天命のようなものに気づく意味  家族

わたしのように還暦を過ぎた同年代以上の方に聞いてみたい気もする
のが、「天命みたいなもの」の自覚。いろいろなものが段々つながって
きて、「あ、そうか、オレはこのためにうまれてきたのか!」というような
ことにはっと気づくことがこのごろあるのです。そんなことはないでしょうか。


齢を重ねると失うものと同時に得るものもありますが、いろいろな感性が
鈍り無駄な気苦労もそぎ落とされて、結構身軽にもなってきます。最近は
、壊れかけた携帯ラジオから聞こえる音楽に、メロディーラインを判別
できないようなこともあります。

ちょっとした難聴が昂じたのか、会議の話題を的確に追えないようなこと
もあるから、深刻と言えば深刻。

おとといは朝から雪だったので、パジャマ姿で一日座ったまま雑務を
していたら、昨日今日は腰が苦しくて席にいるのがつらい状態。

ああ、それなのに、です。

そうして残された時間と、これまでしてきたことのひと塊をながめて
あるものが見えてきます。ちっぽけな足取りしか見えないけれども、
あ、オレの人生はこのあたりに焦点があったのか・・。そうかそうか、と。

これは小さな悟りみたいなものです。こころに映るよしなしごとが、なべて
空なのだ、などと背後から自分を眺めたりもできるのです。

こんな感じで死ぬまで生きていくのでしょうか。だとすると、人生はなかな
か素晴らしいものではないでしょうか。後半にご褒美があるなんて。
すくなくとも、人生、この程度の長生きはするものです。感謝の気持ちで
これからがまた楽しみ。

さらに考えてみると、それでいい、それで良かったという肯定は、上昇や成長を
あきらめた結果の妥協とか、逃避を連想させ、ひいては衰えの象徴
とか、あまりいい意味で使われません。己(の欲望)に勝つようにいつも
教えられてきたわけです。しかし、わたしたちの煩悩を解くカギはここに
あるのではないか…。

ようするに年金生活の手前にあたりにさしかかると、いつまでも否定ばかりもでなく、
ほどほどに意味を見いだして自分と手打ちしなくちゃならない
のかも。賢人の唱えた「天命を知る」という段階を、こんな風に理解すると著しい
曲解だと怒られてしまいそうですが(笑い
雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
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タグ: 天命 自己否定 加齢

やっと、年賀状  家族

先週末に、急遽年賀状を制作し日曜日に家内の分と
一緒にプリント、昨日夕方から、1時間半、そして今朝1時間半、
1,2行の書き込みをすべて終えました。

快感、幸せ、そして達成感。一人ずつめくるたびにメッセージを
瞬時に思い描いて書き込む。フレンチのシェフは、送られてきた
素材の箱を開けて数秒で、その日のメニューを発想すると
いいますが、なんだかちょっとそれに近いものがあります。

池波正太郎の、元日から次の年賀を書き始めるという悦楽は、
種々のネットワークが張り巡らされた今日、タイムマシンのように
遠い世界ですが、いや、意外と未来のことになるかもね。

なぜなら、相手に思いを馳せるのが悦楽ならば、長い方がいい、
そのためには、手で書くのが一番だから。今年、御はがきを
くれた方が数人おいでだけど、やはりうれしかったし。

よし、来年ははがきももっと多用しよう!
そっかあ、そういえば絵手紙もいいなあ…。(^_^)v クリックすると元のサイズで表示します
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日置真世さんの女性ネットレシピ  家族


以前も書いたことがありますが、
釧路のNPO法人「地域生活支援ネットワークサロン」
http://n-salon.org/

の日置さんが、この10月、足取りと考えを料理のレシピになぞらせた
著作をだしました。2/3程を読みました。

直接、職場においでいただいてお話しも伺いましたし、いろいろな
方から活動の中身をお聞きしていますが、今回の著作は、日置さんの
折々の心の襞までわかるような、さらに説得力あふれる本に仕上がっていることを知り、ご紹介したくなりました。お母さんたちのつながりと起業の、ドキュメント+
つながる極意にあふれています。

ある行動がどういう、自然な動機で始まるのかに特に興味がある
わたしには、この襞がとてもクリアに感じられました。

特に障がいをもつ1才の長女の方を療育相談に連れていった際に、
専門医師からいままでの充実した母子のつきあい方を全否定されて
落ち込んでいく部分を読んだだけで、この本の、あるいは日置さんの
行動の根っこのところが伝わってきました。

書名「日置真世の『おいしい地域づくりのためのレシピ50』」。
日置さんの関連ブログ↓
http://n-salon.org/hioki/ クリックすると元のサイズで表示します
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世代交代  家族

米寿を迎えた義母のお祝いに、昨夕、雨の中朝里川温泉へ。
米寿の母を筆頭に、若い方は中二の孫娘まで。3家族十数人。

場を仕切る長女、長男らがほぼ還暦世代ですから、お互い現役の最後の
ステージだったり第2の就職だったり。いわゆる一線からちょいはずれた
環境からかもし出されるゆったりの感じが、米寿という成熟した祭りにぴったしでした。

母から見た孫という若い世代が、わたしを含む中高年を建前上たてながら、
米寿の母を頂点にピラミッドを形成する感覚は悪くないです。これが
しっかりしていれば、社会の軸は定まるんだなあとふと思いました。

「立派な大人になったねえ」「良い娘になったねえ」「すっかり美しくなって」とまばゆいメッセージの大盤振る舞い。さすがにこの日はいい面ばかり見せながら、子等はすこし胸が膨らんだだろうか…
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日本人の濃すぎる関係  家族

香山リカさんの「親子という病」はなかなか考えされた力作でした。
どこかでだれかの家庭という病理、という言葉も見たことがありますが、推測するにかなり近似した意図の表現かと思われますね。思い込みに近い予定調和の幻想からさまざまの悲劇がある…。著作はそこをえぐります。

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…たとえばそれが亡くなった夫からのメッセージであれば、そこで気持ちの区切りをつけてまた新しい恋を探すきっかけにもなるのだが、親子関係の場合、「次」がないからだ。いったん、「和解できた」と思っても、またすぐに「じゃ、あのとき母さんはどうしてあんなこと、言ったのよ」と次の疑問が湧いてくる。そうなれば、「どれもこれもすべて、あなたの幸せのためです」といった大雑把な霊能者の言葉では、到底、なっとくできなくなってくる。そういう意味では、まさに、「死んでも治らない病、それが親子」ということになる。

では、どうすればいいのだろう。「親子関係は病であり、治癒は不可能だ」ともうあきらめて、誰もが粛々とこの病原菌に感染して、あとはじわじわと進行し、症状が重くなるのを受け入れながら、一生が終わるのを待つしかないのだろうか。先にも行ったように、子の病に関する限り、それしかない、としか言いようがない。

(酸欠状態の密室化した家庭での閉塞状況=中見出し take)

しかし、ここで考え方を少し変えてみよう。「親子という病」は致死的な病ではあるが、わたしたちは何もそれにだけかかずらわって一生を送らなくても良いのである。

この病を重症化させる要因のひとつに、家族を密室化し、そこに渦巻く感情がより濃くなるということがある。先にも述べたように、夫婦と未成熟な子供によって構成される核家族は、若いカップルが望んで実現された形態であると同時に、近代社会がそれを維持、発展させるために要請してできあがったスタイルである。しかし、それは家族ひとりひとりの役割を重いものとし、それぞれが「世界にふたりといない子の家の父親」「この世にたった一人の母親」など交換のきかない存在になりすぎたために、逆に感情のもつれ、ゆがみが生じる結果となった。

そうやって家庭がいったん息が詰まる場になると、有効な解決策も見出せないまま、「いっそのこと、全員を消滅させるしかない」といった極端な考えにまで発展してしまうことがある。…
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濃すぎる関係は息が詰まる。若者は家を出るように、古来、東西の習慣は言い伝えましたが、まさにそこに出くわします。そうして、濃すぎる関係の過熱に起因する悲劇から避難する。そのために、今必要なことは他人や社会に関心のフォーカスを向けることではないか…。

家族の関係のトラウマや、その解決に安易に逃げ込んだ狭義のスピリチャリティの反映を見てきた香山さんのえぐり方は、自殺しないで皆殺しに向かう連続する「病理=謎」にかなり肉薄した意欲作でした。
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男の料理  家族

最近、わたしの料理に対する家族の評価が厳しい。

かつてのような感動がない
どこか手が抜いてる
パターン化してきた
味がピリッとしない
量だけが多い

ははあ。自分もほとんど同じこと、考えてた。

で、結論はハッキリしてきました。
料理にしっかり時間を割くこと。いつも、休日の夕刻はイライラ
していました。週一回の銭湯とダブルから…。(笑)

で、覚悟をきめ、今日は贅沢ではないが、思いを込めた料理を
進呈した。途端、

息子 「チャレンジブル!!」 
そして仕事から帰った家内は「○○みたい!」

この、気持ちひとつの切り替え。人生は変わり得る、と
思わせるに十分!でした。

料理は鏡でした。合掌。
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身近な老いの分析  家族

郷里の母は92歳になりますが、頭はしっかりしており驚かされます。
しかし、歩行が困難でトイレの帰りなどははいはいで戻ること
があります。段差で転びそうで見てるほうがこわい。
デーケアにいきたがらない。以前、無理に行かせると熱が出た。

この春、帰省した時。
わたし「もっと長生きしてね」。
母  「もういいや、十分だ」。
   「○と、孫の○には大変よくしてもらってるから
    お前からも礼をいっておいてくれ」

あることに、なにか態度がかたくななので、意見すると
「いろいろ、自分にも確執があるもんだから」ときつい表情を
しました。

からだの能力低下と精神レベルのギャップを見ました。
これが、老いなんだ…。

と、ころっと忘れていましたら先週の新聞に吉本隆明(82)が
明快な老いの分析をしていて、唸りました。以下、部分的に
引用。

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「…年を取ると何が一番つらいか。それは、自己の意思と、現実に自分の体を動かすことの出来る運動性との間の乖離が、健康な人には想像が出来ないぐらいに広がるということだ。思っていることや考えていること、感じていることと、実際に体を使ってできることの距離が非常に大きくなる。」

「…そんな老人を表現する際、僕は、老人達を励ます意味もこめて『超人間』と呼んではどうかと考えている。

 動物は、目に見えた何らかの変化にすぐに反射的に行動を起こす。これに対し人間は、感覚的に知覚したことと、行動との間に時間的距離があるのが特徴だ。となると、老人という存在はその時間的距離をもう少し大きくした「人間以上の存在」なのだから、それは『超人間』だ、と。

人類の歴史には、政治や社会にまつわる問題が属する「大きな歴史」と、個々人の身体や精神の問題を扱う「小さな歴史」がある。そして『超人間』を含めた小さな歴史の中に人類史の問題が全部含まれている。大きな歴史だけを「歴史」と考えるのは不十分だ。」

「振り返れば、こうした政治や社会の問題については自分なりに考えてきたつもりだったが、老人が直面する問題はやっぱり老人になるまでわからなかった。いい年をして色々な目にあって、ようやくそれが見えてきた。

『もう一個違う系列の問題があった』。そう新鮮に感じながら僕は日々を送っている。」

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吉本は今、1m前にいる人の姿が見えないほどの視力だと
冒頭に書いています。

で、今日の新聞に「嫌老社会」という本の広告がありました。
また、このギャップ。


写真は本文とは関係ありませんが、今日の昼に行なわれた「山形県人会」の
芋煮会のなべ。80人分×2杯。郷里は、高齢者となんとか、折り合いをつけ
暮らしているようです。北欧ではそれを福祉資源とも見るようです。

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プレ銀婚式ツアー  家族

一年前倒しの銀婚ツアー(-_-;)に行ってきました。

新しいコースはないのですが、家内の実家の小樽から、
ブナの北限・黒松内を経由し、八雲の山奥にある銀婚湯まで。
苫小牧からぐるっと一周550km。ガソリン代の高い今日、
超無駄遣い的でありながら、発見も多くいい旅でした。

黒松内の町の中を流れる朱太(しゅふと)川(左)は英国のようにフットパスがついておりフライロッドを振る時のアクセスがいいので時折立ち寄るところ。小さなヤマメを掛けてから
車に戻ると、駒大苫小牧が準決勝進出を決めたところでした。
ヨッシャー! (追信:惜しくも敗れましたが、金メダルを上げます!)

南下した蘭越の丘でそば畑(中)を見つけました。美瑛の丘を
そばにしたようなあるようでない風景です。

八雲の噴火湾パノラマパークは「気」が満ちてくる変わったところ。眼下の草地と太平洋のパノラマのせいでしょうか。
こういうところは流行るはず。元気がでるとわかるから、
リピーターになる…はず。

(写真は銀婚湯の露天風呂)
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休みの前のしあわせ  家族

なんとウキウキ!!休み、特に連休の『前夜』はすごいな。
もうどこへ出かけるという予定も立てないで里帰りする子らを待つ…。
これが楽しくないわけがない。特に配偶者。
 したがって配偶者はテンションが上がっておる。だから今まで全く協力体制で来たように見えたことにも愚痴を言い、抗う。攻められるからわたしもたまに応戦してみる。「冗談じゃない」。それも、それなりに楽しいです!
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子供の引越しにて  家族

長男ががこの春就職することになって今日札幌市内で引越し、そして昨日はそのもろもろの手続きと段取り。このたび初めて、不動産屋との交渉をすべて自分でやらせ、ほったらかしにした。車選びも好きなようにさせた。家内は、無責任すぎるんじゃないの?と懐疑的だったが、ともかくそうした。
 結果は家内の心配したとおり散々だった。一体、俺たちはどういう教育としつけをしてきたのか、昨夜、家内と二人だけの家族会議はため息が出た。でも、小泉首相とは反対に息子はしっかりとわたしの出番、すなわち絵に描いたような尻拭いを2,3させてくれた。考えてみると、すべて初体験だったろうと思う。厳しくもありたいし、支えてもあげたい。
 親心はかくも試される。これもわたしたちの修行かな、とわたし。悩める季節。
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