結婚、親心、町内会  

■昨日は久々の結婚式にお呼ばれ。午前の結婚式と正午からの披露宴をあわせると、ほとんど勤務の日と違いがない感じ。で、
夕方ほろ酔いで帰ってきた。昼のお酒はおいしく、倍効く。

と、出かける前のわたしはちょっと「一日仕事」になるのをうらんだことを白状します。

でも。人と人が真剣に結ばれるのは、やっぱり、感動モノでした。夫婦になる真剣な契り、親心、子供の親に対する愛情‥。

新婦の両親があいさつに来られ、ドモドモ、やれやれ、こもごもを瞬時に感じ取るひととき。これらは洗心を誘うイベントだ。

と、となりの、ほとんど付き合いのなかった同僚がウーロン茶である。
「どして?」
「これから孫の運動会!」どっひゃー!その歳で? それから根掘り葉掘り。

子どもを作るって、親になるって、じじいになるって、大変なドラマなんだなあ‥、と。だから、結婚はすべし、子供は作って親心を味わうべし、そうしてはじめて親子のこころのフルセットを知る、と思うわけです。そう簡単でないけど。

■折りしも、NHKが「少子高齢化を考える」特集を2夜連続でやっており、取っておいてもらった録画をみた。
日本は変わりうる、みんなで帰るべし、というパンチのないありきたりの結論にわたしはたどり着いた。わたしもまだまだ変わりつつある。

昨夜は久々の雨、シトシト。慈雨というのかな。

■そして今日。林の仕事を片付けて2時過ぎから庭に出ていると、隣のご主人が顔を出し、ペットの追悼話をする。向かいのKさんがアプローチのインターロッキングをはがし始めたので見に行く。そこで、市井の感性と情報を交歓。ご老人には、下手に求め過ぎない哲学がどうも出来ているような感じがぬぐえない‥。
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何となくわかりました。やってみるものです。
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バーストする  

私たちの日常は日々移ろいながらただ流れていくが、しばしば何かを確実に積み重ねていくようだ。善悪いずれももちろん含み、単なる仕事や知識の蓄積であることもあるし、とりあえず何ら関係性をもたないバラバラのパーツであることもある。少なくともそう思っている。
 そんなバラバラに見えた関わりのパーツが突如バーストするように突然つながり始めて形を見せ始めることがある。ばら撒いたシーズが実る、などと柔らかくいう人もいる。わたしはある条件が満たされてひょんなキッカケから生命が生まれるような、そんなイメージをもっている。そのバーストというのが、実は昨年あたりから時折出てくるようになった。悪い面ではなくいい面ばかり、ハッピーなことだけである。
 例えば、全然関係のない人間関係がある日、ある共通項を持っていることがわかり新しい付き合いが始まったり。ささやかな勉強が大きなテーマに育ったりする。こういう時は数日胸がふくらむ思いが持続する。そして自分はなんと恵まれているのだろうと素直に神々や周辺に感謝する。
 そしてなぜだろうと考える。バーストして生まれるのは、社会的にたいして意味のあるものでもない些細なことだから、きっと欲のない結果なのではないかと思う。なるようにしかならない、だから流れに任せ、とらわれることがない。人生についておおむねいつも肯定的である点などを別の角度から見ると、きわめていい加減な人生だと言えなくもない。木を切ったり草を刈ったりすることに満足できるのだから、使命感など皆無。ああ、こんなことでいいのか。目標が低すぎるのではないか?でも、きっとこれでいいのである。

 さて話は変わって、昨日の午前はアオダモに関する2回目の検討会に呼ばれた。苫東のフィールドに関することだったのでアオダモ造林地のこと、山の人がアオダモを薪に重宝してきたこと、苫東のコナラの雑木林は「こころ」に優しく、育林コンペなどはまず美しい林を創る先駆けだったこと、森林療法の第一人者らが早期に苫東のフィールドを訪れ、ここの立地条件に注目してきたこと、それらはログハウスの周辺でフットパス作りへと続いていること、そんなストーリーの一部もかいつまんで話した。
 考えてみると、あの林の故事来歴、意味などをかなり自己PRと重ねてしたことになる。ひょっとしたら土地所有者もそんな捕らえ方をしていないかも知れないから、近年わたしは自分のことを「物好きな風土のインタープリター」なんだと思うことがあるのだ。土地の所有とは、たまさかの仮の姿でありあくまで地域(人と土地)のものであろうと心の中では感じるようになったから、土地の氏神様、あるいは地霊(ゲニウス・ロキ)にわたしはチョッとだけ頼まれているような気がするのである。こう書くといよいよ危ない感じになってくる。ざわ(笑い)。
 夜は北大であるお別れの会に参加した。環境を考える場でもあったが、いろいろなタネも拾った。こういう一日に拾うシーズが背中のザックの中に無造作に投げ込まれながら突如静かにバーストすることになるのだろう。バースト…。バーストとは生きる意味にとても近い。
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ブログ開設によせて  

とうとうブログを始める。当然の成り行きのような、息切れするのを恐れるような、そんな気分で初日を開始した。タイトルはある日の掲示板に記した下の言葉を思い出したから。

すなわち
《後ろから支えられて前方を眺める、高みから眺めること、そのものが人を落ち着かせ安心させ、木々に囲まれたへこみは精神の避難所=アジールである、…などの言葉を追っているうち、わが「まほろば」はアジールであったのだと気づく…。》

林とこころ、林と人の本当の付き合いを探していくわたしの関心において、まほろば的な場の意味はとても大きい。いずれ変えるかもしれないタイトルではあるけれど、まずこの言葉で動機を明確にしようと考えたわけ。

淡々とした小さな船出。先達、同胞たちの巧みな修辞に見習いつつ着実な文章作りをレッスンしてみたいというのももうひとつの動機でした。でした、などとここで文体を混合する遊びも吉本ばなななどをみつつ感嘆してえることとなったある種の収穫。しなやかに行って見る…。こんな感じで行ってみよう!
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