ヒグマと空間をともにして  北海道と自然

フィールドのそばで、今週もまた見つかった親子熊はどうしただろう。きっと誰にも

見つからないうちにここを去ってくれるだろう。そうして誰とも会わないで往来する

忍者のようなヒグマが、わたしたちのフィールドに往来すること、結果、最も人の行き来

の多いところで、双方がニアミスをしながら生きている。こんな「共存」世界を、

実は密かに誇らしく思う。


人と車と産業が活発に行われている広大なエリアを、数頭のヒグマが誰にも見つからずに

移動している。それを可能にしているのは、緑地の広さとつながり、それと大事なのは、

誰も来ない隠れ場所ではないかと思う。これがあれば、双方、生きていける。思えば、

ヒグマは山にだけいたのではない。里の林も大好きだったはず。ここのフィールドは

ヒグマにとって珍しい里であり、山ではない。このフィールドは極めて特殊だ。



雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
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タグ: ヒグマ 共生

NPO運営  コミュニティ

NPOには、日常的にかなりのアンケートが届きます。できるだけ応答していますが、

道内の中間組織から先般のアンケートの「困っていること、お悩みのことはないか」の

設問には、「なし」と答えました。解決すべき課題はあるが悩んではいないし困っている

わけでもない。


そうしたところが、この結果がとある場所で公表され、助成金を出す側のある担当者が

「困っていることがない、などと応えたNPOは早晩つぶれる」と断言されました。

(←結構ワカイ方) つぶれないで不死鳥のように羽ばたくつもりは最初からないの

ですが、さすがにちょっとビックリしました。が、東京と我らが小さな現場の、感覚的

庶民的ギャップ、これはかなりあるのかもしれないなあ、と直感。


今般の道内のアンケートでは、NPOは資金と後継者不足に悩んでいることになっており、

資金では「入る」を計って出費を工夫すれば、少なくても予算は困るようなことはない…。

あるものでまかなうわけだから。会費収入が3,40万の当方は年間事業費がそれだけ。


後継者については特にいないが、基本は好きで立ち上がったグループも行く末は

自然に任せて、それが先細りで消滅したっていい。必要があれば誰かが別の形でカバー

すればよい。NPOをつくるのなんて簡単だから。そう考える悩みなし、困ったことは

特になし、となる。


なおかつ、世間には別に知られないよう、静かに現場に没頭することで大きな満足感、

言い直せば計り知れない「自己満足」が残るので、365日、毎週の話になる。この感覚に

「ああ、これでいいんだ」と気づく若者が来ないとも限らないが、若いときはいろいろ

やりたいことがあるもの。まして子供の運動会とか、キャンプとか。だからこれは、

基本、おじさん、おばさんたちでいいのだ。悩みがないのは、しかし、常に悩んでいる

ひとからみれば、ちょっとノーテンキに映ってしまうのは、まあ、仕方がない。


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自然治癒力とヨガ  林とこころ

近年、なにか変わったことはないか、と聞かれれば、おそらく、

風邪を引かなくなったことがあげられるのではないかと思います。

15年前まで、仕事でもインフルエンザなど無菌に近いネーチャーの中に

いたにも拘わらず、、頻繁に風邪を引いていたのとはかなり違います。

逆に、周囲に感染性のウイルスが比較的多いだろ通勤列車に乗る毎日

の方が、罹病しない。これはどうしたことか。



その原因を探ると、歳をとったことと運動する時間がなくなったこと以外

にはあまり思い当たることがなく、唯一、あるとすればそれはヨガです。

風邪を引かない=自然治癒力=自己免疫力と考えてのことです。

20年前に心因性と思われる身体症状がでて、それを直すために

わらをもすがる思いでやり始めたヨガ的なものをきっかけに、5年ほど

して本格的にヨガを始めました。



ヨガといっても、日本で流布されるヨガは、ヨガの中のストレッチの部分

の、アーサナであり、それそのものはそのあとにくる冥想の事前過程で

あることはほとんど語られることはないようです。カルチャーセンターが

行われる公共施設が宗教的なことを禁止していることと関係があるようで

す。わたしはアーサナと一緒に、冥想を学び、始めました。



また、本格的、といってはみたものの、わたしのは全く本やDVDや、

他人の話や何やらを総合した自己流で、メンターなしの状況でした。

先達はよく、だれか師に付かないとダメだといいますから、わたしの形は

ダメな、真似してはいけない手法であることは間違いないかもしれませ

ん。



その間違いかもしれない方法でヨガ&冥想をしている間に、先達が禁止

している、師に付かないヨガ&冥想の基本的な意味がわかってきました。

少なくても冥想は、色々な精神の危険、事故が潜むということだと思いま

す。また自己流ではアーサナの間違いを修正することができません。



いわば、そのような警告を辛うじて脇にそらしてわかってくることは、

ヨガ&冥想によるリラックスと、自分との出会いです。自分との出会いが

なんとも身に覚えのあることだと思ったら、それはわたしが一人の山仕事

で浸っていた時間と、かなり相似なものでした。森林に独りで居る時間

は、ほぼ冥想である、近年は無謀にもそんな極論に達しました。



他方、このようなリラックスの時間と繰り返しが、人の免疫力をあげる、

と最近の精神神経免疫は言っています。ヨガの先達が師に付けという、

一般サラリーマンにはなかなか実現できない提示をし、それを見ぬフリを

してそれでもなんとなくわかってきたこと、それはヨガが毎日、実践して体

験体得してたどり着く、自分自身の宗教の道だということです。言葉は

無用とまで言います。



それが心身の健康とどう関係するのか、証明はできませんが、日々、

からだとこころとの自問自答で自ずと知らされてきます。これは驚くべき

ことでした。ヨガは不思議です。教祖がいなくて、自ら学び実践するしか

ない。そうしないとたどり着けない…。



わたしはこのことに気づくことができたのは20年前のこころとからだの

罹病がきっかけであり、さらにはそのときからの毎日のヨガ的生活の

おかげで、風邪を引きにくい身体も、その動機を源とする結果だと思いま

す。これから風邪の季節になりますが、五木寛之がいう身体言語に、い

かに早く対応するか、養生の要諦はまさにそこにあるのではないかと思

います。



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自然保護運動とはなんだったのか  林とこころ

先週末の夕方、札幌駅そばのホテルで行われる集まりで短い講話を
しました。わたしが用意したタイトルは「今,改めて意味が問われる森林」。

森林の意味の移り変わりをフォローすることはわたしの若い頃からの大きな関心事なのですが、話のストーリーをここ1ヶ月ほどああでもない、こうでもないと思案しているうちにたどり着いたことはやはり次のようなことです。

英国は産業化と都市化のなかで生まれた劣悪環境を、民が切実な思いで緑で憩う権利を、それまでのコモンズ利用の復活として法律にしていった。そこには人間としての基本的な欲求として「快適さ」がある。

日本は、戦後の公害と宅地開発が大きく環境を変え、反対運動も起きたが、自然保護の運動の中にとりこまれ、メディアとアカデミズムのパフォーマンスの対象にはなっても民の緑とは直結しなかった。緑はあくまで「理論」的な「解釈」としてしか実を結ばなかった。それで今、日本人の多くは緑はなくても生きていける、と本音では思っている…。

もっと正確に言えば、なくなるまで緑への自分の欲求はみえないのではないか。その証拠に、重篤な病にとりつかれた方々は、自分の大好きな緑環境や景観を身近なところにみつけ、時々密かに訪れることも多いと聞く。そしてそこはなるほどと思える場所ばかりです。わたし自身、気が滅入るときなど、林に入ったものでした。


日本人の緑地観に今、ゆがみがないだろうか、緑地の合意形成はできていないのではないだろうか、と思うことがあり、今日はそのあたりを心身の健康と森林に結びつけてお話しする予定。

ゆがみのもととたりには、自然保護運動が内側に秘めていた革新系メディアと革新派アカデミズムの見事なタッグが見えていたように思うのです。その意味では1980年代後半の知床伐採問題を時間をおいて俯瞰する必要もあるのではないか、とつねづね思うものです。


で、図らずも入り込んでしまった穴から、這い出るのかどうか…。
講話は61歳のわたしがおそらく最年少という奇妙な集まりですが、諸先輩からきっとゆるい叱責の言葉を浴びるかもしれないと覚悟しながら、話し始めたのですが、意外にもとても暖かい賛同を
得ました。それにしても、本当に言いたかったことを言わせてもらう雰囲気というのは、タカラモノだと気づきました。本音を語って相手の本音も伺う。建設的&良心的であれば、これはこの世の表世界ではあり得ないものになりつつある。タカラモノノの意味を考えている。
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