産土(うぶすな)の感覚  林とこころ

たまに書いてきたことでもありますが、土地には根っこに神様のようなものが
いらっしゃるということを経験したことがあり、その思いは今も続いています。

その神秘的な体験は、湿原でひとり植物の調査と採集をしているときでした。
ヨシを主としたその平原は長靴がぬかるようなジュクジュクの状態ではありましたが、
人知をこえた何かが司っているとしか思えないシステムをそこに感じたのでした。

樹木なら年輪が証明する指標を湿原は目に見えて持たないけれども、植物のありようが、
林よりもずっと長い年月を越してきたことを発信している。地質年代のそれでした。

それ以来わたしは、博物学を飛び越えた別の世界に目覚めてsomething greatの
存在に耳目をそばだてるようになりました。

それからざっと35年あまり。その思いは今も変わらず、年に数回訪れてはひとりで過ごす
雑木林の小屋でも、やはり、土地の深いところで人間と共有する土地の感覚というものの
においをかぎます。今はもはやセレモニーのようなひとりの時間を作らないと、
一対一の出会いはやってこないのですが、そんな舞台装置ができてもこれは至難なわざです。

さて、その土地は、特に自然は所有権をこえてみんなのものではないのか。土地はみんなで
付き合う方法はないのか。あらためてその思いをもちます。そのコントロールは、
今の人間には無理かもしれない・・・。

しかし、土地との感覚の往還は日常極めて難しく、わずかに花鳥風月を目にする
レベルで止まっています。もし詩人の表現力で、大地との往還を歌うことができた
ならば、世界はもうひとつ描くことができるのに。そして知恵もでてこように。


雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
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