言葉の美しさ  林とこころ

Sさんのブログで、皇后陛下のお言葉を知りました。宮内庁のHPです。
心が洗われる気がします。

====引用===

宮内記者会の質問に対する文書ご回答

問 この1年,自然災害などさまざまな出来事がありました。戦後70年にあたり,皇后さまは天皇陛下とともにパラオをはじめ国内外で慰霊の旅を重ねられました。また,玉音放送の原盤なども公開されたほか,若い皇族方も戦争の歴史に触れられました。1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。8月には心臓の精密検査を受けられましたが,その後のご体調はいかがですか。


皇后陛下

 この1年も,火山の噴火や大雨による洪水,土地の崩落,竜巻など,日本各地を襲う災害の報に接することが多く,悲しいことでした。ごく最近も,豪雨のため関東や東北の各所で川が溢れ,とりわけ茨城県常総市では堤防が決壊して二人が亡くなり,家を流された大勢の人々が今も避難生活を続けています。先日,陛下の御訪問に同伴して同市を訪問いたしましたが,水流により大きく土地をえぐられた川沿いの地区の状況に驚くと共に,道々目にした土砂で埋まった田畑,とりわけ実りの後に水漬(みづ)いた稲の姿は傷ましく,農家の人々の落胆はいかばかりかと察しています。
 東日本でも,大震災以来すでに4年余の歳月が経ちますが,未だに避難生活を続ける人が19万人を超え,避難指示が解かれ,徐々に地区に戻った人々にも,さまざまな生活上の不安があろうかと案じられます。また,海沿いの被災地では,今も2,000名を超える行方不明者の捜索が続けられており,長期にわたりこの仕事に従事される警察や海上保安庁の人たち,また原発の事故現場で,今も日々激しく働く人々の健康の守られることを祈らずにはいられません。
 先の戦争終結から70年を経,この1年は改めて当時を振り返る節目の年でもありました。終戦を迎えたのが国民学校の5年の時であり,私の戦争に関する知識はあくまで子どもの折の途切れ途切れの不十分なものでした。こうした節目の年は,改めて過去を学び,当時の日本や世界への理解を深める大切な機会と考えられ,そうした思いの中で,この1年を過ごしてまいりました。
 平和な今の時代を生きる人々が,戦時に思いを致すことは決して容易なことではないと思いますが,今年は私の周辺でも,次世代,またその次の世代の人々が,各種の催しや展示場を訪れ,真剣に戦争や平和につき考えようと努めていることを心強く思っています。先頃,孫の愛子と二人で話しておりました折,夏の宿題で戦争に関する新聞記事を集めた時,原爆の被害を受けた広島で,戦争末期に人手不足のため市電の運転をまかされていた女子学生たちが,爆弾投下4日目にして,自分たちの手で電車を動かしていたという記事のことが話題になり,ああ愛子もあの記事を記憶していたのだと,胸を打たれました。若い人たちが過去の戦争の悲惨さを知ることは大切ですが,私は愛子が,悲しみの現場に,小さくとも人々の心を希望に向ける何らかの動きがあったという記事に心を留めたことを,嬉しく思いました。
 今年,陛下が長らく願っていらした南太平洋のパラオ御訪問が実現し,日本の委任統治下で1万余の将兵が散華したペリリュー島で,御一緒に日米の戦死者の霊に祈りを捧げることが出来たことは,忘れられない思い出です。かつてサイパン島のスーサイド・クリフに立った時,3羽の白いアジサシがすぐ目の前の海上をゆっくりと渡る姿に息を呑んだことでしたが,この度も海上保安庁の船,「あきつしま」からヘリコプターでペリリュー島に向かう途中,眼下に,その時と同じ美しい鳥の姿を認め,亡くなった方々の御霊(みたま)に接するようで胸が一杯になりました。
 戦争で,災害で,志半ばで去られた人々を思い,残された多くの人々の深い悲しみに触れ,この世に悲しみを負って生きている人がどれ程多く,その人たちにとり,死者は別れた後も長く共に生きる人々であることを,改めて深く考えさせられた1年でした。
 世界の出来事としては,アフリカや中東など,各地で起こる内戦やテロ,それによる難民の増大と他国への移動,米国とキューバの国交回復,長期にわたったTPP交渉などが記憶に残っています。また,日本や外地で会合を重ね,学ぶことの多かったドイツのヴァイツゼッカー元大統領やシンガポールのリー・クァンユー元首相,40年以上にわたり,姉のようにして付き合って下さったベルギーのファビオラ元王妃とのお別れがありました。
 この回答を記している最中(さなか),日本のお二人の研究者,大村智さんと梶田隆章さんのノーベル賞受賞という明るい,嬉しいニュースに接しました。受賞を心から喜ぶと共に,お二人が,それぞれの研究分野の先達であり,同賞の受賞こそなかったとはいえ,かつてそれに匹敵する研究をしておられた北里柴三郎博士や,つい7年前に亡くなられた戸塚洋二さんの業績を深い敬意をもって語られることで,これらの方々の上にも私どもの思いを導いて下さったことを有難く思いました。また,大村さんや同時受賞のアイルランドのウィリアム・キャンベル博士と共に,同じこの分野で,国の各地に伝わる漢方薬の文献をくまなく調べ,遂にマラリヤに効果のある薬草の調合法を見出した中国のトユウユウさんの受賞も素晴らしいことでした。
 スポーツの分野でも,テニスや車いすテニスの選手が立派な成果を上げ,また,ラグビーワールドカップにおける日本代表チームの輝かしい戦いぶりは,日本のみでなく世界の注目を集めました。4年後の日本で開かれる大会に,楽しく夢を馳せています。
 身内での変化は,秋篠宮家の佳子が成年を迎え,公的な活動を始めたこと,眞子が約1年の留学を終え,元気に戻ってきたことです。佳子はこの1年,受験,成年皇族としての公務,新しい大学生活,と,さまざまな新しい経験を積み,また時に両親に代わって悠仁の面倒をみるなど,数々の役目を一生懸命に果たして来ました。眞子が帰って来てホッとしていることと思います。また,この12月には三笠宮様が100歳におなりで,お祝い申し上げる日を楽しみにしております。
 戦後70年となる今年は,昭和天皇の終戦の詔勅の録音盤や,終戦が決められた御前会議の場となった吹上防空壕の映像が公開されるなど,改めて当時の昭和天皇の御心(みこころ)を思い上げることの多い1年でした。どんなにかご苦労の多くいらしたであろう昭和天皇をお偲び申し上げ,その御意志を体(たい)し,人々の安寧を願い続けておられる陛下のお側で,陛下の御健康をお見守りしつつ,これからの務めを果たしていければと願っています。
 体調につき尋ねて下さり有難うございました。今のところ,これまでと変わりなく過ごしています。
・・・・・・・・・・(引用終わり)

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h27sk.html

=============

近く天皇皇后両陛下でフィリピン方面に戦没者の慰霊に向かわれるとか。
戦後70年を身をもって総括しようとしておられる。





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「戦後70年談話に隠された真実」を読んで  林とこころ

安保法制と戦後70年談話の成り行きを注目した国民は多いはず。
その一つの談話の方は、世界でほぼ唯一反日キャンペーンを張る中国、韓国も
ほとんど目新しい反日メッセージを上塗りしなかったようでした。

談話のベースは有識者懇談会の報告書だとされていますが、その驚くべき内実を
京都大学名誉教授の中西輝政氏が、『致知』2015年11月号で次のように
語りました。

以下、雑誌「致知」のメール版に抜粋されたものを添付。対談者は
櫻井よしこ氏(ジャーナリスト)。 

以下、引用
□□■―――――――――――――――――――■□□

【中西】
確かによくあれだけ巧妙なものを紡ぎ出したと思います。

政治的には大成功で、政治評論家としては、
あの「巧みさ」はどれだけ称賛しても
し過ぎることはないと思います。

これは安倍シンパの一人として大変嬉しく思っています。


ただ幸か不幸か私は歴史学者ですから、
時には誰が何と言おうと、たとえ天地が崩れても、
歴史の真実と思うところを直言しなければなりません。

それが私の最も大切にしているアイデンティティですから。

その歴史学者としての立場から言えば、
大変申し訳ないがこの談話、
とりわけその基礎になったとされる
有識者懇談会の報告書はものすごく大きな問題を
含んでいると言わねばならないのです。


(略)


【中西】
ですから確かに私は今回、
懇談会に名を連ねていましたが、
その中で孤立無援の圧倒的少数派として、
到底承服し得ない内容の報告書や、
それに基づいたとされる談話が起草されたことに対して、
この二か月、七転八倒するような煩悶の日々を送っておりました。

【櫻井】
それは思いもよりませんでした。
談話の歴史に関する記述は、
中西先生の助言をもとに
つくられたものと思い込んでいましたから。

【中西】
いやいや、私は最初から完全に外されており、
報告書の文案作成から一切相談はありませんでした。

あの40頁にわたる報告書の原案も
7月13日に最終討議を行うその瞬間になって
初めて見せられたんですから。

とにかく私にとってあの懇談会は悪夢のようで、
私は辞表を三回も書きました。


【櫻井】
驚きです。安倍総理は中西先生に
とても篤い信頼を寄せているとお見受けしますし、
中西先生が懇談会の一員ですから
大丈夫だと私は思っていました。


【中西】
私も個人としては大変申し訳なく思っていますが、
歴史観の問題は歴史学者としての命です。

つまりこれには私にとって大義がかかっていますので
どうしてもはっきり言わざるを得ないのです。

本当に総理には申し訳ない思いでいっぱいです。

しかしこれだけはどうしようもないのです。


そもそも懇談会の中では、
私は完全に孤立させられていました。

あの懇談会の全委員十六人の中で
私が歴史観等考えを分かち合えたのはお一方だけ。

他の14人はすべて外務省系の人で、
いずれも自虐史観あるいは東京裁判史観の持ち主でした。

なぜこんな人事になったのか、さっぱり分かりません。

ですから私たち二人は終始一貫、
142で圧倒的に不利な包囲網の中で戦い続けたのです。

□□■―――――――――――――――――――■□□
(引用、終わり)


10月2日の朝日新聞、佐伯啓思氏(京都大学名誉教授)の『異論のススメ』が
面白かった。直接、談話に深く言及していませんが、「そもそも平和とは何か」を
憲法9条と戦争放棄を軸に論点を絞りながら、フランスの社会人類学者の
エマニエル・トッドの見解を披露しています。彼トッド氏が日頃から非常に不思議だと
思っているのは「日本の侵略を受けた国々だけでなく、日本人自身が自分たちの国を
危険な国であると、必要以上に認識している点・・」と述べています。

(このコラムは朝日の熱心な一部の読者からかなり酷評されていました)

佐伯名誉教授は「長い歴史の中で日本が危険なことをしたのはほんの短い期間であり、
しかもそれはヨーロッパの帝国主義のさなかの出来事であった。日本はただの世界情勢に
追随しただけだった、と彼は言っている」と書いています。

さらに「日本の憲法平和主義者は、自らの武力も戦力も放棄することで、ことさら自らの
手足を縛った。しかし、他国は武力を放棄していないのである。こうなると、われら
日本人だけが、危険極まりない侵略的傾向を持った国民だということになってしまう。」

(この俯瞰的見方を厳しく批判したり、またはわからない人もいる)

近現代史のにわか勉強でも、以上の論述が、東京裁判史観や米国の手の込んだ
仕掛けを踏み越えて日本の近現代史研究家らの近年明らかにしてきた事実の基づいたもの
だとわかります。歴史についての思考停止にならないために、を学ぶことの意味を
今さながら痛切に感じるこのごろ。




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歴史の風化と玉音放送  林とこころ

玉音放送の現代語訳というのを実は初めて全文読んだような気がします。
かつて、近現代史を照らしつつ開戦の詔を呼んだとき、自分は何を上滑りな
歴史の勉強をしていたのだと反省し悔やんだのですが、天皇のこのお言葉も
70年を振り返るよすがとして、非常に重たい。かつ、自らの中に歴史の風化の
現場を見る思いがします。しかし、このなかにはすでにこれからの日本の指針を
みた気がします。


======玉音放送全文の現代語訳(江川達也)=======

私は深く世界の大きな流れと大日本帝国が今おかれている状態を考え
普通ではありえない方法でこのありさまを収めようと思い立って
こうして忠義の心を持った良民であるみなさんにお話しします

私は大日本帝国の政府に「アメリカ、イギリス、チャイナ、ソ連の4国に対して
4国が共同して要求してきた条件を受けるように」と言いました

そもそも大日本帝国の臣民のみなさんの健康と安心を守り
世界中の人たちと共に栄え喜びをわかちあうという願いは
天皇家の先祖たちが、昔からのこして来た生き方のおてほんなので
わたしもおろそかにせずいつも心がけてることなんですから

アメリカやイギリスに戦争をいたしますと言って始めました理由も
また実に大日本帝国が自分の力でなんとか生きて行くことと
東アジア地域の平和とを
いろいろと考え工夫してやって行こうとしたところから始まった事で

他の国の持っている権利をないものにしたりその国の土地を奪うなどということは
もともと私の心にはありません

ということで戦ってもう4年見て来まして
私の陸軍、海軍の将官、兵隊が勇気をふるって戦い
私のたくさんの役人や大事な仕事についてる人々が一生懸命働き
私の一億人の国民のみなさんが頑張り
みんなみんな最もいい働きをして尽してきたのに
戦争の状態は努力に応じて良くはなりません
世界の大きな流れもまた私たちに有利にはなってません
(和平交渉の仲介を頼んでいたソ連が条約を破って数日前に敵の仲間に
なって突然攻撃すると言って攻めて来た)

それに加えて敵は新しく作った残虐な爆弾を使って
(原子爆弾:広島・長崎に落とされた)
しきりに何の罪もないものを傷つけ殺し(赤ん坊から年寄りどころか木や
草や鳥や森や豚や牛までも殺戮)
惨憺たる被害が及んでいて、こんな事はほんとうに思ってもみないことで
こうなってしまった今変わらず戦いを続けるか
最終的には我々が地球上から消されてなくなるだけでなく
そこから人類の文明さえも破壊し焼き付くし捨て去ってしまう
このような状況になっていくであろうことは….

私はどの選択をして
一億一兆の赤ちゃんのようにかわいい子供たちを抱えて
天皇家の祖先の神さまの霊魂に謝ればいいんでしょう
と考えて私は大日本帝国政府に敵の要求をのむように言ったのです。

私は大日本帝国と一緒にはじめからおわりまで
東アジアの解放に協力してくれたアジアの国々に対して
申し訳ない気持ちを表さないではいられません

大日本帝国の臣民の中で戦争に参加して死んだり
職業に殉じて命を失くしたり天命をまっとうできず倒れ亡くなった人
そしてその遺族に思いをはせると内蔵が裂けるような苦しみです
しかも戦争で怪我をし戦争のわざわいをこうむり
仕事を失くした人の生活を豊かにすることに関しては
私が天皇として深く心を痛める所です

考えてみるとこれから大日本帝国の受けるであろう苦しみや災難は
いうまでもなく常識をはるかにこえ
みなさんのウソいつわりのない気持ちも私はよく知ってます

そんな状況でも私は時や運の流れに身をまかせ
「こらえること」が困難なことを「こらえ」
「やりすごすこと」が困難なことを「やりすごし」
そうすることでこれから続くこの国のいく万の子孫のために
戦争を終わらせ平和な世界を開きたいのです

私はこうしてわが国のすがたを守りたもっていられますし
忠義と素晴らしい能力に溢れたみなさんの赤ん坊のような誠の心を
信じてそれを助けにしていつもいつもみなさんのそばにいます

もしかして激情にかられみだりに何か事件の発端を
開こうとしきりに動いたりあるいは仲間をおしのけたりおとしいれたり
たがいにこの苦しい時を混乱へと導き
それによって人としての大きな道をそれて
世界からの信用をうしなうようなことになることを
私はいちばんいましめます

ちょうどいいころあいで国のすみずみまで一家子孫お互い伝え
しっかりと神のくにの不滅を信じてまかされたことは重く
道は遠いと心に念じすべての力を将来の建設に傾け
人の道や義の心をあつく育て変わらないこころざしをかためて
かならずわが国とは何か?
ほんとうの 本質の国の華(はな)
精神の神髄をふるい立たせ世界の進歩や運のいい国に
おくれをとらないと心に刻むしかないのです

みなさん
これをよく私のおもいを体現するのです

==========(引用訳、おわり============

(終戦の詔勅−玉音放送−江川達也訳)※読みやすさを考慮して編集部にて改行の調整をいたしました。
→ふたたび草苅が連結、再改行をしました。本文は下記から。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150815-0001000...

さらにさかのぼること4年、「開戦の詔書」は下記。
http://www.geocities.jp/taizoota/Essay/gyokuon/kaisenn.htm

戦後、マッカーサーは、日本の開戦が自衛のためだった、と米国上院の軍事外交
合同委員会証言したことは意外と(そんなことでいいのか)知られていません。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1...

昭和天皇の切々たるお言葉は、日本の近現代史を学べば学ぶほど明治以後の日本の
足取りを彷彿とさせると同時に、もっと歴史を学べ、という教えに
つながっていきます。
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近現代史を学びつつ聞く日本の発信  林とこころ

14日、安倍首相が戦後70年の談話を発表し敗戦記念日の昨日は天皇陛下が「お言葉」を述べられた。簡明な言葉の中に含まれる歴史が重たい。内外に緊張感を増す中の2015年の夏は忘れがたい年になりそうだ。

それだけ国の根幹にかかわる難問を抱える昨今ですが、そんな折に、わかりやすい視点で日本の近現代史にコミットしている一人が、意外にも田原総一朗氏ではないかと思います。

かねてより国内外の大物実力者と接点を持ちジャーナリストとして遠慮のない激論を厭わず切り込むのを常としてきた方だから当然ともいえますが、発言の背後の情報と視点の確かさが光る。この一年だけでも、渦中の人・百田尚樹氏との「愛国論」、猪瀬直樹氏との「戦争・天皇・国家」と対談集が熱かった。特に後者の中で猪瀬氏は戦後日本をディズニーランド」だと表現。警備は米国にまかせて「過激な世界情勢にはなるべく関わらずに、一国だけの夢の国のような平和を享受してきたこと」を指している。昨今の日本の揺れは、夢の国の「夢」からどうさめるのかという自問自答に関わっている。日本の近現代史はこれからのための壁のような土台だ。合掌

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地域と積極心  林とこころ

ここにきて地方創生の声が大きい。いつだって地域振興は大変なテーマだったが、
やれ人口減少だ、自治体は消滅する、などの評価が、地方をもう一度活性化せねば
消える、という危機感を国から持たされ、不安があおられる。
しかし「消えやしない」というオピニオンリーダーもいる。

真偽はわからないが、地域は人材で支えられてきたことは確かで、それをうちで賄うのか、
そとからクリエイティブクラスを呼ぶのかは土地の事情で異なってくる。往々にして
外からとなるが、それを国の交付金でやってあげる、というのが「地域おこし協力隊」だ。
しかも、失敗(途中でやめたり、定住できなかったり)してもとがめられない。

平成20年度にスタートしたこの制度、狙いは明確な割には、成否がいろいろと
わかれる。その原因や背景にあるのはなにか。ミスマッチ、期待のギャップ、特に
受け入れ側の期待するところはなにかも聞いてみたい。

8月6日、旭川の北隣の和寒町で、この地域おこし協力隊員等で活動している方4名を囲んで
ちいさな研究会をやった。その内容を委員の東村さんがfacebookに投稿された。↓

ちなみに26年度で協力隊員は全国1500人ほどいてその15%が北海道で活躍している。

====以下、東村さん======

4つの町の地域おこし協力隊の本音のお話@オーガニックコーヒーと雑貨nido/和寒

昨日、開発協会研究所でもう5年続けている地域ケイパビリティ研究会〜これからの地域運営は”地域おこし協力隊”に何を学ぶべきか〜が和寒で開催された。

下川、和寒、美深、士別の4町の地域おこし協力隊経験者や現役の方を招いての本音で語りあう小さな勉強会。
場所は自らも地域おこし協力隊として和寒にこられ、2年前この町でオーガニックコーヒーと雑貨のカフェを起業された中野夫妻のお洒落な店。
今ではこのカフェ目当てにお客様が和寒に訪問するほどの人気店であると同時に町のコミュニティーカフェとして定着しているという。


話して下さった隊員はこの中野さんはじめ(30代)、元大手オーディオメーカーの方、大学をリタイアされた土壌学の先生、そしてこの春 畜大を卒業された女性と20代から60代まで出身も職歴も動機も見事に千差万別、共通していたのは選んだ町の人達と自分のスキルや思いを重ねて働きたいの一点。

地域創生の言葉が飛び交い、従来の発想を超えた具体的なアクションが地域に求められている時、
その町の人だからできる事、逆にその町の人だから出来ない事。
しがらみを飛び越えて動き出せる発想や行動は、隊員のみならず、迎える側の意識や体制の変革も求められている。

それぞれのレクチャーが終わってからの町長を囲んだ熱いカフェ談義、思いを持ち実際に動いている人だけの本音の話し合いには、アリバイ的なWSや形式的なファシリテーションスタイルを超えた熱に包まれていた。

最後にカフェのマダムが漏らされた さり気なく深い一言が、見事な方向を示してくれた!

「(私たちは)基本的にやりたくない事をやらないと心に決めてるんです」
「(だからこれからの町おこしは)困っている事を原動力にするより、やりたい事を原動力にしたい」

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勇払原野のスピリット  林とこころ

勇払原野の秘蔵っ子、柏原採草地。人々は訪れない忘れられた一角だが、ここ柏原ほど勇払原野の風土と歴史を感じさせるところも珍しいのではないか。いや、植苗なども含む、いわゆる目立った開拓から外れて「いにしえの面影」だけ残すこんな場だからこそ、豊かではなかったこの100年余りを匂わせるのかもしれない。

この柏原のフットパス一帯を今もっとも価値を実感しているのは、採草農家や今後の企業用のお宝と考えているかもしれない土地所有者ではなく、ヒグマたちかもしれない。ここを東西の移動の要として人知れず往来していると思い浮かべるだけで、すでに古い時代からの原野の在りし日の姿や片鱗を感じてしまうのだろう。

実際、人と自然が妥協しながら微妙な共生を演じているエリアはそうそうない。比較的境目があるのだ。ここはそれがない。人口と半自然と耕作地と放置された湿原が大小入り混じりつつ、モザイク状に繰り返して存在する。そして住民はおらず活動人口の密度は極端に低い。柏原フットパスと銘打ったが、普通、ここを一人で歩きたいと思う人はいないだろう。

こんな原野だからわたしはよく一人でここに座る。わたしがまったく予想もせずに40年もの長い間関わることになった勇払原野という土地。ここをなんだか「みんなのものではないか」と思うようになり、時々、土地のsomething great(産土(うぶすな))とつながったような錯覚を感じるためにもここは重要なスポットだ。人間の数ある幸せのなかで、土地とつながる感覚が最も上だと考える人はめったにいないが、そう感じる人が一人でも増えることをひそかに祈りたい。クリックすると元のサイズで表示します
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コモンズの中で行う林業  林とこころ

2015/3/27 札幌開催 日本森林学会 公開シンポジウム「森林づくりと生物多様性保全」

草苅(パネリスト)の発言要旨 「やればできる!コモンズ林業の可能性と課題」
は次の通りです。

===========

時代は今、いくつかの節目を迎えている。そのうちのひとつは、増大、拡大を基調としたものの考え方から、改善や調整などによるよりていねいな仕組みへの変化であり、現在、まさにそのステップに差し掛かっているように見える。身の回りで感じる典型が、土地の所有の在り方、とりわけ森林など社会的共通資本とよばれるものを「みんなもの」として共有するあり方ではないかと思う。

わたしは広大な緑地管理にかかわっていた関係で、転職後も市民としてその雑木林などの保育に携わり、気づいてみるとざっと約40年間、同じ林と向き合っていた。所有セクターから市民側に立場が変わり、その林が次第と放置されるのを見るにつけ、プライベートな所有という囲い込み状態から、コモンズのような地域の住民が共有する感覚の土地利活用への移行が可能ではないかと考え始めた。幸い、ややして数100haの雑木林や湿原をコモンズのように利用する管理協定を所有者と結ぶことができ、コミュニティの町民や市民の利用が可能な仕組みを実践してきた。

特にコミュニティが中心となって、隣接する100ヘクタール足らずの雑木林で、枯れ木やツル、傾斜木の除去、さらに混み過ぎた広葉樹の間伐を通じて、薪を作りつつ森林散策のできるフットパスも作っていく工程を「コモンズ林業」と呼ぶことにした。

この活動は自然に回転するようになり、将来の展望も課題も見え始めている。そこで発見したことの一つは、プロがやることとあきらめられていた「林業のようなもの」が、やりようによって素人でもできること、もう一つは、その土地その土地の実情に合わせれば地域の経済にも寄与し、需要と供給とマンパワーがうまくつながること、3つめは、生き物多様世界を保証するのは、やはり林を放置することではなく木を伐ること、つまり伐採によるギャップや環境改変、あるいは隙間の多い人工工作物である、ということだった。
 また、生物多様性がもてはやされる一方で、多様な生き物と共生するのはごめんだ、という感覚も明確になってきた。人々は都市サイドのアメニティ感覚から今や離れにくい。不快昆虫や爬虫類などと隣り合わせでいるよりも、少し距離をおいて快適さを求めたいということにも理はある。一定の距離を保ちつつ環境をシェアする。自然を日常とするのか距離をおいて週末などにするのか、それを種々選択できることも現代の文明と呼べる。

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広葉樹を伐るむずかしさ  林とこころ

自ら持ち山(山林)を間伐して林業を営む自伐型林業が、注目を浴びています。

これは、地方創生の声とも呼応しますし、人気をはくした里山資本主義とも

どこかつながりそうな側面を持っています。いずれも本州の話で事例はいっぱい

出てきましたが、素人が「チェンソーと軽トラで山仕事する」という点が共通

しているみたい。で、そのコーディネーターのひとり、丹羽健二さんの話では、

杉・ヒノキの造林地は素人でも切るけれど、「かなぎ」(広葉樹)は難しい

からプロに頼む、と言っていた。お〜っと、これはびっくり。そうなんです、

広葉樹はある意味、伐採の応用問題(つまり難易度が高い)であり、

だからこそ、わたしたちもプロのレッスンを受け、基本に立ち戻り、

真摯に耳を傾けようという姿勢を毎年繰り返すわけでした。平坦な雑木林で、

かつ、ほどほどの雪の中で山仕事ができる、ということが恵まれた作業環境

である、とわかっている方はさて、どれくらいいるでしょうか?!(笑い)

写真は昨シーズン、枯れ始めたハリギリを伐倒するabeプロ。このような

太さは極めてまれ。

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田原vs百田の愛国論  林とこころ

どちらかというと左翼系ジャーナリストと保守系論客のようにみられる二人の対談、

さっそく読んでみました。想像以上に力のこもった読み物になっていて、事実関係を

つぶさにあげながら議論がかみ合っている。

第1章は「大東亜戦争とはなんだったのか」、第2章「なぜ自虐史観が蔓延してしまった

のか」など、興味深いやり取りが続いている。個人的には「世界がさばく東京裁判

〜85人の外国人識者が語る連合国批判〜」をやや先行して読んでいたせいか、

事実関係のとらえ方に偏りがないと見えたことも好感が持てた。

情緒に流れやすい「愛国」が、「見識と経験」に裏打ちされて様相を変えていた。


 しかし、戦後70年にもなる今日、このような議論がまだ白熱するという背景に

あるのは、なにか。日本人がいかにこれらのテーマを避けてきたかの裏返しではないか。

そのブランクはわたしたちのロスになっていないのか。平和を望むという社会が

押し寄せる現実に目をつむって内向きではなかったか。もし逃げないで正面から

取り組んでいたら、いわゆる従軍慰安婦や靖国神社の問題は生まれていなかったか、

あるいは別の展開になっていた可能性は小さくない。2014年の大晦日の朝の反省。
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パール判事の碑も参拝  林とこころ



日本の近現代史を一人で学んでいるうちにいつか訪問してみたかったのが、東京裁判で連合国側の訴追には国際法上の法的根拠が全くない、とただ一人論証したインド代表判事ラダ・ビノード・パール博士の碑だった。東京は九段下の靖国神社にある。昭和23年11月の結審までの約2年半、判事は膨大な資料分析に没頭された。裁判そのものはご承知のように戦犯を選び処刑したが、昭和27年の米国上院軍事外交合同委員会でマッカーサー元帥は、こう証言している。

(注;下記はつまり大東亜戦争は侵略戦争ではなかったとマッカーサー元帥が証言したのである。これはほとんど知られておらずマスコミも報道しないことは留意したい。)

“They feared that if those supplies were cut off,there would be 10 to 12 million people unocupied in Japan.Their purpose,therefore,in going to war was largely dictated by security.”

(もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼ら(注;日本)は恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障(自衛)の必要に迫られてのことだったのです。)


この証言は、昭和天皇の切々たる開戦の詔と照合し、さらに入院中に読了した「東條英機歴史の証言」ともぴったりと符合する。

「・・歴史の証言・・」とは、極東国際軍事裁判(通称東京裁判)において終戦直前までの首相をつとめ、絞首刑となった東条英機の法廷における証言である。証言は日本人の美徳を匂わせてすらいる。

この証言を読むまで、東條英機は現代の日本人の多くから、今次の戦争をリードしたもっとも罪の重い一人として理解されてきた。しかし日本人は米国の War Guilt Informaition Program に洗脳されて、かつ、今も真相を知らされずどっぷりであることをあらためて知るに至った。なんという無知蒙昧なことだろうと己の知の怠慢を痛罵したのだった。

史実はかように遅々でありつつ着々と明るみに出てきた。
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自伐型林業の問いかけ  林とこころ

地方再生の論議が盛んになってそれなりに「なんで今更」の感を

持つ人は多いはず。

そんななか、今注目されるのは自伐型林業ではないだろうか。

森林所有者が森林組合などに出していた林業の営みを、自前で

やるという、いわば当たり前の話であります。所有と施業を分け

大規模経営を標榜したのが国の「森林・林業再生プラン」のホネで

あるのに対して、これはその真逆。


当NPOが自然体で提案した「コモンズ林業」とかなりの部分が重なる。

他人(森林組合など)がやるものと決めてきたことを、自らがやる。

林業政策や林業行政ばかり栄えて、林業プロパーがすたれている

光景に気づいて久しくなりました。あの地方創生の石破大臣が、

先日の国会で自伐型林業を高く評価したようだ。地域の雇用の

ベースは、これから食料、エネルギー、介護ケアになるかもしれ

ません。


それに付随して放置された森林の利用だと思う。国土保全と、

木材供給という1次産業がエネルギーに結びつく。そこにちゃんと

したビジネスを興したいのだけれど、今は残念ながら余裕が

ありません。
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ウラヤマニストへの道  林とこころ

このところ、というか年中ずっと、というか、週末は広葉樹林にいて、

先月からはたっぷり時間をかけて道作りをしていましたが、

成果として写真のマップがようやくできました。

GPSという便利なものがありますから、衛星の電波で作った

道をトレースするのです。これで成果の一つはバッチシです。



もう一つの成果は、なんというか、ますますのウラヤマニストに

なってきたこと。これだけ長い付き合いをした森林、とりわけ

雑木林だからなんだから、もういい線きたかなと己惚れていたら、

どっこい小さな気づきはまだまだいっぱいでした。先がある。

これも道が増えて、林がより身近になった結果と言えます。

道。たまげたものです。



国木田独歩が「武蔵野」を書いたのは、意外にも29歳だったと

思いますが、ヘンリー・デービッド・ソローの「森の生活」も

たしかその年齢でした。が、こちらのおじさんは、彼らのように

森や里に興奮もすることなく、実に淡々としたものです。齢60をこえて

みないとわからない世界もやっぱりあるみたい。



どんなに素晴らしいと思ってみたところで、自分で日々通って

見ないとわからない世界は、文字で伝えることのできない、

自ら実践して初めて知ることのできるヨガのように

不立文字だといえそう。

大げさにいえば、生活すべてにつながっていく沙門系の

ような世界なんだと気づきました。

これは結構、深いものだと思います。 クリックすると元のサイズで表示します
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維新後の歴史から見えてくる日本  林とこころ

白状すると、わたしは歴史の勉強を避けて通ってきた。本当に不勉強だったと恥じいり、こつこつと日本の近現代史に関する書物を読んだのは60歳の声を聴くころだったから、お恥ずかしい限りである。今思えば、このような歴史の視座が定まっていなかったから、自分の置かれた位置の
認識もどこか浮ついたものだったと今になってみれば思えてくる。

こつこつ、愚直に、初心者用といわれるだろうわかりやすいものもどんどん読みこなし、日本精神も併せ読み、今ようやく時代の潮目を理解できるような、霧が晴れそうなところにいるようだと実感する。

先日読み終えた『パール判事の日本無罪論』も私の霧を晴らす衝撃だったが、続いて読了した『大東亜戦争の正体〜それはアメリカの侵略戦争だった〜』(清水馨八郎著・祥伝社黄金文庫)はさらに明快で力作、そして東京裁判史観に洗脳されていた自分には、目から落ちるうろこが山になるような名著だった。

少し突飛かとも思える本書の名センテンス(引用含む)を意図的に挙げると、

・終章のタイトル「日本そのものが世界の自然文化遺産」
・アーノルド・トインビー「この聖なる地域(伊勢神宮)で、わたしはすべての宗教の根源的な 統一を感じた」
・元ニューヨーク工科大学教授馬野周二・・・現代の日本人は決して特殊なものでなく実は人類 がまっすぐに育ってくれば当然そうなるべき姿に近いところにいる。したがって特殊であると みられた日本文明は、実は最高の普遍性を持つべきものであった・・・
・日下公人「21世紀、世界は日本化する」

小泉元首相の歴史認識も再三こっぴどく非難される。

「小泉首相は靖国神社を参拝するたびに、二度と戦争をおこさないという不戦の誓い、平和の誓いをするために来たと述懐している。これほど英霊を侮辱した誓いがあろうか。
 それは英霊たちは日本の侵略戦争に駆り出された気の毒な戦死者だが、これからの日本は二度とあのような悪い侵略戦争をしないから、安心してお眠りくださいと言っているようなものだ。これは明らかに、アメリカの洗脳に騙されたまま、いまだに目覚めていない愚かさを露呈しているのである・・・」

これはマッカーサーがアメリカ議会の軍事外交合同委員会という公の場で、日本の戦争は侵略戦争ではなかったと証言したり、東京裁判のウェブ裁判長とキーナン主席判事が東京裁判は誤りであった、公正でなかったという述懐を踏まえている。当の戦勝国側が、侵略でなかった、と後悔して言っているのに、日本の元首相が侵略してごめんなさい、と言っているわけである。アジアは日本の進行によって結果的に白人の植民地から解放された。日本の大東亜のミッションは、負けるが勝ちのようにして達成されたのである。かつ教育や社会インフラ、軍隊も要請してくる念の入れようだったと知る。アジアの国々から日本の戦争を積極的に評価する声はまだまだ届かないが、これは時間の問題ではないのか。

なおかつ、東京裁判があきらかな国際法の違反であることは世界の法学者にほぼ共通している認識だというから、知らぬは日本人だけだということになりかねないのである。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

こう書いている当方のメモは、いい歳こいて洗脳から脱出を始め歴史の潮目を観察している一庶民の歴史観変貌の足跡、読書感想であるが、この遅ればせの現在に立ち至ることができた幸運をこの上なく喜ばしく思うものである。戦後70年を目前にしてかくもダイナミックな転換があろうとはだれが予想しただろうか。いわゆる従軍慰安婦の問題や尖閣列島など理不尽な外圧のおかげだといえよう。

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「みち」を作る  林とこころ

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道路は機械が作るが、「みち」をつくるのは人だけのちからである。

「みち」を維持するのは、いわくいいがたい「手応え」があるが、「みち」を

作るのはそこに環境を創る「喜び」と、すたれるかもしれない「不安」がついてくる。



「みち」作りは本来、環境教育の素材にもなる多様な要素を含むが、そこを日常の

単なる作業として淡々と進めるあたりが、風土を守るローカルコモンズの

ただしいあり方のように思えて気持ちがいい。


また、「みち」を作ることは、簡単な建物、例えば小屋のようなものをひとつ

完成させたのと同様の「祝い事」に昇格させたい。なんとなく、覚悟が生まれるような

区切りでもありたいからだ。


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「パール判事の日本無罪論」  林とこころ

(今頃、この本に出合ったおのれの不明を恥じた。)



国際法学者で、東京裁判の11人の判事の一人だったインド人のパール博士は、国際法によらず

事後法によって行われたあの裁判を、戦勝国による「リンチと何ら変わらない復讐」と非難し

た。目からうろこの指摘の数々。今まで秘めてきた様々な疑問に対して、論理的に、ひとつ

ずつ答えが見つかっていく。大東亜戦争につながる、教科書で習ってきた日本とは違うもう

一つの日本が描かれている。それは自虐的だった日本の見方を希望につなぐほど画期的な

ことが含まれている。あの裁判の真の被害者は「法の真理」だという見識にほっとする。

第1次大戦後、有色人種に対する白人による人種差別の撤廃を訴えてきた日本の見識も勇気ある

先見であった。文庫本の帯には「ゆがんだ贖罪意識にメスを入れる不朽の名著」とある。まさ

に。



話は変わるけれど、2014年8月5日と6日、朝日新聞は従軍慰安婦問題に関して間違った記事を

発信したことを認めた。ほどなくして、福島第一発電所の事故当時、現場の東電社員たちの

ほとんどが現場を逃げ出したという、吉田所長からヒアリングしたという朝日のスクープ報道が

うそだったことも判明した。日本人は危険に際した場合、上司の命令も聞かずに現場から

逃げ出す国民だといち早く世界に発信したわけだ。これも嘘だったとなれば、

報道の方針が基本的に日本人を貶めることに狙いがあるといわれても仕方がない。



数日前の新聞では、朝日に連載中の池上彰氏のコラムが、その「朝日に問題あり」とする

池上氏の内容が問題だとして、連載記事掲載を拒否したことがわかった。9月4日には大っぴらに

なってしまったこの事実の収拾のためか、一転して掲載となって朝日の言い分も書いてある。

なんとも謝ってばかりだ。もう読者は見てしまったかもしれない。



雑誌は騒然とするほど朝日の今とこれまでを批判しているようだ。放置してきたメディアも

国民もいるわけだが、潮目が変わるのは避けられない。日本人の自虐から自信へとつながって

行くことは国益と国の進路にとっては、遅すぎたが小さくない。遅すぎた処置に、

実に遅すぎたかもしれない修復に、これから向き合っていかなくてはならない。朝日のトップが

国内と国際社会に間違いを謝罪するところにまずは潮目変化の一歩がある。


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