子供たちの将来と教育格差の問題など  社会

ここ数年、地域の社会関係資本いわゆるソーシャル・キャピタルのアンケート調査と
勉強会をしてきて、昨年、「これからの選択ソーシャル・キャピタル」という共著で地域のつながりに関する考察をちょっと書かせてもらいました。

ここのところ、その延長線上には「教育」と「家庭」が大きな課題として残されている、
と言うことになり、勉強会はアスピン・アンデルセン、苅谷剛彦、本田由紀など各氏の
著作を読本として、輪読会のようなものが月一回のペースで進んできました。

わたしは教育者でも研究者でもないので、全くの素人の研究会マネージャーとして
ロジスティックな点からしか関わらないのですが、そこはそこ、教育というサービスを
受けてきた側として、さらに学習は生涯つづくという自覚で実践するものとして、
とても展開が興味深く感じられます。そう、これもいつかきた道です。

勉強会を通じて痛感してきたことは、

・教育の格差が階層格差に連動し
・学習する機会はもちろん、努力することそのものが所得階層の影響を受け、
・それは最終的に一生を左右する

つまり将来の希望まで格差が生じるということでした。
 
 また、ゆとり教育が詰め込みを排除する方向で進められてきたなかで、学習の初期に
詰め込みをする功罪がまだ賛否両論ですが、この年になってくると、詰め込み教育とは、
各自の脳の中に事典と辞書をうめこむものではないか、と考えるようになりました。

事典や辞書は、自分の中に、ある体系を持つときの素材であり、一定程度は不可欠のもので、
そこでは落ちこぼれは作らない、という設定が大事だと考えるに至ります。

さらに、北海道の帯広の農業高校を舞台にしたコミック「銀の匙」を読みながら、実業教育が
培う濃密な人間関係・コミュニケーションは、社会的な動物である人間の
大切な部分を育み、それは大学受験を目指したコースとは違う、真逆の人間らしさの漂う
早熟なコミュニティを作っている。そんな感じがします。

「銀の匙」では、いわば学習の真ん中に、ここで何を学んで生業にどう結びつけていくのか
というテーマ主義があって、そこに集う同年、教師、農業の先達らが切磋琢磨するのです。

今、フィンランドの幼児教育や児童教育が注目されていますが、自分で考える力を
養い、教師はそれをていねいにサポートすることが目につきます。それとテーマ主義
のような部分があるのでしょうか。

先日のフィンランド訪問では、ボーイスカウト、ガールスカウトが楽しそうに何パーティも
バスに乗り込み寝袋の入ったザックを担いで森に入っていく姿を見ました。どうもそこには
大人の引率者がいないようなパーティもありました。 クリックすると元のサイズで表示します
写真は国立公園の夕方。大人が囲んでいる話の中に幼児たちが炉などを囲んで遊んでいる。右手の東屋ではソーセージを焼いている。


雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
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