ソーシャルメディアと「情報の粒度」  社会

しつこいようですが、コミュニケーションのツールについてまた書きます。

先日、熊本の友人からデコポンが届きました。お互いの安否を気遣いながら、地域の産品を送ったりもらったりというありふれた行為が、数人の昔の友人の間で、年間を通じてポツポツと続きます。このところ、人をつなぐインターネットツールがいろいろ言われますが、わたしはどうも、こんな風に送ったりもらったりする際の、原始的な交歓方法という原点は揺るがないような気がしています。

つまり、手紙や飲み会やメールやなにやらの、どちらかというと直接間接「会う」というシンプルな軸があるのではないか。年末年始から、手紙とはがきのやりとりが続いている内に、なんだか気分的なものが相当代わってきた。その「会う」とか手書きの文章を読むとか、という拡声器を用いない会話、これの存在感、スローさ。

そのあたりのメインテーマというかバランスをくずすと、人はネット不安定に陥る…。そして「できるだけたくさんの人とつながっている方が、少ない人より幸せである」というのはウソだと大体が気付き始めている。そこに横たわる価値観は、そこそこ暮らせればいい、というようなものだ。できるだけたくさんの人に知らせて、買ってもらうという図式がすべてではない。

得票しなければならない政治家、できるだけ多くを買ってもらう市場関係者、などのほかに、内気な市民もいるし、人前に出たがらない人も少なくない。そういう意味では、地域snsに積極的だったりfacebookに熱心だったりする方々は、わたしの周りではかなり少数派だったことに気付く。

小樽商大で情報システムを専門にしているF先生が「情報の粒度」というものを言っていました。深く考えたい時に得る情報源はここ、広くたくさんの時はこっち、と言うように、その細やかさの必要度によって使い分けるのである。これ以上でもこれ以下でもないような気がする。

facebookに脅迫されたようなつながりと発信の社会ですが、人びとはもっともしっくりいくツールと使用バランスをつかもうとしている。facebookもtwitterもその点でとうてい生き残れない。


雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
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