フィンランドの万人権  社会

19日からヘルシンキに来ています。今日はもう5日目で、夕方の飛行機で日本へ戻ります。
13日の深夜英国ブリストルについてからあっという間でした。

英国ではコモンズという土地と権利について、フットパスの協会やコモンズの権利運動の
民間の地域リーダーにお話を伺いましたが、ヘルシンキでは、フィンランド特有の
万人権、英語でeveryman's rightという不思議な権利について、今度はどちらかというと
官側、研究者の方々にヒアリングしました。

なぜフィンランドの万人権に関心を持ったかといえば、北海道や苫東コモンズに象徴的な
誰かの土地に勝手に入ってハスカップやきのこをつむ暗黙の権利、あるいは慣習というものが
ほかの北欧4カ国と違って法律で保障されてはいないのがフィンランドだからでした。

で、特に問題らしいものはないのが面白いのですが、近年毎年のようにメディアの話題になるのは、
ある会社がタイ人をやとって大量にベリーを摘んでビジネスにしていることです。しかしそれでも
禁止したりするところにはいたっていない。

私たち3人が日本から万人権のヒアリングに来るといういうことでヘルシンキ大学の問い合わせたところ、ヘルシンキ大学では法学部系の学部長が関心を持って、それではということで万人権に
関心のある先生に声をかけ、ヘルシンキ大学だけでなく各地から10人近い先生方が集まった
というわけです。

日本からわざわざ聞きに来る万人権とはもそもなんぞや、ということが話題になったのです。
こういうヒアリングと同時に、オウルのそばに住んでいるご夫婦(通訳してくれた方のご両親)に
実際にヌークシオ国立公園に同行してもらい、いろいろ日常の話を聞きました。

ピッコラさんは63歳で、現在70ヘクタールの森作りをしているというから好都合でした。
そのピッコラさん、自分も他人の土地に出かけ他人もやってくるけれど、万人権なんてきにした
ことがないといいます。

つまるところ、わたしはフィンランドの万人権は、「寛容なソーシャル・キャピタルである」という
結論に達しました。これはまさに北海道につながる概念ということができます。

雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
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英国ウィンブルドンのコモンズ  林とこころ

14日から英国にきておりさきほどフィンランドに移動しました。
昨日18日は、英国に共有地のような場所として、あのウィンブルドンにあるウィンブルコモンという場所に早朝下見し、ほかで用事をたして夕方改めていってきました。

なんだかいい加減な芝地(ヒースと呼ぶみたい)と迷路のような林と、
ゴルフ場がつながったような400ヘクタール。エンクロージャーから
庶民が獲得した歴史をもつ多くのコモンズは、劣悪な生活環境を改善し、
庶民のレクに不可欠だということを、闘いで勝ち取ってきたこれらのコモンズの管理費1億2千万円は、ある資料には1.2km以内にすんでいる
住民の税金だといいます。ニューヨークのセントラルパークでも似たような話を聞きます。

実に大勢の人が、近くに路上駐車してやってきています。いい加減な芝生も獣道みたいに踏み分けだらけ。中学生も老夫婦も乳母車もやってきてまあ、緑地とか公園とはこういうものよ、という感じの使い方には
感心します。路上駐車は町の振興に絶対プラスだと思ってきましたが、
これもわが意を得たりの感じ。公園利用は路上駐車に支えられています。

植生は直径1m以上のオークがごろごろしていますが、日本からいくとびっくりするのがワラビの多さ、そして一面のイラクサ群落。ラフでも憩いの場があればよい。そのコンセプトは簡単なようで複雑な価値判断があるような気がします。クリックすると元のサイズで表示します
雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
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町史の前で  北海道と自然

公民館制度のことをちょっと知りたくて、標茶町史をめくっていましたら
町史考というのも職場のライブラリーにあることがわかって都合3冊を
手にしました。

寛政十二年松前藩士が釧路川を利用して…のような書き出しで始まるそれは、地勢、気候、農業、開拓、市街地形成、釧網線、と連綿と続きます。そしてそれだけで、なんだか胸がいっぱいになってきます。

当たり前のことですが、この分厚い町史からみると、人、一人の営みとか
人生というものは、まあ、虫けらのように些少で、花火のように刹那的で、
エスタブリッシュしたつもりの偉い人の偉業もちっぽけなもので、まるで、
集合としての民の生活こそがとてつもなく偉いものに見えて、そして、
首がたれてきます。

人の一生は、そのときそのときの喜怒哀楽、明憂愛淋(わたしのつけたし)の連続ですが、なあんだ、ちっぽけなものじゃないか、と思わせる
町史というものは、般若心経みたいなものだな、と妙なことを連想しました。(^_^;)
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タグ: 開拓 人生




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