こころの垣根  林とこころ

「逝きし世の面影」580pの最終章のテーマは「心の垣根」だった。幕末から明治にかけて訪日した異人たちが、江戸や長崎でふれた日本の庶民世界は結局なんだったのか。西洋の異人たちは、西洋的な心の垣根の高さにしばしば疲れをおぼえ、かたやの日本の庶民社会の垣根の低さを絶賛したが、「それが高いということは個であることによって、感情と思考と表現を人間の能力に許される限度まで深め拡大して飛躍させうるということだった」(渡辺京二)。「そういうこの世界が可能ならしめる精神的展開がこの国(日本のこと)には欠けている」と異人たちは感じた。
 それが市民社会の形成の過程で、ルールや慣習や法律、社会の仕組みに反映されてきたのだ、それが市民社会の成熟だ、ということか。西洋の確固たる個の自覚と、日本の、当時の垣根の低い庶民ののどかさ気楽さとつながりというソーシャル・キャピタル。現代は人々のシアワセを約束した後者をこそぎ落しながら個へ舵を切って進んでいる。渡辺のこのしめくくりは、なるほど、古い世の面影は「逝って」しまって後戻りしないのか、という物思いにふけさせる。考えさせられる1冊だった。感謝、合掌

雑木林&庭づくり研究室
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NPO法人苫東環境コモンズ
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宮澤賢治の人と自然  林とこころ

池澤夏樹著『言葉の流星群』を読みえました。いろいろな賢治本を見てきましたが、これは賢治理解のうえで出色の作品だと思います。わたしが特に目をを見張ったのは、人間と自然のこれからについて、賢治ほど肉迫した作家はおらず、その早い開花に人々の理解がようやく射程が見えたという彼の主張。当HP"雑木林&庭づくり研究室”として記憶しておきたい勘所なので、長いけど以下、その要点部分の大意を転写。

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「日本の社会は・・次々と変わって宮澤賢治の考えたことの意味が大きくなってきた。いわば彼は先回りをして待っていたようなものだ。
 …当時の東北地方の科学好きな仏教徒の詩人に固有の問題が、なぜ日本人全体の普遍的な問題に変わったのか。一番大きい理由は、自然と人間の関係だ。つまり、時代がどんどん反自然的になって危険感が増したため、われわれは自然と人間の関係について深く考えてきた宮澤賢治を必要とするようになったのではな
いか。

 宮沢賢治は、人間と自然の関係、自然の中から一歩外へ出てしまった人間の幸福と不幸のことをずいぶんしつこく考えた。それは当時の社会を先導する人々、つまり東京に住んでいる都会人たちにとって切実な問題ではなかった。当時の東京での身近で切実な問題は、近代的な社会をどうやってつくるか、そのなかで個人として人はどうやって生きていくか、それから日本という国全体を先進国と肩を伍するような国に育てるにはどうすればいいか、その時に個人はどこまで国に対して我慢をしなければいけないか、−−そういう問題だった。おそらく芥川龍之介はそういう問題意識をもって自分の文学をつくっていったのだろう・・(略)。

 それに対して宮澤賢治が考えていたのは、人間の社会が進んで、自分たちで環境をつくり、その中で安閑と暮らすようになり、技術的な意味で近代化の波が東北にまで浸透してきている。人間は自然から離れて、距離ができてしまった。それに由来する不安にどう耐えていけばいいのか、ということを彼は考えたと思う。」

「彼が死んでから70年近くたって、人間はますます自然から離れて生きるようになってきたが、人々は心のどこかで本当にこれでだいじょうぶなんだろうか、と不安感を持つようになってきた。その結果、この問題に過去の日本人で最も深くかかわってきたのが宮澤賢治だということに人々はようやく気付いた。それで作品をもう一度見直してみようという動きが生まれてきた。」

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文明生活からわたしたちはなかなか戻れない。もしかしたら不可能かもしれない。しかし現代の気づきは心身、自他を囲む環境のあちこちに自然性をどう失わないでいるかが、とてつもなく大切だ、という点である。yoga、冥想は日々、自分の心身の自然性に向き合う「行」だということにつながっていきます。



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