森林が要る、という合意はないのではないか  北海道と自然

表題はこれまで長い間持ち続けていた個人的仮説であります。「日本人は、緑や森林なんて
この世になくても生きていける」と本音では思っている、しかし、形の上では
地球の温暖化防止とか、CO2とか、国土保全で必要だと一応は1票を投じる…。

しかし、生活実感として緑は欠かせないと本気で思っている人は一握りである。
そうではあるがある種の教養のように大事そうに振舞っている…。

例が正しいか微妙ですが、領土でもそうですが攻められる切実感、現実感がないまま、
あるいは対外的な緊張感など全く持ち合わせないうちに、周辺はすきあらばの隣接国が次々にみえてきました。こちらは誰かが守ってくれるものと、人任せのわが世の春を謳歌してばかりいたのでは、対応策も見えてこないのは当然で、下手したら、平和願望があったことすら忘れている、そこへの手立ても思考停止になってしまう…。正直、こんな事態に
変貌するとは思っても見ませんでした。


領土問題や国防と緑の世界は全く違うのですが、切実感、現実的な欲求に根ざすのか
どうかでは振り返るのに、とても底流に共通するものがありそうに思うのです。
これをとり間違うと、取り組みのコンセプトそのものが変わって来る。だから
森林ボランティアというのは国有林や道有林の保育などを手伝うことである、みたいな
思い込みが起きる。




英国には、庶民が緑のなかで憩うことを権利として要求して獲得してきた経験があります。領主に囲い込まれた土地をアクセスする権利を奪い取る歴史、それと、産業革命を経て劣悪な生活環境を改善すべく田園に向かったり緑地open space を獲得しようとしてひとつずつ
庶民の権利に結晶してきた歴史。

そんな英国の庶民の足取りを学ぶうちに、わたしはそもそも北海道のわたしたちに緑への
飢餓感覚はなく、充足への欲求もさほどなく、少なくともオープンスペースが
不可欠の生活空間だという意識は基本的にないのではないか、と思うのです。つまり、
北海道では緑は充足している、と。量か質かはともかくとして、です。

では、フィンランドのように人口密度が北海道より低い国で、緑地など自然享受が
強く求められるのはなぜか、ということになります。都会が息苦しいから森林に
向かうというのとは大分違う。むしろ、森林の環境の快適さ、子供たちの喜びなど、
プラスアルファのQOLのように見えます。英国がマイナスをプラスへ、という
なら、フィンランドはプラスの現状をさらに維持するために。つまりプロアクティブに。

北海道のわたしたちは、都会の便利さに汲々と惹かれつつも、田園や自然はレクとして
時々の楽しみとして訪れる程度で、なんの不満も提示されません。あるのは、自然保護の上ではいかがなものかというサイエンスの議論。貴重種と絶滅の問題。そこに私たち自身の生活実感はありません。

タミ、庶民の緑地願望とは存在するのでしょうか。
アジアモンスーンの、多様な自然に恵まれたわたしたち特有の現象でしょうか?



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雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
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