雨のサロベツ  土地の魂

19日の休みの日、女性だけの座談会を開くために、家を6時に出て幌延へ
参りました。名寄からのレンタカーでは折りしも、洪水雷注意報で
天塩川は満水の濁流。牧場の一部はすでに冠水状態も見えました。

このごろ、イベントでは雨はほど良く降ってくれます。意味をもって霧になって
くれることもあります。精神科医のT先生によると、ハワイ島自体が、
雨を歓迎のしるしと見る、先住民の言い伝えがあるそうですが、まさに、
神の采配のような天候のびっくりがずーっと続いています。不思議です。

今回の座談会は、運営している地域SNSの道北にすむ女性アクティブライター
4人に、人やコミュニティのつながり、そして「女性力」について語ってもらいました。そ、今、地域の根っこを支えているのは女性であり、女性力に焦点を
当てる意味は大きいと考えたのです。

平易な言葉で、昼と夜、タップリなおしゃべりを収録しました。いいセンテンスが
ちりばめられています。


写真は、展望台からサロベツ原野。クリックすると元のサイズで表示します
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ハスカップ  土地の魂

勇払原野の夏といえば、ハスカップです。スイカズラ科の落葉低木の漿果樹で、
ポスト・ブルーベリーの機能性食品として注目されてきました。

でもとるのは大変です。すべて手作業で、一時間もやって500g程度でしょうか。
しかし、なんですね、一年に一回、ジャムやジュースにするベリーを摘むって、
これは大地との付き合いとしてはかなり上品で思い出深い過ごし方です。

わたしは砂糖を賭けてつぶして食べるのが好きです。
詳細はhpで。クリックすると元のサイズで表示します
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巨樹をあおいで  土地の魂

道南の乙部(おとべ)町にお邪魔したので、帰途、小雨のなか、
日本の巨樹巨木100選に選ばれているカツラを見てきました。

この一帯は海岸線もあちこちがパワースポットのような風景を持ち
崖や砂浜に立つとどこか洗われるような気がしてきます。

このごろは機会があればこんな巨樹に出会いたいと思うようになりました。
高い山や仰ぎ見る大木にそうそう出会うチャンスはないのです。
このカツラは上部でつながっている連理の枝が特長で、そのため
触ると縁が結ばれる「縁カツラ」と呼ばれているようです。

そぼふる霧雨の林道はあくまでも静かで、暗く、一見寂しさがありますが
それでいて、穏やかな落ち着きがありました。忘れがたい時間が刻まれました。
1km、約20分。クリックすると元のサイズで表示します
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地球環境映画祭で勇払原野が  土地の魂

世界各国から寄せられた環境の今を体感する北海道初の映画祭、と
銘打っています。できれば2日がかりで見てみたい。
http://www.utonai.net/earth-vision/event.html

この最後(6/6)に、数年前に知り合った映像クリエーターの北川陽稔さんが、
『森と水の庭・ウトナイ』を初公開します。

そこに、わが苫東のささみちフットパスや小屋が出てきます。もちろん、
わたくしめも小屋のベランダでゆったりしゃべっているところが収録されて
いるはずです(^_^;) わたしたちの愛すべきB級自然「勇払原野」が
どう描かれているのでしょうか。

わたしも実はまだ見ておりません。今回は、こどものように結構楽しみです。(^_^)v
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美と祈りについて  土地の魂

面白い本を読みました。五十嵐敬喜著「美しい都市と祈り」(学芸出版社)。
著者は所有権、景観法などを専門とする大学の先生ですが、先生は日本と西洋の都市美に思いを馳せながら、ふと「祈りというものと美しいものとがどこかで通底している」と直感するのです。

この直感にわたしはなにか、あまり話されてこなかった真理が潜んでいるような気がしました。ここでいう美が、あくまで都市なのか、これをほかのものと置き換えても成り立つのかどうか、にも興味が湧きます。

そして、そのほか目をひいた記述、「日本でも本当は、国民は美しい都市に住みたいと欲している」「美しい開発こそが町を発展させる」「世界中の美しいと言われる都市、建物、絵画などの大半は宗教と関係している」…。

事例は女人禁制の高野山、平泉、天理市、沖縄の久高島、巣鴨のとげぬき地蔵、などでした。高野山、久高島、巣鴨はいずれ訪れてみたいという思いに駆られます。クリックすると元のサイズで表示します
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薪の山の意味するもの  土地の魂

一冬、ボランティアの面々の林の手入れででてきた木材を、
昨日はNPOに入会した町内会など約10人で、林から出しました。

そして薪の小高い列。これは実はいろいろなものをつなぎます。
まず林の隣の新しい団地に住む新住人、町内の人、そして明治頃
開拓に来た3代目の土地持ち、そして、よそもののNPO、さらに
そこへ手伝いに来た札幌圏の老若男女。

つながりというもののを絵に描いたような構図。
善意とwin-winでつながっていく積極性の気持ちよさが
ここにあります。これもちょっとしたことで道を間違うのですが、
まあ、よくここまでつながりました。

薪の山はおよそ25コモン。薪欲しい人が山分けです。ざっと50ヶ月分
あるようです。
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薪、1コモン  土地の魂

団地の脇の林70ヘクタールに今年はNPOを核にした手入れを投入したおかげで、たくさんの木材が発生しました。札幌からの応援も甚大でした。

12月から4月半ばまで、なんと延べ100人が、チェンソーを持って集ってくれました。わたしは町内会と林の手入れの成果を分けたいと思案したために、林の中の丸太は自治会などの人の作業分担用に残したのでした。

が、これは裏目に出ました。あまりに重すぎる仕事であり、皆さんもかなり高齢だったのです。今、あとはお任せのスタイルはギブアップの可能性が明白になりました。じゃ、即、路線を変更せねば。

で、3月半ばからボチボチとNPOで藪だしを始めました。
今、連休を中心に、次善の策として

@丸太運搬を手伝った方に薪の切符(のようなもの)をさし上げる
A残った丸太はNPO会員を条件に、手ごろの値段で譲渡

という基本線を作りつつあります。団地は、薪ストーブと、林の散策を
魅力として移住した人が実は多かったのです。

それで、NPOとしては、冬の作業で発生した材を、
1m×1m×1mを「1コモン」と呼ぶことにして、一日働いた人に
無条件で1コモンの入手権をあげ、残は低価格で買取にしようと考えて
みました。地域通貨みたいなものです。

これはとても楽しい発想で、コミュニティの社会実験のようなワクワク感が
あります。でもこれからが大変です。これを今年はじっくり研究して
みましょう。

エネルギーを里山で自まかないできるなんて、理想的なことです。あとは、
人々の知恵。

*写真は手入れする山の500mのところにあるプロの薪ヤード。美的。クリックすると元のサイズで表示します
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中国山地の棚田風景  土地の魂

15日月曜日から、島根県と広島県の県境にある中山間地にヒアリングの仕事できていました。18戸の集落全体が、地域おこしのNPOになっているところとか、行政の仕事がなくなるくらいに住民が動く振興会とか、住民が地域を運営している事例調査です。

内容はともかく省略し、田園の風景写真を数枚。
場所は鳥取の智頭町に絞ります。今朝の、新田集落です。

今朝は氷がはっていました。北海道と同じ服装で通していますが
それが正解だったと思える日々です。(^_^)v クリックすると元のサイズで表示します
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流氷の頃  土地の魂

オホーツクに流氷が接岸しているようです。
割と好きなこのデザインに変えてみました。たしか2回目です。
中央にある羅臼岳、右のなだらかな山は海別岳(うなべつ)。

北海道に住んでいながら、まるで異国のようです。
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砂川の神社訴訟  土地の魂

最高裁まで闘った砂川神社訴訟。え?北海道の砂川?と思われた方も多い、ごく身近な判決でした。

市が、神道という宗教に公有地を貸しているのは違憲という判決でした。これで、国内に何千とあるこのような施設は都道府県も市町村も見なおしに入らざるを得なくなりました。

先週の金曜日、北海道神宮で「人と地域のつながりを考えるフォーラム」が正々堂々と?(笑い)開かれ、建築家やアーティスト、メディア関係者等と共にパネリストになった神宮の権禰宜(ごんねぎ)の方は、判決に対する抗議も込めて急遽話題に載せました。

新聞などでも詳しく報道され、かつ大変わかりやすいのですが、早い話が、開拓の時にみんなで建てた神社(土地は恐らく共有、いわゆるコモンズ)を砂川市に寄付、それをその後はほとんど町内会館として使って祭事にも使ったもの。それを元教諭のクリスチャンが2004年に提訴したものです。違憲になったのはこの空知太(そらちぶと)神社。もう一つの市から町内会に譲渡された富平(とみひら)神社は合憲です。

この一連の訴訟の正否は、知見が乏しく書けませんが、人と地域の「つながりの依り代(よりしろ)」だった神社の扱われ方がますます風化してしまう、と直感しました。

フォーラムでも、人と人、とか、人と地域とか、フラットなつながりを云々はしますが、権禰宜さんですら、もっと深層の「土地のスピリットと人のつながり」を言及せず、当然、そんなアブナイ話をされる方は居ませんでした。

土地のスピリットは、災害が多く寒い貧しい不安な時代には、人々はお祈りでもしてつかの間の安心を得るためにヨリシロになったのでしょう。今は、その必要がないとして、スピリットを感じる第6感のアンテナも、ほとんどの人がさび付かせてしまったようです。それも当然です。社会的にも「非科学」の烙印をおされて封鎖され、実質的にタブーの領域に押し込められています。

これはますますまずいことになった、と思いました。が、さて、隠れ神社ファンとしてはどうすべきか、とくにいい思いつきもありません。ただ、言えることは、日常のそれを水平軸とすると、人智を越えた価値観、この垂直軸の価値観というのは、自らを戒めつつ律しながら生きる上でどうも欠かせない、と地味に発言されている識者も結構多いのです。ただ、あまり声にしない。できない。そこにジレンマがあります。
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アルプというコモンズ  土地の魂

コモンズの勉強をしている間に、スイスなどのきれいな
牧野「アルプ」も典型的なコモンズ(共有地)だというのが
みえてきたのですが、どうも実像がみえません。

で、今年の春にでも、かつてはアルピニストのはしくれだった夫婦連れ立って
スイスに行こうか、などと語っていたところでした。

そこへ昨夜、NHKでアルプの特集をやっており、かなり概要を
知りました。放映されたアルプは、7家族150頭ほどの
牛をそのアルプに放牧しているようでした。

アルプの上部は岩山ですから、雪解けと一緒に牧野には岩や石が
ずり落ちてきて放置すると岩山になってしまうのだそうです。

だから牛1頭に付き10時間の整理義務があり、子供たちは、この岩の
片づけや、乳しぼりを手伝っていました。子等はそこで大人になるのだそうです。

美しいアルプはメンテナンスの成果であることは、心温まることです。
子供らが麓からあがってきてひと夏、そこで嬉々として手伝う光景は
羨ましくなるものでした。

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セラピスト「薪ストーブ」  土地の魂

山仕事は、大雪が降る前に形を作ろうと思って通い詰めると、
つい小屋に行く回数及び時間が少なくなり、結局、薪ストーブと
いる時間が持てなくなります。

今日は昼過ぎから、小屋にうつり、ごろごろしました。背中にぬくもりをかんじるだけでもう、眠くなります。室温はまだ一桁なのに。 クリックすると元のサイズで表示します
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1月3日の日の出  土地の魂

1月3日、朝7時6分ころから、快晴の日の出ショーが始まりました。
家から南へ2kmの海岸、気温マイナス5℃、朝日は襟裳岬沖あたり
から昇ります。

みなさまとご家族に、幸多かれ! クリックすると元のサイズで表示します
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苦労人のカラマツ  土地の魂

天候が崩れる前のつかの間をめざして、今年最後の山仕事に
でかけました。懸案はふたつ。

ひとつは「苦労人のカラマツ」に光を当てる作業。樹木が育つのには
具合が悪い苫小牧の一角で、ストレスでこじれてしまったカラマツを、
周りのヤブを整理してスポットライトを当てること。

伸びようとする芽を、南の潮風が繰り返し痛めると、頂上の芽は
枯れ、その代わりに脇の枝がそれに換わろうとします。その結果が、
このような枝の多い、苦しそうな木になるわけです。

フットパスを案内しながら、このカラマツのストレスをしばしば人の
ストレスに置き換えてみることもあります。山仕事とは、こんな環境整備、
関係整理に似ています。

みなさんならどんな印象をもたれるでしょうか。
もうひとつの懸案は、ここ↓を。
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/aigo4-58.html
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クリスマスと贈与の霊  土地の魂

中沢新一の『純粋な自然の贈与』を読みました。例によって難しくてよくわかりません(^_^;)ので、またまたとばし読みです。

しかし、この本、すごく新鮮な視点があり、特に日本捕鯨を贈与という不思議な概念で解いて見せたり、また、もともとあった伊勢神道が大和朝廷に乗っ取られてきた経緯とひずみなど、ついに文庫本は傍線があちこちにつきました。

で、なにが贈与なんだ〜、ということになりますが、そのつまり、贈り物と一緒に実は「贈与の霊」が一緒に動いているのだ、と。まるで、人の身体と「気」のようなモノですね。そう言うのです。

アメリカインディアンは贈り物は動いていなければならないモノで、贈与の霊が動き流れていくとき、世界は物質的に豊かで人々の心が生き生きとしてくる、と考える、そして贈与がモノを結びつけるエロスの力をもっているのだ、と。ふむふむ、贈り物は確かに人をつなげる。あり得る。

贈与はエロスで結びつけ、売買はロゴスで分離する。ブッダは惜しみない贈与の果てにブッダの人格を得た。贈与のことしか語らなかったというイエスもまた、存在とは惜しみなく愛を放出し続ける父なる神で、…とあり、さらに、ハイデッガーは、存在とは贈与するものである、と表現にたどり着いた…。

「贈与には霊がつきまとう」。この見方を伊勢神宮や日本捕鯨やマルクスやバルトークやバスケットボールなどに串刺しして見せます。そしてそのうちに、クリスマスとサンタも登場。

クリスマスの贈り物はその意味でものすごく霊的な営みと表現されています。つまり、夏に産まれたというイエスを冬の年末に産まれたことにまでして遂行したキリスト教の世界化の過程で、地域の冬祭りを教会の行事に吸い込んでいく際、ここでもこの贈与の霊が動いている、と。

太陽の光が弱くなる冬至の頃合いに、生者の世界には数多の死者の霊が訪れ、地上の生きる者たちはこころを込めてもてなし、贈り物を与えて喜んで帰ってもらうようにしました。ここはアイヌの人の言い伝えとそっくり同じようです。この際、子供と若者は目に見えない死者の領域と深い繋がりをもった存在として扱われ、それが子らへのプレゼントとして続いたと言います。

贈与の力によって、滞ってしまった宇宙のエネルギーをもう一度健やかな動きに戻す、そんな祈りが込めれて、それによって世界は元気を取り戻す…。なるほど、祭りは元気の底=冬至の直後、回復したての時にするわけです。

長くなってしまうのでもう止めますが、人にモノを送ることで自分と人がつながる、ということは日常的なこととして多くの人が体験してきたことですが、そこに(贈与の)霊がいて、その霊が動かないと世界が止まる、ということ。これは「お互い様」でもあるしモノをもらったら「お返し」をしないと居心地が悪い、というあの感覚、あれが霊の仕わざだった訳ですね。贈与の霊は気のようにめぐり、また、めぐるように動いてきた世界と歴史がある…。極々、簡単に言えばこうなるでしょうか(カンタンニシスギカ〜!

クリスマス前の、もうけた拾い読みだったようです。
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