教育の大本  社会

月刊誌「致知」で池川クリニック院長の池川明氏と筑波大名誉教授村上和雄氏の対談を読みました。「体内記憶に心耳を澄ます」。

一時、「スポック博士の育児書」というのがはやりました。26年生まれのわたしも聞いた覚えがあります。池上氏によると、昭和40年以降に生まれた子供たちに情緒混乱やすぐキレる子供たちが激増したといいます。実は39年に配布された母子手帳から、博士の「泣いてもすぐ抱っこしてはいけない」「添い寝もおっぱいもやめましょう」「赤ちゃんの自立を妨げるから」など、抱っこや添い寝を否定する記述が盛り込まれ、日本ではそれが約20年続いたというのです。

それが事実だとすると、なんということだろうと慄然とします。人は誤謬に満ちた社会に後天的に育てられることもあることの典型です。そしてそのスタートである赤ちゃんあるいは胎児の時間の育てられ方がその後に大きく反映される。

教育の受け方によって、今、その後の人生が決まってしまう格差が問題にされていますが、さらに恐ろしいことに貧困や不幸から飛び出せない再生産されていく地獄。その処方箋がまだ見えていないのですが、わたしは知育と同時に、隅に置き去りにしてきた感のある徳育こそ大本の教育だろうと思います。

そんなことはわかっている、と誰しも言いますが、「価値観の多様さ」という怪物が徳育を阻んでいるのではないかと思います。一時、これを言えば議論が進まないという(金科玉条になった)個人情報、自然を守ろう、持続可能、その他もろもろ。価値観とは多様であるのは結構ですが、これだけは、というのがあるのではないか。たとえば、人生は一生学びだ、とか、他人の恩は忘れるな、とか、天上で神様がみているから悪いことはしてはいけないとか、友達を裏切ってはいけない、とか。

このごろ、教育の重さを、人間の幸せの源泉と並べてみてあらためて驚くことがあります。大本の教育として必要だと思われる人間学のようなものは、単に一人の人格の形成ばかりでなく、企業の経営や行政の舵取りなど全般におよぶ社会関係資本にボデーブローのように効いているのではないか、それをどう再生できるのか、そこが今日本の最大の問題ではないかと思います。時々、現在は人間学が盛んだった頃の遺産で食っているのではないか、と思うこともあります。どうもまた、冗漫な終り方になりました。
雑木林&庭づくり研究室
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NPO法人苫東環境コモンズ
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