は、久々の小春日和みたいな、からっとした天気でした。
きっと、生きとし生けるものすべてが快適と感じるような、そんな空気。

そんな日には、結構、カナヘビ君が出てきます。昨日、今季初めて
彼(彼女)と会いました。尻尾が切れておなかがぷっくりの、チェンソーの音にも
ひるまないで冥想テラスの枕木の間を出たり入ったり。

驚くことに、昨日は今年5本目のヘビちゃんの抜け殻を発見。2,3匹は
いるとしても、今年、かなりの成長があったのでしょうか。やはり、成長が
よければ複数回脱皮するといいますから。

思えば、これらハ虫類やコウモリなどは、都市の内部ではほとんど見かけなくなった
ものの典型ではないか。住み場所がない。住み場所とはまとまった植物的自然とすき間。
これらを徹底的に追い出した都市は、ついでに自然とともにいるアメニティを
排除し、揚句、アメニティを感じる感性も失いつつある。現実は、都市の環境を
息苦しいと思う人は、そのつど、観光やレクで直接現場へ出向け!、と。

========

以上のような日記を「どっとねっと」にアップしたら、年配のYさんから
下のようなコメントがきました。

>昔よく見た風景です。今、こういう小動物をみると、懐かしく、
>何となくほっとするような。(^^)

そうなんですよね。昔はみんな、多様な生き物と一緒に住んでいたんです
よねえ。
今は、便利優先の都会に住みますから、考えてみると、
ただただ徹底的に、人とペットだけにした世界ですね。養老猛さんは
「よせばいいのに、体の自然まで追い出しちゃった」という意味のことを
言っています。これは意味深です。

体の自然といえば、人間の身体こそ、宇宙の法則と相通じた仕組みで
動いているのではないか。人間は科学を自慢するが、まだ生命を作ることは
できない。与えられた生命をせいぜい生き切るだけです。

都市と自然、都市と人間、人間と自然。
これに対して、ひとつの理想は、適度な都市と適度な自然。わたしなら、
野生生物もすむ本格的な都市林を夢見ます。3000〜5000ヘクタール。
前述した300ヘクタール程度のセントラルパークではわたしは物足りない。



ところで、札幌のヒグマはどうしたのでしょう。三越のそばでみかけたり、今朝の新聞では南16西10の石山通を横断したというじゃありませんか。確かに、ドングリはあまりなっていないようです。





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加齢のほうび  林とこころ

10月に入った途端、ぐんと冷え始めて早速石油ストーブをオンにしました。
先週あたりから夏物の半そでシャツなどを片付けだして、今朝はもうフリースを着ようかと
迷うほどでした。

この頃、加齢のおかげか人生が随分楽になった、と思うことがよくあります。大きなことは、心配や不安、取り越し苦労がなくなってきたこと。

たいていはなんとかなる、今心配しているのは妄想であることを、こころと体が学習して、
少しもあわてず、前向きにやろうよ、と結論をだすのです。これは大助かりです。理性が
そういうメッセージを出している、というのでもなく、体が、こころが、そうしているとしかおもえない状態です。

他人を否定したり、攻撃的になったりということも少なくなりました。自分自身が許せる存在であると同様、周囲の方々にもナマイキのことを言わず、OKのメッセージがだせるのです。こんな楽なことはありません。

これらは人間的に成長したのか、ボケたのか、感性が鈍っただけなのか。それも詮索しないで置こうと思います。ただ、いずれも少しずつ当たっているような気もします。

話は元にもどって、昨日は、もう晩秋のキノコである「エノキタケ」(写真)が出始めていました。なにか、冬の覚悟をもっとも象徴する光景でした。

で、こんなことを書き連ねる安らかさを、今日は喜びたいと思います。外はにわか雨が止んで、青空が広がってきました。



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