身近な老いの分析  家族

郷里の母は92歳になりますが、頭はしっかりしており驚かされます。
しかし、歩行が困難でトイレの帰りなどははいはいで戻ること
があります。段差で転びそうで見てるほうがこわい。
デーケアにいきたがらない。以前、無理に行かせると熱が出た。

この春、帰省した時。
わたし「もっと長生きしてね」。
母  「もういいや、十分だ」。
   「○と、孫の○には大変よくしてもらってるから
    お前からも礼をいっておいてくれ」

あることに、なにか態度がかたくななので、意見すると
「いろいろ、自分にも確執があるもんだから」ときつい表情を
しました。

からだの能力低下と精神レベルのギャップを見ました。
これが、老いなんだ…。

と、ころっと忘れていましたら先週の新聞に吉本隆明(82)が
明快な老いの分析をしていて、唸りました。以下、部分的に
引用。

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「…年を取ると何が一番つらいか。それは、自己の意思と、現実に自分の体を動かすことの出来る運動性との間の乖離が、健康な人には想像が出来ないぐらいに広がるということだ。思っていることや考えていること、感じていることと、実際に体を使ってできることの距離が非常に大きくなる。」

「…そんな老人を表現する際、僕は、老人達を励ます意味もこめて『超人間』と呼んではどうかと考えている。

 動物は、目に見えた何らかの変化にすぐに反射的に行動を起こす。これに対し人間は、感覚的に知覚したことと、行動との間に時間的距離があるのが特徴だ。となると、老人という存在はその時間的距離をもう少し大きくした「人間以上の存在」なのだから、それは『超人間』だ、と。

人類の歴史には、政治や社会にまつわる問題が属する「大きな歴史」と、個々人の身体や精神の問題を扱う「小さな歴史」がある。そして『超人間』を含めた小さな歴史の中に人類史の問題が全部含まれている。大きな歴史だけを「歴史」と考えるのは不十分だ。」

「振り返れば、こうした政治や社会の問題については自分なりに考えてきたつもりだったが、老人が直面する問題はやっぱり老人になるまでわからなかった。いい年をして色々な目にあって、ようやくそれが見えてきた。

『もう一個違う系列の問題があった』。そう新鮮に感じながら僕は日々を送っている。」

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吉本は今、1m前にいる人の姿が見えないほどの視力だと
冒頭に書いています。

で、今日の新聞に「嫌老社会」という本の広告がありました。
また、このギャップ。


写真は本文とは関係ありませんが、今日の昼に行なわれた「山形県人会」の
芋煮会のなべ。80人分×2杯。郷里は、高齢者となんとか、折り合いをつけ
暮らしているようです。北欧ではそれを福祉資源とも見るようです。

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