バリ島の余韻  社会

4/1の夕方、インドネシアから苫小牧に戻りました。
インドネシアの印象は冥想したい場所が随所にあり、特にバリ島はヒンズーの人々が
神々と先祖に祈りをささげつつ生きているところ、という感じでした。

食事もおいしく、異国情緒大。日本が太平洋戦争を戦った命綱の資源の多くはインドネシアにあったこと、天皇陛下が昨年慰霊に行かれたパラオなどのカロリン諸島がその経路にあることなどを思い起こすと感慨もひとしおでした。

また初めて本物のスコールを体験しました。毎日です。インドネシアのジョグジャカルタやバリは南半球なので3月まで雨季。朝は晴れ、午後から数回スコールというリズムでした。

棚田の水管理システム「スバック」がコモンズとして世界遺産になっており、これも単に眺めただけですがいい見分になりました。

パワースポットを地で行く感じと人々の祈りの感覚。やはり大きな余韻が残ります。

(写真はジョグジャカルタのシェラトンホテル。豪華な庭は植民地時代の贅もかくなるものかと想像させた。パティオと外部との境界には、確か off security(ここから先は安全は保証しない?)というような警告板がたててあった。gated community である)

クリックすると元のサイズで表示します
雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
0

歴史の正体  社会

遅まきながらの歴史の勉強が少しずつ進み、目から鱗の日々。
とりわけ今、学ぶべきと痛感するのはやはり大東亜戦争とそこに至る明治以降の日本、
そしてアメリカの「指導」よろしく仕組まれたプログラムに恭順してきた戦後史。
自虐史を正義とみる周辺の流れに抗い、歴史を正視するのは自分の殻を飛び出すような
行為に似ていることに気が付きもしました。

先日、清水馨八郎著「大東亜戦争の正体 〜それはアメリカの侵略戦争だった〜」を
読みました。いろいろわかりかけてきた大東亜戦争ですが、米国の出した洗脳プログラムと
メディアと教育の連携で染められた誤解を、敵国人が、これほど簡明に逆の真実を述べ、表現
したものは2度目。(一度目はマッカーサーの26年の米国の委員会での、日本の戦争は侵略でなく自衛だった、という証言でした。)

以下、引用。(ただし、文中、サンティン市長の名前に過誤があるようです)

================

アムステルダム市長による日本擁護論 祥伝社黄金文庫 202p〜

 平成三年、日本の傷痍(しょうい)軍人会代表団が、大東亜戦争の対戦国であったオランダを訪問した折、同国の傷痍軍人代表とともに、首都アムステルダム市長主催の親善パーティに招待された。その時、同市のサンティン市長は歓迎の挨拶で、実に良心的に大東亜戦争の真実を語った。思いもよらぬ話に、日本の代表団は感激した。

「あなた方日本は、先の大戦で負けて、私どもオランダは勝ったのに、大敗しました。今、日本は世界一、二位を争う経済大国になりました。私たちオランダは、その間屈辱の連続でした。すなわち、勝ったはずなのに、貧乏国になりました。戦前はアジアに本国の三六倍もの面積の植民地インドネシアがあり、石油等の資源産物で、本国は栄耀栄華を極めていました。

 今のオランダは、日本の九州と同じ広さの本国だけになりました。あなた方日本は、アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけたと自分を蔑(さげず)み、ペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。

 あなた方こそ、自ら血を流して東亜民族を解放し、救い出す、人類最高の良いことをしたのです。なぜなら、あなたの国の人々は過去の歴史の真実を目隠しされて、今次大戦の目先のことのみ取り上げ、あるいは洗脳されて、悪いことをしたと、自分で悪者になっているが、ここで歴史を振り返って、真相を見つめる必要があるでしょう。

 本当は私たち白人が悪いのです。一〇〇年も二〇〇年も前から、競って武力で東亜民族を征服し、自分の領土として勢力下にしました。植民地や属領にされて、永い問奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大にして崇高な理想を掲げて、大東亜共栄圏という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。

 本当に悪いのは、侵略して、権力を振るっていた西欧人のほうです。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現しました。すなわち日本軍は戦勝国のすべてを、東亜から追放して終わりました。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。

 日本の功績は偉大です。血を流して戦ったあなた方こそ、最高の功労者です。自分を蔑むのを止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきです」


 参加者全員、思いがけない市長の発言に感動したのは言うまでもない。この市長のように、ヨーロッパの文化人や識者は、あの戦争は日本のほうが勝ち、攻めた白人たちのはうが負けて、虎の子の植民地から追い出され、西洋の古巣に戻されてしまったことを知っているからである。
 世界史的に大観すると、大東亜戦争はアジアが西洋に勝ったいくさであり、それはこの戦いをリードした唯一のアジア独立国・日本の功績にはかならない。「日本は負けて勝った」のである。アムステルダム市長のサンティン氏のように、ヨーロッパ人は東洋の日本に、謝罪し、反省し、感謝しなければならない。このような良心的な正論を吐く市長だから、彼はやがて、全国民に推されてオランダの国務大臣に選ばれたのである。

=======================

いろいろな方にぜひお勧めしたい一冊でした。
雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
0

歴史を語る人は紳士的であらねば  社会


歴史を語ろうとする人はまず紳士的でなければならない。言葉使いひとつで歴史表現が

汚れやすいから。どうも乱暴な言葉が脈絡を乱してしまう。乱暴な言葉を慎み、

辛抱して丁寧に語らねばならないようだ。歴史に限らず真実を語ろうとするときも、

勤めて冷静に言葉を選んで相手に向き合わねばならない。無頓着で感情的な言葉の陰に

真実はかすんでしまうことがよくあるから・・・。歴史表現と議論の推移をみていて

つくづくそう感じるこのごろだ。


 確実な資料を探しあて初めて確信を得る、という貴重な流れを一冊の本で味わった。

高橋史朗著『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』

である。アメリカが日本人に「義眼」を埋め込んだとする一つ一つの占領時政策と

効果はすでに一部で言われてきたことだが、アメリカが保管してきて公開を

始めた占領期の資料を、30歳の著者が留学して探し当てる後段の描写は鬼気迫るもの

を感じた。探すものにたどり着けない焦燥の日々と突然の発見は、心情いかばかりかと

推察した。


 近・現代史を初めて意図的に学び始めて約半年、少しずつ、迷妄の霧が晴れていく。

レフトかライトか、というより真実はどの辺にあるのかと忍び寄って、左右の意見を

振り返るのはわたし個人にとってまったく新しい世界だ。少しずつ公開される歴史の

事実資料。それを読み解く著者のような地味な作業は、強力な支援のもとで進められ

ないものか。今、議論行きかう歴史認識にさおさし本来持つべき矜持にたどり着かせる

のは、このような事実の開陳と幅広く粘り強い発信に大きく委ねられているといえる

だろう。ただ、それらはマスコミは取り上げないだろうという点にも留意したい。



雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
0
タグ: 歴史 アメリカ 占領

浅田次郎「終わらざる夏」を読んで  社会

文庫本、上中下全三巻、約1000pを約2週間の通勤時間で読破。

かなり本格的な戦争文学で、綿密な事前下調べに、浅田独特の
ストーリー展開が加わり、特に中盤以降は朝も夜もとわず通勤時は泣かされっぱなしでした。

最終的には、第2次世界大戦の終戦前後、チシマ列島最北部の占守(しむしゅ)島での不可思議なソ連による攻撃(ポツダム宣言受諾後)で終わるのですが、あの、歴史的にも簡単に片付けれてしまう「不可侵条約を一方的に破棄して、、、、侵攻、、、」というあの下りがどのような意図の元にどのように展開し、電波妨害で玉音放送を聴けなかった日本軍がどんな疑問を抱きつつどのように状況を理解していったのか、を
恐らく推論もあるのでしょうが、小説という手法を援用して、実に
リアル(風)に描いてみせるのです。

攻めてくるとすればアメリカ軍だと思い込んだ日本軍は、前線である島に英語に堪能な通訳を送り込んで降伏を迎えるつもりだった(大本営)のですが、やってきたのはソ連だった。なぜだ、何があったのだ、とツンボ桟敷の中で推理していく息をのむ展開。

北方4島のことはわかったようでわからない。ましてやアイヌ問題も絡めるとなるとなお不明が多い。それを昨年、渡辺京二「黒船前夜」がやはり目から鱗がおちるような明快な筆致で描き感動しつつ読破しましたが、浅田のこれはそれを上回る、追体験と錯覚しそうな描写でした。

歴史はどう解釈するか、むずかしい問題ですが、底にある真理や流れは自力で真偽を問いながら読み込んで自分の理解を持つと言うことはとても大事だと改めて知らされます。遅ればせながら歴史の学びは、こういった語り部に触発されるのではないか、とも思います。

ところで、大前研一はある雑誌で、ロシア侵攻は、戦勝国の権利なのだというに近い論旨の展開をしています。これは日本の歴史理解と全く別な視点。参考にURLを載せますが、お詳しい方、どなたか解説願いませんか?。
http://president.jp/articles/-/10075


追:大前研一の指摘の核心は下記部分。以下、上記記事からコピー。

=====
・・・
北方領土の歴史認識に関しては、日本側に問題がある。日本の教育では、日本がポツダム宣言を受諾した後に旧ソ連軍が北方領土を不法占拠したように教えているが、史実は異なる。

ヤルタ会談やカイロ会談などの戦勝権益に関する話し合いで、当時のスターリンは対日参戦の見返りとして北海道の北半分を要求した。しかしアメリカのルーズベルト大統領はこれを認めずに、「南樺太を返還して千島列島の内南クリル(北方四島)をロシアが取る」代案を示した。最終的に決着したのはトルーマン大統領の時代で、旧ソ連は“正式な戦利品”として北方四島を含む千島列島を得たのだ。

明治以前の帰属は双方に言い分があって不明だが、明確な事実は日露戦争以降、日本が南樺太(南サハリン)と千島列島(クリル列島)を領有していたこと。そして第2次大戦の結果、戦勝国の旧ソ連は南樺太と千島列島を奪い取ったのではなく、“戦利品”として与えられたということだ。おかげで敗戦国の日本はドイツのような「国土の分断」を免れた。こうした視点が日本の歴史認識に欠けている。こういった話は、尖閣問題における中国の姿勢と通じるところがある。“日ソ不可侵条約に反して宣戦布告なく北方四島を占領した”と日本では信じられているが、樺太と異なり、旧ソ連軍の侵攻・占領は終戦後である。

=====

また、4島返還のきっかけとしてこう書いている。

=======
北方領土の四島一括返還論にしても、「北方四島は日本固有の領土であり、四島が揃って返ってこなければ日ロ平和条約は結ばない」と外務省が言い出したのも、1956年のダレス米国務長官と重光葵外務大臣のロンドンでの会談がきっかけだ。

当時、領土交渉が進展して日ソ関係がよくなることを警戒したダレスは、沖縄返還の条件として、旧ソ連に対して「(呑むはずのない)四島一括返還」を求めるように重光に迫った。

つまり、四島一括返還論は旧ソ連に対する“アメリカの嫌がらせ”から始まっているのだ。戦争終了後、10年間もの間、日本はそのような要求はしていなかった。外務省は長い間「北方四島返る日、平和の日」と書いた垂れ幕を、屋上から掲げていたが、アメリカの忠犬ポチとしての同省の性格がよく出ている。

========

このカラクリめいたことは初めて目にしました。
放置すべきでない論点だと思いますが、では、日本で認知されてきた公式見解とはなんだったのか。大前氏の話はガセネタなのか。国の歴史認識にこんなに大きな差違はあるものなのか。

雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
1

教育の大本  社会

月刊誌「致知」で池川クリニック院長の池川明氏と筑波大名誉教授村上和雄氏の対談を読みました。「体内記憶に心耳を澄ます」。

一時、「スポック博士の育児書」というのがはやりました。26年生まれのわたしも聞いた覚えがあります。池上氏によると、昭和40年以降に生まれた子供たちに情緒混乱やすぐキレる子供たちが激増したといいます。実は39年に配布された母子手帳から、博士の「泣いてもすぐ抱っこしてはいけない」「添い寝もおっぱいもやめましょう」「赤ちゃんの自立を妨げるから」など、抱っこや添い寝を否定する記述が盛り込まれ、日本ではそれが約20年続いたというのです。

それが事実だとすると、なんということだろうと慄然とします。人は誤謬に満ちた社会に後天的に育てられることもあることの典型です。そしてそのスタートである赤ちゃんあるいは胎児の時間の育てられ方がその後に大きく反映される。

教育の受け方によって、今、その後の人生が決まってしまう格差が問題にされていますが、さらに恐ろしいことに貧困や不幸から飛び出せない再生産されていく地獄。その処方箋がまだ見えていないのですが、わたしは知育と同時に、隅に置き去りにしてきた感のある徳育こそ大本の教育だろうと思います。

そんなことはわかっている、と誰しも言いますが、「価値観の多様さ」という怪物が徳育を阻んでいるのではないかと思います。一時、これを言えば議論が進まないという(金科玉条になった)個人情報、自然を守ろう、持続可能、その他もろもろ。価値観とは多様であるのは結構ですが、これだけは、というのがあるのではないか。たとえば、人生は一生学びだ、とか、他人の恩は忘れるな、とか、天上で神様がみているから悪いことはしてはいけないとか、友達を裏切ってはいけない、とか。

このごろ、教育の重さを、人間の幸せの源泉と並べてみてあらためて驚くことがあります。大本の教育として必要だと思われる人間学のようなものは、単に一人の人格の形成ばかりでなく、企業の経営や行政の舵取りなど全般におよぶ社会関係資本にボデーブローのように効いているのではないか、それをどう再生できるのか、そこが今日本の最大の問題ではないかと思います。時々、現在は人間学が盛んだった頃の遺産で食っているのではないか、と思うこともあります。どうもまた、冗漫な終り方になりました。
雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
5

子供たちの将来と教育格差の問題など  社会

ここ数年、地域の社会関係資本いわゆるソーシャル・キャピタルのアンケート調査と
勉強会をしてきて、昨年、「これからの選択ソーシャル・キャピタル」という共著で地域のつながりに関する考察をちょっと書かせてもらいました。

ここのところ、その延長線上には「教育」と「家庭」が大きな課題として残されている、
と言うことになり、勉強会はアスピン・アンデルセン、苅谷剛彦、本田由紀など各氏の
著作を読本として、輪読会のようなものが月一回のペースで進んできました。

わたしは教育者でも研究者でもないので、全くの素人の研究会マネージャーとして
ロジスティックな点からしか関わらないのですが、そこはそこ、教育というサービスを
受けてきた側として、さらに学習は生涯つづくという自覚で実践するものとして、
とても展開が興味深く感じられます。そう、これもいつかきた道です。

勉強会を通じて痛感してきたことは、

・教育の格差が階層格差に連動し
・学習する機会はもちろん、努力することそのものが所得階層の影響を受け、
・それは最終的に一生を左右する

つまり将来の希望まで格差が生じるということでした。
 
 また、ゆとり教育が詰め込みを排除する方向で進められてきたなかで、学習の初期に
詰め込みをする功罪がまだ賛否両論ですが、この年になってくると、詰め込み教育とは、
各自の脳の中に事典と辞書をうめこむものではないか、と考えるようになりました。

事典や辞書は、自分の中に、ある体系を持つときの素材であり、一定程度は不可欠のもので、
そこでは落ちこぼれは作らない、という設定が大事だと考えるに至ります。

さらに、北海道の帯広の農業高校を舞台にしたコミック「銀の匙」を読みながら、実業教育が
培う濃密な人間関係・コミュニケーションは、社会的な動物である人間の
大切な部分を育み、それは大学受験を目指したコースとは違う、真逆の人間らしさの漂う
早熟なコミュニティを作っている。そんな感じがします。

「銀の匙」では、いわば学習の真ん中に、ここで何を学んで生業にどう結びつけていくのか
というテーマ主義があって、そこに集う同年、教師、農業の先達らが切磋琢磨するのです。

今、フィンランドの幼児教育や児童教育が注目されていますが、自分で考える力を
養い、教師はそれをていねいにサポートすることが目につきます。それとテーマ主義
のような部分があるのでしょうか。

先日のフィンランド訪問では、ボーイスカウト、ガールスカウトが楽しそうに何パーティも
バスに乗り込み寝袋の入ったザックを担いで森に入っていく姿を見ました。どうもそこには
大人の引率者がいないようなパーティもありました。 クリックすると元のサイズで表示します
写真は国立公園の夕方。大人が囲んでいる話の中に幼児たちが炉などを囲んで遊んでいる。右手の東屋ではソーセージを焼いている。


雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
2

フィンランドの万人権  社会

19日からヘルシンキに来ています。今日はもう5日目で、夕方の飛行機で日本へ戻ります。
13日の深夜英国ブリストルについてからあっという間でした。

英国ではコモンズという土地と権利について、フットパスの協会やコモンズの権利運動の
民間の地域リーダーにお話を伺いましたが、ヘルシンキでは、フィンランド特有の
万人権、英語でeveryman's rightという不思議な権利について、今度はどちらかというと
官側、研究者の方々にヒアリングしました。

なぜフィンランドの万人権に関心を持ったかといえば、北海道や苫東コモンズに象徴的な
誰かの土地に勝手に入ってハスカップやきのこをつむ暗黙の権利、あるいは慣習というものが
ほかの北欧4カ国と違って法律で保障されてはいないのがフィンランドだからでした。

で、特に問題らしいものはないのが面白いのですが、近年毎年のようにメディアの話題になるのは、
ある会社がタイ人をやとって大量にベリーを摘んでビジネスにしていることです。しかしそれでも
禁止したりするところにはいたっていない。

私たち3人が日本から万人権のヒアリングに来るといういうことでヘルシンキ大学の問い合わせたところ、ヘルシンキ大学では法学部系の学部長が関心を持って、それではということで万人権に
関心のある先生に声をかけ、ヘルシンキ大学だけでなく各地から10人近い先生方が集まった
というわけです。

日本からわざわざ聞きに来る万人権とはもそもなんぞや、ということが話題になったのです。
こういうヒアリングと同時に、オウルのそばに住んでいるご夫婦(通訳してくれた方のご両親)に
実際にヌークシオ国立公園に同行してもらい、いろいろ日常の話を聞きました。

ピッコラさんは63歳で、現在70ヘクタールの森作りをしているというから好都合でした。
そのピッコラさん、自分も他人の土地に出かけ他人もやってくるけれど、万人権なんてきにした
ことがないといいます。

つまるところ、わたしはフィンランドの万人権は、「寛容なソーシャル・キャピタルである」という
結論に達しました。これはまさに北海道につながる概念ということができます。

雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
5

子供たちは「いつかきた道」  社会

昨年11月に始めた里山の手入れが、いよいよ丸太を切って薪にする
最後の段階に差し掛かりました。先月から少しずつ藪から出して、雪解けと林道の安定するのを待って、これまた少しずつ軽トラックで運んでいたのですが、量がまとまったので、関係者に声をかけ、祭りのような作業をしました。わたしのみたところ、薪は正味60㎥。

さてこの作業では16人の参加者のうち3名が子供。小学生男子児童、中学生女子、高校生男子の各1名が、お父さんやオジイサンに連れられて手伝いに来ました。苫小牧1、札幌2です。

子供たちは、オジサンおばさんに囲まれて、実に子供らしかった。小学生はネコの手よりはるかによく働き、はきはき受け応える純真無垢な人気者。

中学生になるといろいろな思いもあってすぐには溶け込むことはないけれども、段々打ち解けてきていた。オジサンおばさんらは、自分もいつか来た道だから、それをじっと見ていて、何気なく声をかける。高校生は、もうマイペースで黙々と薪を割っております。

こうやって人生のシーンを重ねて子供たちを見ていたとき、突然、
「そうだ、これがこれからのコミュニティではないか」と思い始めました。
祖父母とも離れて核家族で生きる今日、つかず離れずのこの関係は、子供たちにもきっといい意味があるのではないか。自分がこの子らを
肯定的に、まさにそんな眼差しで見ていることに気づいたのです。

クリックすると元のサイズで表示します



雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
7

北海道の高齢者ケアの公開セミナーにて  社会

3月11日(日)の午後、ケアに関する札幌市内のセミナーに出ました。こじんまりしたもので、女性が30名弱、男性は3名、うち一人がわたしでした。大テーマは「ケアリング関係の視点からの高齢者支援〜日本の復興にむけて」。

テーマと講師は、
「高齢社会のリスクとタスク」 北大金子勇教授
「高齢過疎地域社会における独居老人の生活現状と課題」 ケアマネージャー 三島京子氏
「超高齢社会のケアリング関係〜家族・ジェンダー・地域社会〜」 北海道教育大学 笹谷春美教授

このなかで笹谷教授は、ケアリングの視点でわかったこととして、家族のケアリングの関係が変わって、嫁が義理の父母をケアする関係から、夫婦間介護や、娘が実父母をケアする形態にかわり、特に北海道が先行している、と述べました。

後半の質疑でその点について手を挙げてちょっとお聞きしました。

@なぜ、北海道では、娘→実父母に代わったのか
A北海道はなぜ先行といえるのか、本州以西も追随するのか

答えていただいたところでは、北海道は3世代同居が少ないこと、家の規範が強くないこと、を挙げられました。つまり、おそらく、嫌なことはあまり無理してしない。この事例は思い当たることが多々あります。自由度が高い、とも言えます。歴史の浅い、北海道らしいところでもあります。

Aは道内アンケートにおいて、ケアする人、される人双方から、望ましい方向がこれだと回答されており、望ましいという点では国内類似傾向があるとのこと。

身近なところでは、わがワイフも各々の親は各々が中心になってケアしようね、という姿勢で、自分は高齢の実母には結構行くようになった反面、わたしにはわたしの実家に飛行機に乗って顔を出すようによく薦めます。そして2回に1回くらいは同行します。

認知症同士の夫婦が互いにケアする認認介護、共助・互助・公助と並んで「商助」(いわゆる有料のケア)など、わたしには耳新しいキーワードを知りました。特にワーク・ライフバランスは本来、ケアをいれて、ワーク・ケア・ライフバランスというべき、という笹谷さんの指摘はうなづけます。子育てや家事をワークとケアにまたがせることで、女性の重要な仕事に家事も育児も含めて社会が認めることになり、あとは必要な時期には仕事に就ける仕組みが待たれます。

静かで重たいテーマに向き合いました。隣では女性のFさんが、自分たちの問題なのになんで男性がいないんだ、とブーイングを発していました。
雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
5

家で死ぬということ  社会

昨夜のNHK番組「「家で死ぬということ」をご覧になった方もいらっしゃる

のではないかと思います。

http://www.nhk.or.jp/nagoya/ie/index.html

特に田舎を世界遺産を誇る白川郷に代表させずとも、地方の人とコミュニ

ティと風土に根ざして生きて、そこで見取られて死んでいく普通の高齢者

(ここでは老婆)の「生」の重みが残る番組でした。


「看取る」という時間は、送るほうにとっても送られるほうにとっても、

人生のドラマのピーク。できれば身内だけでなく世間というもののなかで

死にたい、という願望を自分も強く持っていることに気づきます。

では、そういうコミュニティの付き合いをしているのか、という問いかけも

自然と沸きます。そしてまったく出来損ない状態に近いことを知ります。



涙が止まらないので、ままよ、と手で拭きながらいると、

そばで家内も同じようなことをしていたみたい。こういうときは、お互い、

見ないのがルール(笑い  地域で生きるということの全体像を思い浮かべて

あたたかい気持ちにもなりました。クリックすると元のサイズで表示します
雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
3

ソーシャルメディアと「情報の粒度」  社会

しつこいようですが、コミュニケーションのツールについてまた書きます。

先日、熊本の友人からデコポンが届きました。お互いの安否を気遣いながら、地域の産品を送ったりもらったりというありふれた行為が、数人の昔の友人の間で、年間を通じてポツポツと続きます。このところ、人をつなぐインターネットツールがいろいろ言われますが、わたしはどうも、こんな風に送ったりもらったりする際の、原始的な交歓方法という原点は揺るがないような気がしています。

つまり、手紙や飲み会やメールやなにやらの、どちらかというと直接間接「会う」というシンプルな軸があるのではないか。年末年始から、手紙とはがきのやりとりが続いている内に、なんだか気分的なものが相当代わってきた。その「会う」とか手書きの文章を読むとか、という拡声器を用いない会話、これの存在感、スローさ。

そのあたりのメインテーマというかバランスをくずすと、人はネット不安定に陥る…。そして「できるだけたくさんの人とつながっている方が、少ない人より幸せである」というのはウソだと大体が気付き始めている。そこに横たわる価値観は、そこそこ暮らせればいい、というようなものだ。できるだけたくさんの人に知らせて、買ってもらうという図式がすべてではない。

得票しなければならない政治家、できるだけ多くを買ってもらう市場関係者、などのほかに、内気な市民もいるし、人前に出たがらない人も少なくない。そういう意味では、地域snsに積極的だったりfacebookに熱心だったりする方々は、わたしの周りではかなり少数派だったことに気付く。

小樽商大で情報システムを専門にしているF先生が「情報の粒度」というものを言っていました。深く考えたい時に得る情報源はここ、広くたくさんの時はこっち、と言うように、その細やかさの必要度によって使い分けるのである。これ以上でもこれ以下でもないような気がする。

facebookに脅迫されたようなつながりと発信の社会ですが、人びとはもっともしっくりいくツールと使用バランスをつかもうとしている。facebookもtwitterもその点でとうてい生き残れない。


雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
6

幸福のスピルオーバー  社会

稲葉陽三著「ソーシャル・キャピタル入門」を読んでいましたら、
幸福の伝播に関する項が出てきました。信頼はより強い信頼へ、喪失は一層の信頼
喪失へ。規範も同様。以下、引用。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
…社会関係資本には幸せを運ぶスピル・オーバー効果もある。自分が幸福だと
周りの人も幸福になるというものだ。アメリカでは1983年から2003年まで
4739人を追跡調査したデータを用いて、幸福は人びとの間に伝播するという研究
結果が2008年に発表された。幸せな友人が半径800m以内にいると、本人も
幸せに感じる確率は、そうでない場合と比べて42%高まり、距離が1.6kmに
伸びても幸せになる確率は25%高い。この幸せの伝播は3次の隔たり、つまり友人の
友人のそのまた友人まで有効で、逆に不幸は幸福ほど他人に広がらないという。
つまり、幸せは人のネットワークのなかで増殖力があり、かつ不幸と幸福の広がりは
非対称的だという。また、ネットワークの中心にいる人のほうが、ネットワークの端に
いる人より幸福だという。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

幸せ、などというとなんだか浮世離れした甘っちょろいように受け止めがちだが、
どっこい、社会の真ん中にあるキーワードだ。経済や成長豊かさも、結局、この幸せに
向かっている。

しかし、ほんとかい、とつっこみたくなるような話でもある。その一方で、恨み辛みを
ぶちまけて周りを不幸にしていく姿を見たことのある人も少なくないはず。幸せも
不幸せもスパイラルに、昇り、下る。その実感は、ある程度長い人生をくぐった人なら
共感が持てる。

幸せな人を冥想する人に置き換えた話を、もとソニー役員の天外伺朗氏はする。
100人に一人の割合で冥想する人がいるコミュニティは、それ自身が
プラスへ進化していく、という趣旨だったと思う。冥想は、つまるところ、
菩薩のような成就を願うから、願い・祈りがすでに一つの規範を示していく行動に
現れるからだろうか。それとも積極心を養うからか。

ネットワークの中心にいる人のほうが効果が高い、と言うのも積極心とつなげると
ムベなるかなと思える。各々がつながりの主人公になる社会、本来そうあるべき
ところがそう行かないのも個性だ。太陽のような人ばかりでなくてもいい。はしっこに
いたほうが心落ち着くし、幸せと言うこともある。それを認める社会であればいい。
雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
6

森林の懐の深さと誤謬と不作為  社会


先週末、10年前に開催された森林フォーラムの同窓会がありました。その席でなんとなく
標題のような乱暴な話を口走っていまいました。しかし、思いは十分伝える時間も
整理も抽象化もできていませんでした。それで、その乱暴な話の筋(試論)をもう一度
なぞって記録しておこうと思った次第。以下。

というのも、森林林業の再生を今さらながら声高に取り組まざるを得ない現状が
象徴するように、造林の技術はある程度確立されたと見える一方で、地元材(少なくとも
北海道)で家を建てることは難しいし、里山や沿道は決して入りたくなるような林況でない。
むしろ荒れ放題で醜悪で、もっぱら木材は輸入に頼る。当然、業としての林業はGDP比で
0.1%を下回る。しかし、行政は施策をどんどん打っているかに見えて、「実」がない。
木材の生産を止めて公益的機能と環境教育に軸足を置いてしまった…。早い話が森林の扱い
論議ばかりが栄えて、林業は明らかに失敗したのではないか。

で、森林林業は構造的に間違った組み立てになっているのではないか。要するに、森林の扱いや業は根本的に間違っていたのではないのか。ほとんど雇用効果もないといわれるが、しかし、しっかり雇用している関連部門が実はあった。行政と研究機関である。ここはしっかり、森林で食っている。

そうなっている要因は、森林の多面性と一口に言えるのではないか。懐が深いのである。森林の外部性に臨機応変に寄りかかるのである。当面、材は安いところから輸入すればいいし、幸い、今の日本では森林は放置していてもなくはならない。公益的機能という存在理由もとても便利である。このバランスはいくらでもいじることができる。

森林はもともとそういうものであったと思えば割り切れる。森林地帯を拓いて宅地を造り不動産を生み出してきたことが、益々森林の経済評価を替え本来の生産物の経済循環から外れてきた。しかし、誰も困らない。中国資本が日本の森林を投資先と考え、余ったマネーが水資源と森林資源を虎視眈々と狙っても、まあいいじゃないか、仕方ないじゃないかと言う声は少なくない。

しかし、あまり困る人はいない。

〜〜〜〜〜〜〜

言ってしまってから、暴論だなあ、と思った。その一方で、そうか、行政と研究機関は森林の懐深さにおんぶしていたのかもしれないなあ、と妙にわかったような気分になった。林業に携わる民間が、市場についていけなかったのが悪い、ビジネス条件が最初から悪すぎたんだ、などという反論もあろうが、それでは業を誘導する施策はどうだったのか、となるだろう。

司馬遼太郎の「土地と日本人」を読みながら、このなんとも出口のない曖昧感を、一種の「不作為」としてちょっとメモしておこうと思った。


雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
6

玄有宗久訳の『方丈記』  社会

北海道の地域SNS実験サイト「どっとねっと」の5周年を記念する座談会1/22では、ローカルな現実社会に軸足をおいて、つながりと理解を深めることと、グラーバルなソーシャルメディア活用は二者択一ではなく相互補完的ではないかという議論がでました。その土地その土地の現実社会こそもっと向き合って深めたい、という意見もでました。

この話を伺いながらわたしは、玄有宗久氏の新刊「無常という力」を思い出しました。玄有さんは福島県三春町に居を構え、ナニカで読んだところでは、たしか父親の介護をしながらここ三春で全うする、というような言明をし居残ったように記憶しています。

その玄有さんはうちひしがれた原発後の日々に、ひょんなことから鴨長明の「方丈記」を読みます。そしてこの本の後半に自ら訳した「方丈記」を載せています。800年前に書かれた方丈記は、意外なことに400字詰め原稿用紙でわずか25枚という実に簡素な作品。現代語訳の巧みさの故か、遙か昔の天災や人災が、今そこで起きているかのような錯覚を覚えます。

玄有さんは、福島の住まいの原発後と鴨長明が描く800年前の火事や飢饉や地震という災害を重ね合わせ、今昔の無常を語り、災害と戦乱について時空を越えた知恵と覚悟について、行ったり来たりしながら書いています。言葉は平易でありながら、しかし理解はかなり難しい。

玄有さんが言いたい主題は、グローバルな市場に一本化されないコンパクトな自治ではないかと思います。もっとコンパクトな暮らしをすればいい、人間は本来コンパクトな暮らしをしたいのだ、と述べます。「そんなに甘くはない、逆戻りはできない」と言う声が聞こえてきそうですが、もうコンパクトな自治を考え始める時期かもしれない、という理解はわたしにも受け入れられます。

話はもどって、地域SNSはどこへいくのか、どのようなソーシャルメディアを選択するのか、というのが座談会の大事なテーマでしたが、その答えとしては、洪水のように流れて消費される大量の人とのつながりと情報のもう一方に、地域という現実のなかで関係を深めるあり方、無常の地域社会の現実を突き抜けていく生き方というのがある、という少数意見がグググともたげてきました。大震災と原発事故が、そろそろめざめよ、というなんらかの問題提起だとする意見は、実はいろいろな人が言っていたのを思い出します。

理解は広さを求めると自ずと深くなる、という議論もありました。しかし、ものの理解と関係性は同列には語れないでしょう。事実、人の話を聞く、地域の課題に取り組んで解決の道を探る、などという営みは、そこに腰を落ち着けて深掘りしなければ始まらない。

「すべてを受け入れて揺らぎ続ける。それが自由になること、強くなること、そして未来を楽しむことである」とあります。時には引きこもって折に触れ反芻するしかありません。クリックすると元のサイズで表示します
雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
9

地域SNSとfacebook  社会

地域の課題解決とコミュニケーションのために、とスタートしたmixi型の地域SNS「どっとねっと」が昨年9月で5周年になり、越し方を振り返ってみることの多いこの頃。
http://www.hokkaido-sns.net/OpenPNE2/public_html/

mixiが2400万人の客数を誇ったのはいつだったでしょうか。そのあと、twitterが誕生し、facebookが今はブームで、かたやにはgoogle+があって、無料のネット会話が進んでいますが、そこではて、と考えてしまいます。

これは、ある機能の進化なのか、機能分担なのか。

実際のところ、かつて地域SNSといえば、mixi型を指していましたが、今般、行政の事業仕分けなどで予算が付かなくなり各地で官製地域SNSが廃止に追い込まれています。

地域のコミュケーションの必要性は落ちてはいないし課題解決のツールとして、mixi型はとても有用だと個人的に思っていますが、わたしを含む「どっとねっと」のメンバーも何人かは、facebookを含むほかのツールもてがけて、それぞれの特徴を駆使して自在な交流を進めています。

地域SNSの概念も、mixi型だけでなくtwitterもfacebookなども包括したもの、という拡大をみせているようです。事実上、ユーザーが多様なツールでコミュニケーションをしているわけですから、カテゴリーの変化は自明のこととなりました。

で、この先です。各種併用するのか、あるいは単一のあるもので済ますようになるのか。地域SNSの運営に関わる人舘にとって、この趨勢は見落とせない、大事な分かれ目です。しかし、まだ良くみえません。

先日、ファンが多いブロガーKさんと電話でお話したら、氏はfacebookに収束するのではないか、と見ていました。mixiの日記のような部分は、「グループ」で代用できるという考えです。また、mixi型は閉塞しかねないが、fcは、新しい関係を作りやすい、という差も明示しましたが、これはわたしも同感です。fcは関係を市場のように求めます。

それでも、わたしは、地域の課題解決のツールとしてfacebookはmixi型を代用できないと見ます。むしろ、開けっぴろげの世界は疲れます、休まりません。だから人は早晩、秘密結社を作りたがります。隠れ家といってもいいかもしれません。facebookにはこの隠れ家的な空間がありません。mixi型はしらずしらず隠れ家的な安心が満ちてきて安住してしまいます。

人は往々にして、田舎が代表する閉鎖的な、結合型の関係もどこかに残しながら生きたいのではないか、どうもそんな気がして仕方ありません。


雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
7




AutoPage最新お知らせ