パール判事の碑も参拝  林とこころ



日本の近現代史を一人で学んでいるうちにいつか訪問してみたかったのが、東京裁判で連合国側の訴追には国際法上の法的根拠が全くない、とただ一人論証したインド代表判事ラダ・ビノード・パール博士の碑だった。東京は九段下の靖国神社にある。昭和23年11月の結審までの約2年半、判事は膨大な資料分析に没頭された。裁判そのものはご承知のように戦犯を選び処刑したが、昭和27年の米国上院軍事外交合同委員会でマッカーサー元帥は、こう証言している。

(注;下記はつまり大東亜戦争は侵略戦争ではなかったとマッカーサー元帥が証言したのである。これはほとんど知られておらずマスコミも報道しないことは留意したい。)

“They feared that if those supplies were cut off,there would be 10 to 12 million people unocupied in Japan.Their purpose,therefore,in going to war was largely dictated by security.”

(もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼ら(注;日本)は恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障(自衛)の必要に迫られてのことだったのです。)


この証言は、昭和天皇の切々たる開戦の詔と照合し、さらに入院中に読了した「東條英機歴史の証言」ともぴったりと符合する。

「・・歴史の証言・・」とは、極東国際軍事裁判(通称東京裁判)において終戦直前までの首相をつとめ、絞首刑となった東条英機の法廷における証言である。証言は日本人の美徳を匂わせてすらいる。

この証言を読むまで、東條英機は現代の日本人の多くから、今次の戦争をリードしたもっとも罪の重い一人として理解されてきた。しかし日本人は米国の War Guilt Informaition Program に洗脳されて、かつ、今も真相を知らされずどっぷりであることをあらためて知るに至った。なんという無知蒙昧なことだろうと己の知の怠慢を痛罵したのだった。

史実はかように遅々でありつつ着々と明るみに出てきた。
雑木林&庭づくり研究室
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NPO法人苫東環境コモンズ
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