ローカリズムと手仕事  林とこころ

殺伐とした事件が続きます。とても文明が行き届いて古(いにしえ)の不便が
なくなったのに、いわゆる荒廃、ほころびが一杯現れています。

昔、子供たちは、農家なら種まきやビニールハウスの番や、田植え、稲刈り、
わたしの実家は養蚕をやっていたので、桑摘み、お蚕への桑の葉やり、など
色々な仕事をやらされました。札幌の老先生に聞いたら、サラリーマンのうちでも、
秋、石炭を道路わきに積まれたのを石炭小屋までバケツで運ぶのは子供たちの仕事だった
とか。

いやだなあ、と多少思いながら家の手伝いをしたあの時間。手仕事という内省する
時間の始まりだったと思い起こします。

何年か前から、世間のどんな役に立つかは判然としないまま、山仕事というローカルな
手仕事に出会ってから、人間一人が、一馬力で進めていくささやかな仕事(手仕事)の
時間がもつ「滋養」というものに気づきました。それは、ちょっと大げさにいえば、
「人間力」を高めるような時間だとも言えそうです。そのからくりに、若いときは
なかなか気づけない。

思弁の力を磨き、とうとうと天下国家を論じるのとは全く逆の、黙々とした1馬力が、
他人から評価を受けたり、議論で勝ったりする喜びよりもしたたかに充実した手ごたえ
がある、ということ、そしてそのことによる安定。一見とても社会的とみえる言動の
実は虚飾をはがせば結構空しいことだということを知り始めたからかもしれません。
道の雪かきをしたり、道端の草を刈ったり、というなんでもない手仕事のもつナニカ。

うまくいえませんが、人間が考える葦だといい、アタマの地獄と不幸から開放
されるために、実は地域の片隅で静かな手仕事をする時間が必要なのではないか、
そのひとつは、「奉仕(的)活動」ではないか、と思いつきました。

一灯照隅万灯照国、土曜の昼下がりのひょんな思い付きでした。(^_^;)

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雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
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