地域SNSの変遷  林とこころ

人口減少が進むだろう北海道の地域での実験SNS「どっとねっと」の変遷も
あっというまでした。mixi全盛のころに産声をあげた「どっと」は来月で満8年。
進化というのか盛衰というのか、めまぐるしい変化でした。世界のSNSそのものが
駆け足で変化してきた。ひょっとしたら、これは進化などとは呼べないものかもしれない。

で、どこへいくのか。

ツールが多数生まれて利用者が分散してきたので共有ツールが
必然的に必要になって、気づいてみると元をたどってメール、
あるいは携帯のSMS、ときにははがきも電話も。

一世を風靡しているFaceBookですが、FBに入らない人も少なからずいて、
これからもその気配はなさそうです。さんざん分散した挙句、
結局はケースバイケースで多種のツールを使い分けるというのが、
やはり現在の正解のようです。

ただ、ネットからの情報がいっぱいいっぱいのフル状態になってくると、
どうも反転して日常のリアルな生活の重みがわかってくるようだ。
どこかむなしいのである。生身の人と付き合うほうにぐんと魅せられ
見直しも進む・・・。かくして間口はさらに徐々に拡大したり狭まったり。
先は読みがたい。




と、8年の実験の間に、こんな報告書があったのを忘れていました。今は、むかし。

http://www.hkk.or.jp/kenkyusho/file/report_200805.html
http://www.hkk.or.jp/kenkyusho/file/report_201107.pdf


「どっとねっと」の軌跡Tの最後に引用したパットナムの下記の一文を見つけた。
どうやら俯瞰した解のような気がします。パットナムはソーシャル
キャピタルとインターネット社会も丁寧に読み解いていたと思い起こされます。

特に下のあたり。

>何か遠い世界の「バーチャル・コミュニティ」に幻惑されるのではなく、
>擦り切れ始めた現実のコミュニティという織物を強化するために、有
>望なこの高速で安価なコミュニケーションをどう利用できるだろうか。

そして最後の

>現代の市民的ジレンマが、コンピューター・コミュニケーションなしに
>解決されると想像することは難しい。

結構、まともなミッションをもって始めていたんですね。先達の整理が
こんな時大いに役立つ。(我ながら、爆



〜〜〜〜〜〜以下、「軌跡」の1末尾から。〜〜〜〜〜


「…最も重要な問題は、インターネットが人々に対して何を行うかではなく、
人々がインターネットを使って何をするか、である。いかにすれば、コンピュー
タ・コミュニケーションの持つ巨大な可能性を用いて、社会関係資本への投資を
より生産的なものにできるだろうか。この有望な技術を用いて、コミュニティの
絆を太くすることはどうしたら可能になるだろうか。社会的存在感、社会的
フィードバック、社会的手がかりを増加するための技術開発はどのようなもの
になるだろうか。

何か遠い世界の「バーチャル・コミュニティ」に幻惑されるのではなく、
擦り切れ始めた現実のコミュニティという織物を強化するために、有望な
この高速で安価なコミュニケーションをどう利用できるだろうか。すなわ
ち、いかにしたらインターネットを、解決策の一部となし得るだろうか?
世紀の変わり目において、コンピューター・コミュニケーションの領域に
おける最も刺激的な研究のいくつかは、こういった問題にまさしく目を向
けている。 (中略)今のところの結論としては、インターネットが、
伝統的な形態の社会関係資本における低下を自動的に補うということは
ないが、その十分な可能性はある、と言うものである。確かに、現代の
市民的ジレンマが、コンピューター・コミュニケーションなしに解決
されると想像することは難しい。」


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イヤシロチに変える  林とこころ

NPOの今年の研修は白老のHさんの森にしました。

Hさんは定年間際に4ヘクタールの林を買ってざっと20年弱。

道をつくり、林を手入れし、コンテナの家を改造し、

薪をつくり、自然浄化の水洗トイレと五右衛門風呂をつくり

ブルの小屋も薪小屋も自分で建てて、

冬、間伐した材を斜面下の沢筋に運んでブルで集材し、

切って割って積み、夏はひたすら、草を刈って心地よい

場を作って、子供たちや友人知人が集います。



案内されて間もなく、尾根筋の中心にたつと、そこは

胸の膨らむイヤシロチでした。またの名をパワースポット。

そう感じたままをHさんにいうと、うれしそうな<顔で、

「そうなんですよ」とおっしゃる。



山林として決して広くはないが、この、なんの報酬も求めない

手仕事の自己満足は、人生を賭けるに十分値する。



林をカスタマイズするというこのモデルは、今や蚊がいない。

セカンドハウスは今、本宅に代わりそうだと言っていた。

精魂をこめた場づくりは排他的な自己満足でなく、環境を

作るとは何かを教えます。敷衍して、公園とは何か、森づくりとは

なにかを無言で諭されているような気にもなります。 クリックすると元のサイズで表示します
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歴史を語る人は紳士的であらねば  社会


歴史を語ろうとする人はまず紳士的でなければならない。言葉使いひとつで歴史表現が

汚れやすいから。どうも乱暴な言葉が脈絡を乱してしまう。乱暴な言葉を慎み、

辛抱して丁寧に語らねばならないようだ。歴史に限らず真実を語ろうとするときも、

勤めて冷静に言葉を選んで相手に向き合わねばならない。無頓着で感情的な言葉の陰に

真実はかすんでしまうことがよくあるから・・・。歴史表現と議論の推移をみていて

つくづくそう感じるこのごろだ。


 確実な資料を探しあて初めて確信を得る、という貴重な流れを一冊の本で味わった。

高橋史朗著『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』

である。アメリカが日本人に「義眼」を埋め込んだとする一つ一つの占領時政策と

効果はすでに一部で言われてきたことだが、アメリカが保管してきて公開を

始めた占領期の資料を、30歳の著者が留学して探し当てる後段の描写は鬼気迫るもの

を感じた。探すものにたどり着けない焦燥の日々と突然の発見は、心情いかばかりかと

推察した。


 近・現代史を初めて意図的に学び始めて約半年、少しずつ、迷妄の霧が晴れていく。

レフトかライトか、というより真実はどの辺にあるのかと忍び寄って、左右の意見を

振り返るのはわたし個人にとってまったく新しい世界だ。少しずつ公開される歴史の

事実資料。それを読み解く著者のような地味な作業は、強力な支援のもとで進められ

ないものか。今、議論行きかう歴史認識にさおさし本来持つべき矜持にたどり着かせる

のは、このような事実の開陳と幅広く粘り強い発信に大きく委ねられているといえる

だろう。ただ、それらはマスコミは取り上げないだろうという点にも留意したい。



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タグ: 歴史 アメリカ 占領

こころの垣根  林とこころ

「逝きし世の面影」580pの最終章のテーマは「心の垣根」だった。幕末から明治にかけて訪日した異人たちが、江戸や長崎でふれた日本の庶民世界は結局なんだったのか。西洋の異人たちは、西洋的な心の垣根の高さにしばしば疲れをおぼえ、かたやの日本の庶民社会の垣根の低さを絶賛したが、「それが高いということは個であることによって、感情と思考と表現を人間の能力に許される限度まで深め拡大して飛躍させうるということだった」(渡辺京二)。「そういうこの世界が可能ならしめる精神的展開がこの国(日本のこと)には欠けている」と異人たちは感じた。
 それが市民社会の形成の過程で、ルールや慣習や法律、社会の仕組みに反映されてきたのだ、それが市民社会の成熟だ、ということか。西洋の確固たる個の自覚と、日本の、当時の垣根の低い庶民ののどかさ気楽さとつながりというソーシャル・キャピタル。現代は人々のシアワセを約束した後者をこそぎ落しながら個へ舵を切って進んでいる。渡辺のこのしめくくりは、なるほど、古い世の面影は「逝って」しまって後戻りしないのか、という物思いにふけさせる。考えさせられる1冊だった。感謝、合掌

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宮澤賢治の人と自然  林とこころ

池澤夏樹著『言葉の流星群』を読みえました。いろいろな賢治本を見てきましたが、これは賢治理解のうえで出色の作品だと思います。わたしが特に目をを見張ったのは、人間と自然のこれからについて、賢治ほど肉迫した作家はおらず、その早い開花に人々の理解がようやく射程が見えたという彼の主張。当HP"雑木林&庭づくり研究室”として記憶しておきたい勘所なので、長いけど以下、その要点部分の大意を転写。

=========

「日本の社会は・・次々と変わって宮澤賢治の考えたことの意味が大きくなってきた。いわば彼は先回りをして待っていたようなものだ。
 …当時の東北地方の科学好きな仏教徒の詩人に固有の問題が、なぜ日本人全体の普遍的な問題に変わったのか。一番大きい理由は、自然と人間の関係だ。つまり、時代がどんどん反自然的になって危険感が増したため、われわれは自然と人間の関係について深く考えてきた宮澤賢治を必要とするようになったのではな
いか。

 宮沢賢治は、人間と自然の関係、自然の中から一歩外へ出てしまった人間の幸福と不幸のことをずいぶんしつこく考えた。それは当時の社会を先導する人々、つまり東京に住んでいる都会人たちにとって切実な問題ではなかった。当時の東京での身近で切実な問題は、近代的な社会をどうやってつくるか、そのなかで個人として人はどうやって生きていくか、それから日本という国全体を先進国と肩を伍するような国に育てるにはどうすればいいか、その時に個人はどこまで国に対して我慢をしなければいけないか、−−そういう問題だった。おそらく芥川龍之介はそういう問題意識をもって自分の文学をつくっていったのだろう・・(略)。

 それに対して宮澤賢治が考えていたのは、人間の社会が進んで、自分たちで環境をつくり、その中で安閑と暮らすようになり、技術的な意味で近代化の波が東北にまで浸透してきている。人間は自然から離れて、距離ができてしまった。それに由来する不安にどう耐えていけばいいのか、ということを彼は考えたと思う。」

「彼が死んでから70年近くたって、人間はますます自然から離れて生きるようになってきたが、人々は心のどこかで本当にこれでだいじょうぶなんだろうか、と不安感を持つようになってきた。その結果、この問題に過去の日本人で最も深くかかわってきたのが宮澤賢治だということに人々はようやく気付いた。それで作品をもう一度見直してみようという動きが生まれてきた。」

=========

文明生活からわたしたちはなかなか戻れない。もしかしたら不可能かもしれない。しかし現代の気づきは心身、自他を囲む環境のあちこちに自然性をどう失わないでいるかが、とてつもなく大切だ、という点である。yoga、冥想は日々、自分の心身の自然性に向き合う「行」だということにつながっていきます。



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ハワイの熱帯雨林で  林とこころ

ハワイのプチ旅行で熱帯雨林などを巡りました。
俗に花鳥風月と言いますが、作家・松岡正剛(せいごう)によれば、これは自然のパワーを感取するアンテナだという。わたしはこの説に痛く感動したことがあります。

西行は4000の和歌を詠んだが、そのほとんどは自然風景の描写だった。西行にとって風景を謳うことは、お経を唱えるに等しかったという。日本の国土そのものが仏土だということに基づいている。

森羅万象のなかで人は生かされているがいま、人々はアンテナを失い、自然を謳うことの頻度は著しく落ちたのではないか。でも、わたしを含むごく一部の人々の間では、花鳥風月から、加齢とともに失せてきた気をもらい、かつ理性ばかりでなく感性で見ようとしている。どうもそれが自然体というもののようだ、と割り切った。

そうか、それならばこれから先は流れに任せよう、と相成る。話は飛ぶけれども、ハワイは人々の花鳥風月のアンテナをチューンナップするところじゃないか。(写真は熱帯雨林)

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ヤマセミの羽  土地の魂

雑誌「かがり火」のコラムで哲学者・内山節氏がヤマセミ(大型のカワセミ)のことを書いていた。氏はテンカラ釣り(毛ばり釣りの一種)をたしなむ人で、ヤマセミは渓流などで魚を採るために胸毛のフワフワを抜いて水面に落とし、カゲロウなどと見まごうて飛びついてきた魚をとりにいくらしい、と。真偽はともかく、想像を掻き立たせるエピソードだ。

ワラをついばんでアリの穴に差し込んでゲットする鳥など、道具を駆使するさまざまな生き物のことが次々と思い出されてくる。心がそちらに動く自分もあるいは人も、いつしか気分はミドリの季節にあるのか。北海道・胆振(いぶり)の3月は、雪が少ない分、雪景色から再び晩秋のような超早春の風景に変わるのがいつも早い。ところが実際の春はとても遅い。雪が少ないために土が春遅くまで凍っているからだ。

このアンバランスに体内時計が狂う人はいないか。
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森の管理を設計する  林とこころ

大学の森林科学の研究者をアドバイザーにして、環境系の技術士3人の合計4人が、

NPOの森のとりあつかい方向を議論した。林の中を歩きながらの検討も含めて

今季5回目になる。日ごろから、自分のフィールドをもち、自ら積極的に自然に

働きかけ観察も怠らない4人ならではのコメントがだされ、いずれも謙虚な発言が

続く。



なにか、森林という自然のオーラのようなものに感化されるのだろうか。自然な

語らいのうちに、かなりドラスティックでプロアクティブな方向に近づいている。

そこには、地域みんなの財産である森林を扱うことの責任、もっといえば、

something great からの信託のような風を、わたしは嗅ぎ取る。





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ゆっくり話す意味を考える  身体

この半年ほど、人前でスピーチをする際にゆっくりしゃべることにしました。その理由はいくつかあります。

@昨年春の国際コモンズ学界におけるふたりの米国人のプレゼンに感動したこと

Aそれは論旨明確で、言語明瞭、ゆっくりコンパクトなスピーチで表情ゆたかだったこと(=これぞプレゼンか!)

Bそれ以来、自己満足的では意味がない、と反省したこと

C「ゆっくり明瞭」という型をめざすと、逆に内容がついてくること

D脳の回転がダウンし早口のしゃべりが自分自身に合わなくなっていること

などです。


特にCがわたし的には新鮮な発見でした。こうすることによって、考
えながら言葉をじっくり選んで話すことができるため、Dにもつながっています。

えー、とか、または言葉にちょっと詰まったり、やや不自然に聞こえるかもしれない微妙な間合いも、もう特に恐れることはありません。加齢とともにそうなったほうが自然なようだから、まあ、身を任せようという甘えがあってももういいでしょう、という小さな悟りのようなものです。

それにここ2年程前から無意識にしゃべる日常会話で、ずいぶん「かむ」ことが増えたことに気付いていたのです。


「あれ、おかしいな」と思いつつ過ごしてたどり着いたのも、やはりこのスローなスピーチへの転換でした。こうすると、ここぞと
いう話す場面でスイッチが入れると、実際「かまない」のです。
びっくりです。

(画像は2週間で開葉した水挿しのコブシの芽)
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産土(うぶすな)の感覚  林とこころ

たまに書いてきたことでもありますが、土地には根っこに神様のようなものが
いらっしゃるということを経験したことがあり、その思いは今も続いています。

その神秘的な体験は、湿原でひとり植物の調査と採集をしているときでした。
ヨシを主としたその平原は長靴がぬかるようなジュクジュクの状態ではありましたが、
人知をこえた何かが司っているとしか思えないシステムをそこに感じたのでした。

樹木なら年輪が証明する指標を湿原は目に見えて持たないけれども、植物のありようが、
林よりもずっと長い年月を越してきたことを発信している。地質年代のそれでした。

それ以来わたしは、博物学を飛び越えた別の世界に目覚めてsomething greatの
存在に耳目をそばだてるようになりました。

それからざっと35年あまり。その思いは今も変わらず、年に数回訪れてはひとりで過ごす
雑木林の小屋でも、やはり、土地の深いところで人間と共有する土地の感覚というものの
においをかぎます。今はもはやセレモニーのようなひとりの時間を作らないと、
一対一の出会いはやってこないのですが、そんな舞台装置ができてもこれは至難なわざです。

さて、その土地は、特に自然は所有権をこえてみんなのものではないのか。土地はみんなで
付き合う方法はないのか。あらためてその思いをもちます。そのコントロールは、
今の人間には無理かもしれない・・・。

しかし、土地との感覚の往還は日常極めて難しく、わずかに花鳥風月を目にする
レベルで止まっています。もし詩人の表現力で、大地との往還を歌うことができた
ならば、世界はもうひとつ描くことができるのに。そして知恵もでてこように。


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自然を謳うこと  林とこころ

俗に花鳥風月と言われる。

作家・松岡正剛(せいごう)によれば、これは自然のパワーを感取する

アンテナだという。わたしはこの説に痛く感動したことがある。「しかり」。

西行は4000の和歌を詠んだが、そのほとんどは自然風景の描写だった。

西行にとって風景を謳うことは、お経を唱えるに等しかったという。

日本の国土そのものが仏土だということに基づいている。

森羅万象のなかで人は生かされているが

いま、人々はアンテナを失い、自然を謳うことの頻度は著しく落ちたのではないか。

でも、わたしを含むごく一部の人々の間では、

花鳥風月から、加齢とともに失せてきた気をもらい、かつ理性ばかりでなく感性で

見ようとしている。

どうもそれが自然体というもののようだ、と割り切った。

そうか、それならばこれから先は流れに任せよう、と自然と相成る。




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タグ: 花鳥風月 感性 風景

気の充実のために  林とこころ

すこし気持ちが忙しいのでしょうか、このところ、気がうすいような

虚ろな感覚が少しあります。昨日と一昨日の夜は「ウタキ」などパワースポットの

画像をいくつか探して眺めていました。



インプットとアウトプットの差、人と合う時間や気働きとパワーを持っている

山や木や自然(もちろん人でもいいのかも)との付き合いの差、バランスなのかな

と思います。ほんの微妙な違いなのでしょうが、ひとりの時間がないわけでは

ないのにひとりになっていない。



これまでもよくあったことです。そういうときには沖正弘師の冥想とヨガの本を

開いたり般若心経に関するものを読み返したり。それだけでも少し我にかえった

ような気がしてきます。



something great  自分を生かしてくれているなにかの存在を感じながら

日々を送りたいものです。今日はもう一度沖縄のウタキの画像を眺めて見ます。

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心の始末  林とこころ

幕末の志士らに強い影響を与えた佐藤一斎の「言志録」を
読み始めたところですが、訳注者の川上正光氏が面白いエピソードを
書いています。

*禅の世界で有名な無文禅師
 「病気をするようなやつはにせものだ。 ほんまの座禅をしとらんのじゃ」

*ある和尚said
 「仏教では本当は長寿でボケないことが一番大切な修行のしるし」

*そしてsaid
「長寿の秘訣は、般若心経にいう「心にケイゲなければ恐怖あることなし」、これが長寿への一里塚。
   (シンムーケイゲ、ムウクウフウ、オンリイッサイ・・・)

そして川上さん、「儒者であれ仏者であれ自分の心のしまつがつけば長寿疑いなし、と。さまざまな養生訓がありますが、これが一番強烈でしっくりきます。しかし、実践は容易でない・・。



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タグ: こころ 健康 仏性

北海道とゲリラガーデナー  林とこころ

わたしの町内は7000年前は海だったところで、家から300mほど北には
急な海岸段丘があります。そこから北側は広葉樹林で、そのまま支笏湖や羊蹄山、札幌の
定山渓などにつながる一大森林地帯が広がります。

その里の部分は高圧線の鉄塔が数機建っていますが、以前から散策路があって丘の上からは
住宅地と太平洋が望まれます。が、誰の土地かよくわからないまま、近所の人々を中心に
朝な夕な散歩コースになってきました。

しかし何年か前の度重なる台風による風倒木が発生したころから林はとても荒れた感じになり、
かつ、薄暗くなって来ました。入り口の家庭菜園もおどろおどろしいものを回収して飾ったり
するため、かつてのすがすがしい林の雰囲気は失われ、歩く人も減ったような気がします。
この夏はその暗い小径にカラスの死骸がありました。

わたしはいずれ、この林こそ、所有者を探し申し出て、せめて風倒木の片付けをし、
サンショウの多い斜面、それとサンショウの大木がたつ丘の上を、もう一度展望の
効く丘にしたいと思っています。

先日、布袋に鎌とノコギリを持参し、丘のてっぺんの枯れた高茎草本とエゾヤマハギを
切らせてもらいました。おととしも藪になってしまったてっぺんの草を刈りました。
しかし、もっと定期的にしないと追いつかないようです。

土地。そこには所有権があって、それはきびしく守られています。その一方で、
土地に付随する林などの環境は、周辺の人々が利用できる環境でもあります。
フィンランドでは万人権という慣習があり、あるルールを守ればある程度自由に
他人の土地に入ることができ、ベリー摘みなどもできます。

フィンランドの環境省の方にうかがってみたところ、「それで今のところ何も問題がない」。
わが北海道も、わたしの町内でも苫東コモンズでもそれと似た状況にあります。

不在地主が放置している身近な林は、もし慣習で林の利用が行われていたのであれば
環境は「みんなのもの」という共有感覚で、手入れしながらあるかせてもらえないか。
この提案は有効ではないかと思うのです。この小さな声をいずれもう少し大きな声に
変えたい。今は、ややコソコソとゲリラガーデナーとして動きましたが、ちょっと
考えを転換すべき所にきているような気がします。





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浅田次郎「終わらざる夏」を読んで  社会

文庫本、上中下全三巻、約1000pを約2週間の通勤時間で読破。

かなり本格的な戦争文学で、綿密な事前下調べに、浅田独特の
ストーリー展開が加わり、特に中盤以降は朝も夜もとわず通勤時は泣かされっぱなしでした。

最終的には、第2次世界大戦の終戦前後、チシマ列島最北部の占守(しむしゅ)島での不可思議なソ連による攻撃(ポツダム宣言受諾後)で終わるのですが、あの、歴史的にも簡単に片付けれてしまう「不可侵条約を一方的に破棄して、、、、侵攻、、、」というあの下りがどのような意図の元にどのように展開し、電波妨害で玉音放送を聴けなかった日本軍がどんな疑問を抱きつつどのように状況を理解していったのか、を
恐らく推論もあるのでしょうが、小説という手法を援用して、実に
リアル(風)に描いてみせるのです。

攻めてくるとすればアメリカ軍だと思い込んだ日本軍は、前線である島に英語に堪能な通訳を送り込んで降伏を迎えるつもりだった(大本営)のですが、やってきたのはソ連だった。なぜだ、何があったのだ、とツンボ桟敷の中で推理していく息をのむ展開。

北方4島のことはわかったようでわからない。ましてやアイヌ問題も絡めるとなるとなお不明が多い。それを昨年、渡辺京二「黒船前夜」がやはり目から鱗がおちるような明快な筆致で描き感動しつつ読破しましたが、浅田のこれはそれを上回る、追体験と錯覚しそうな描写でした。

歴史はどう解釈するか、むずかしい問題ですが、底にある真理や流れは自力で真偽を問いながら読み込んで自分の理解を持つと言うことはとても大事だと改めて知らされます。遅ればせながら歴史の学びは、こういった語り部に触発されるのではないか、とも思います。

ところで、大前研一はある雑誌で、ロシア侵攻は、戦勝国の権利なのだというに近い論旨の展開をしています。これは日本の歴史理解と全く別な視点。参考にURLを載せますが、お詳しい方、どなたか解説願いませんか?。
http://president.jp/articles/-/10075


追:大前研一の指摘の核心は下記部分。以下、上記記事からコピー。

=====
・・・
北方領土の歴史認識に関しては、日本側に問題がある。日本の教育では、日本がポツダム宣言を受諾した後に旧ソ連軍が北方領土を不法占拠したように教えているが、史実は異なる。

ヤルタ会談やカイロ会談などの戦勝権益に関する話し合いで、当時のスターリンは対日参戦の見返りとして北海道の北半分を要求した。しかしアメリカのルーズベルト大統領はこれを認めずに、「南樺太を返還して千島列島の内南クリル(北方四島)をロシアが取る」代案を示した。最終的に決着したのはトルーマン大統領の時代で、旧ソ連は“正式な戦利品”として北方四島を含む千島列島を得たのだ。

明治以前の帰属は双方に言い分があって不明だが、明確な事実は日露戦争以降、日本が南樺太(南サハリン)と千島列島(クリル列島)を領有していたこと。そして第2次大戦の結果、戦勝国の旧ソ連は南樺太と千島列島を奪い取ったのではなく、“戦利品”として与えられたということだ。おかげで敗戦国の日本はドイツのような「国土の分断」を免れた。こうした視点が日本の歴史認識に欠けている。こういった話は、尖閣問題における中国の姿勢と通じるところがある。“日ソ不可侵条約に反して宣戦布告なく北方四島を占領した”と日本では信じられているが、樺太と異なり、旧ソ連軍の侵攻・占領は終戦後である。

=====

また、4島返還のきっかけとしてこう書いている。

=======
北方領土の四島一括返還論にしても、「北方四島は日本固有の領土であり、四島が揃って返ってこなければ日ロ平和条約は結ばない」と外務省が言い出したのも、1956年のダレス米国務長官と重光葵外務大臣のロンドンでの会談がきっかけだ。

当時、領土交渉が進展して日ソ関係がよくなることを警戒したダレスは、沖縄返還の条件として、旧ソ連に対して「(呑むはずのない)四島一括返還」を求めるように重光に迫った。

つまり、四島一括返還論は旧ソ連に対する“アメリカの嫌がらせ”から始まっているのだ。戦争終了後、10年間もの間、日本はそのような要求はしていなかった。外務省は長い間「北方四島返る日、平和の日」と書いた垂れ幕を、屋上から掲げていたが、アメリカの忠犬ポチとしての同省の性格がよく出ている。

========

このカラクリめいたことは初めて目にしました。
放置すべきでない論点だと思いますが、では、日本で認知されてきた公式見解とはなんだったのか。大前氏の話はガセネタなのか。国の歴史認識にこんなに大きな差違はあるものなのか。

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