家で死ぬということ  社会

昨夜のNHK番組「「家で死ぬということ」をご覧になった方もいらっしゃる

のではないかと思います。

http://www.nhk.or.jp/nagoya/ie/index.html

特に田舎を世界遺産を誇る白川郷に代表させずとも、地方の人とコミュニ

ティと風土に根ざして生きて、そこで見取られて死んでいく普通の高齢者

(ここでは老婆)の「生」の重みが残る番組でした。


「看取る」という時間は、送るほうにとっても送られるほうにとっても、

人生のドラマのピーク。できれば身内だけでなく世間というもののなかで

死にたい、という願望を自分も強く持っていることに気づきます。

では、そういうコミュニティの付き合いをしているのか、という問いかけも

自然と沸きます。そしてまったく出来損ない状態に近いことを知ります。



涙が止まらないので、ままよ、と手で拭きながらいると、

そばで家内も同じようなことをしていたみたい。こういうときは、お互い、

見ないのがルール(笑い  地域で生きるということの全体像を思い浮かべて

あたたかい気持ちにもなりました。クリックすると元のサイズで表示します
雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
3

ソーシャルメディアと「情報の粒度」  社会

しつこいようですが、コミュニケーションのツールについてまた書きます。

先日、熊本の友人からデコポンが届きました。お互いの安否を気遣いながら、地域の産品を送ったりもらったりというありふれた行為が、数人の昔の友人の間で、年間を通じてポツポツと続きます。このところ、人をつなぐインターネットツールがいろいろ言われますが、わたしはどうも、こんな風に送ったりもらったりする際の、原始的な交歓方法という原点は揺るがないような気がしています。

つまり、手紙や飲み会やメールやなにやらの、どちらかというと直接間接「会う」というシンプルな軸があるのではないか。年末年始から、手紙とはがきのやりとりが続いている内に、なんだか気分的なものが相当代わってきた。その「会う」とか手書きの文章を読むとか、という拡声器を用いない会話、これの存在感、スローさ。

そのあたりのメインテーマというかバランスをくずすと、人はネット不安定に陥る…。そして「できるだけたくさんの人とつながっている方が、少ない人より幸せである」というのはウソだと大体が気付き始めている。そこに横たわる価値観は、そこそこ暮らせればいい、というようなものだ。できるだけたくさんの人に知らせて、買ってもらうという図式がすべてではない。

得票しなければならない政治家、できるだけ多くを買ってもらう市場関係者、などのほかに、内気な市民もいるし、人前に出たがらない人も少なくない。そういう意味では、地域snsに積極的だったりfacebookに熱心だったりする方々は、わたしの周りではかなり少数派だったことに気付く。

小樽商大で情報システムを専門にしているF先生が「情報の粒度」というものを言っていました。深く考えたい時に得る情報源はここ、広くたくさんの時はこっち、と言うように、その細やかさの必要度によって使い分けるのである。これ以上でもこれ以下でもないような気がする。

facebookに脅迫されたようなつながりと発信の社会ですが、人びとはもっともしっくりいくツールと使用バランスをつかもうとしている。facebookもtwitterもその点でとうてい生き残れない。


雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
6

幸福のスピルオーバー  社会

稲葉陽三著「ソーシャル・キャピタル入門」を読んでいましたら、
幸福の伝播に関する項が出てきました。信頼はより強い信頼へ、喪失は一層の信頼
喪失へ。規範も同様。以下、引用。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
…社会関係資本には幸せを運ぶスピル・オーバー効果もある。自分が幸福だと
周りの人も幸福になるというものだ。アメリカでは1983年から2003年まで
4739人を追跡調査したデータを用いて、幸福は人びとの間に伝播するという研究
結果が2008年に発表された。幸せな友人が半径800m以内にいると、本人も
幸せに感じる確率は、そうでない場合と比べて42%高まり、距離が1.6kmに
伸びても幸せになる確率は25%高い。この幸せの伝播は3次の隔たり、つまり友人の
友人のそのまた友人まで有効で、逆に不幸は幸福ほど他人に広がらないという。
つまり、幸せは人のネットワークのなかで増殖力があり、かつ不幸と幸福の広がりは
非対称的だという。また、ネットワークの中心にいる人のほうが、ネットワークの端に
いる人より幸福だという。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

幸せ、などというとなんだか浮世離れした甘っちょろいように受け止めがちだが、
どっこい、社会の真ん中にあるキーワードだ。経済や成長豊かさも、結局、この幸せに
向かっている。

しかし、ほんとかい、とつっこみたくなるような話でもある。その一方で、恨み辛みを
ぶちまけて周りを不幸にしていく姿を見たことのある人も少なくないはず。幸せも
不幸せもスパイラルに、昇り、下る。その実感は、ある程度長い人生をくぐった人なら
共感が持てる。

幸せな人を冥想する人に置き換えた話を、もとソニー役員の天外伺朗氏はする。
100人に一人の割合で冥想する人がいるコミュニティは、それ自身が
プラスへ進化していく、という趣旨だったと思う。冥想は、つまるところ、
菩薩のような成就を願うから、願い・祈りがすでに一つの規範を示していく行動に
現れるからだろうか。それとも積極心を養うからか。

ネットワークの中心にいる人のほうが効果が高い、と言うのも積極心とつなげると
ムベなるかなと思える。各々がつながりの主人公になる社会、本来そうあるべき
ところがそう行かないのも個性だ。太陽のような人ばかりでなくてもいい。はしっこに
いたほうが心落ち着くし、幸せと言うこともある。それを認める社会であればいい。
雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
6




AutoPage最新お知らせ