デリケートな日本の観光  北海道と自然

週の後半、観光庁が主催するDMOのシンポジウムに出てきました。

インバウンド関係施策は今、バブルっぽい規模の予算がついていますが、参加者の多くは30から40代であることもその辺に関係がありそう。
つまり、伸びしろの産業。

さてそのなかで注目した点がふたつ。

一つはハワイのDMOの原資と日本、特に注目の阿寒のDMO的
予算、原資の違い。年間1000万人前後をよぶハワイは実は20年ほど前からDMOによるち密な市場対策によるみたいで、その原資は、
宿泊税。(海外客の?)宿泊費の9%を表示なしで徴収し、年間
400億円の収益を出す。職員約30名で仕事する。調査は外注、
理事は無給のボラ、ただしCEOは年収4000万円程度らしい。

阿寒の大西社長らも息の長いDMOを立ち上げていますが、
入湯税を150円から100円アップしてその収入が5000万円とのこと。
この差は、ハワイの担当者は笑い話のような差だといいましたが、
これは簡単に良しあし評価できない現実。わたしはその努力と成果は
各々たいしたものだと思います。

二つ目は、JTBのUさんがふと漏らしたひとこと。「だいたい、
デリケートな日本の観光地が、そんな大量なインバウンドを
受け入れてはいけない」。こういう冷めた視点もだいじではないか、
と思います。

そこで思ったもうひとつ。昨年、歌登にお邪魔して、なにが
アジアの人に受けたのか、その片鱗を見たような気がしましたのが、
日本人の異文化への好奇心ともてなしのスピリットです。

これは明治のイザベラ・バードなどが指摘した日本人の天然の
好奇心と民度の高さとおなじ。(そのあたりは、渡辺京二著
「逝きし日の面影?」にくわしい)

日本の津々浦々にはつまりそれがあり、北大の留学生関連
セクションで今、その辺のアプローチが始まりました。
ちょっと関わってみたいと思います。

(2枚目の写真は、ハワイの島ごとの平和カラー。面白いと思いました)クリックすると元のサイズで表示します
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中高年のアウトドア、とりわけ、釣り  北海道と自然

北海道のGWに相当する今回の3連休に、近くにフライに出かけ、大きなたんこぶを作って
帰ってきました。いろいろなことを考えさせられますが、ひとつは、幼少からみんなが
慣れ親しんだ「たんこぶ」のこと。もうひとつは中高年の体力・バランス低下とアウトドアライフの向き合い方。

「たんこぶ」はぶつけたときからアレヨアレヨと言う間に腫れて来たので、午後、病院に行ったのですがレントゲンなどの結果から、いわゆる正真正銘の「たんこぶ」と判明。重力でこれから血が下に下りるので、目の辺りにクマができやがて黄色に変わって消えるだろうとのこと(外科医)。翌日、まさにその通りに進行中。

次に、ことの顛末を簡単に書きましょう。

当方は、初日は山仕事、中日、自宅で雑務(家を出ず)、3日目は白老にて、久々のフライフィッシングのロッドを出しました。大小3匹のヤマメを釣って一つ目の川は終わり。大は17cmありましたからわたしはこれで十分です。魚のサイズに合わせて、釣る道具をミニサイズ(ライトタックル)にしていくのです。この日は#2という軽いラインとロッド。

ただ2本目の川の河原でバランスを崩して転び、額を打って人生これまでにない、大きなたんこぶができたのです。みるみる腫れあがってしまいました。鏡がないのでデジカメで自分の顔を撮って、我ながら「こりゃあ、大変」。支笏湖もはしごする予定だったのを取りやめて、ロッドをしまって帰宅、午後おもむろに病院へ。

中高年のしばらくぶりのアウトドアは限界を知らされる日々でもあります。シーズンの節目に来る同年輩以上のフライフィッシャーたちの釣行短信では、渡渉時に専用の杖を用いているとか、九死に一生を得たとか、針の穴が見えないとか、兎に角、武勇伝に翳りが出てきているのは事実です。中には魚はイカをはじめほぼ釣りで自給しているトンデモナイ人も居ますが、この方は例外にしておきましょう。

で、わたしがなんとかやっていられるのは、メガネに取り付けた点眼鏡のおかげ(写真)。これなしでは針の穴に糸が通りません。(-_-;) ちなみに家内は、ここぞとばかり、わたしのアウトドア全般へのブレーキを提案し、一方でお岩さんのようになったおでこを見て何回か爆笑。

しかしわたしは思うのです。小さなケガで萎縮してしまうと、さらに大きなケガにあうのではないか。こういうときこそ逆療法、精進してアウトドアにまい進すべきではないのか、、と。

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生き物多様社会と日常  北海道と自然

ネーチャーを決して厭うことはないと自負する自分でも、林の中に住もうと言う気持ちにはなれない。はっきりそう意識するようになってみると、生き物多様社会というのはただの理念であって、自分はどうするかという覚悟は含まれて居ない。

だれもはっきりとは言っていないが、恐らく、その間に文明が入り込み、住居とネーチャーは分離するというのが大前提と言うことになる。極論すれば、無菌願望で効率指向のマチと、田園・里地・里山、奥山は一線を画す、というイメージではないか。

東北の田舎の住居は子供時代の母屋も小屋もわら葺だった。家の前は広い屋敷畑、裏は果樹園だった。隣接する分家との間には薬師地蔵と一本のクスノキと柿の木、それと柏餅の材料にした柏があって、日陰を作っていた。わたしは地蔵の台座のコンクリートから登れるクスノキのふた股で、少年期の人に言えない憂鬱とつきあった。

すき間だらけの建物はヘビや昆虫たち、鳥たちと巣、鶏やヤギ、羊なんでもいて、ハエやダニ、カとも一緒だった。田園地帯のまとまった集落ですらそうだったから山沿いの里山はさぞや、と想像するのだ。

多様な生き物と一緒に住むのは避けたいから、人々は密閉した家屋に住む。これはいまのところ戻れないように見える。ネーチャーはその対極にあることを、知れば知るほど痛感するようになる。

しかし、わたしたちは、家を離れたネーチャーのなかで「快」を感じることも少なくない。この世の天国と思うことも実はしばしばある。出会えて幸運だと心から思う体験も多い。

となると、あるべき姿は都市とネーチャーの往来。場所と機会か。

推論のメモ書きはこれでやめよう。ただ自覚的でありたい。虫も痒いしなにかと手間がかかるけど、プラスマイナス、やっぱり林と一緒に居られるのは幸せだ、その感覚。

若い人は、その感覚のはるか前で立ち止まり引き帰し、ネーチャーの中の「快」と内省時間(こころのドクター)との出会いをも捨ててしまっているようだ。それは実にもったいない。

では、誰が、いつやるのか。

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ポニーによる馬搬  北海道と自然

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おととし、コミュニティ林業への道産子(馬)活用を思いついて、現場を見せてもらったり
していましたが、調教の難しさなどの壁にぶち当たって恐れをなし、冬季の木材運搬は
やはりスノーモービルにすべきかと判断して動き出したところでした。

そこへ昨年の暮れ、一頭のポニーがやってきて、オーナーは「手伝ってあげるよ」「ちょうどトレーニングになるし」と。渡りに舟とはこのこと。町内にポニーが買われていることは知っていましたが、「ばんば」競技用のポニーとは知りませんでした。

話はとんとん拍子に進んで去る2月10日、NPO会員8名の見守る中、「黒霧島」
「白岳」「リトルボーイ」の3頭は、わたしたちが積んだ丸太を最初は興奮気味に、
午後は割りとスムーズに運んでくれました。ほっと安心、そしてこの協働作業、大感動
です。

ポニーの虐待にならないか、わたしはそちらの方を心配しましたが、馬方さんや子供たち
の手馴れたケアで、ポニーたちは結構な運動をこなし、恐らくは馬たちも喜んでいると
いうのがオーナーたちの意見。「いやあ、楽しかった」とはオーナーのひとりの声。

わたしたちには、ポニーの馬搬が始まることそれだけでも胸が膨らみます。
ポニーに手伝ってもらうという一体感に、興奮もします。

そして出会いというものは、諦めないで願うものだということでしょうか。

詳細は、HPの雑木林だよりから。



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ヒグマと空間をともにして  北海道と自然

フィールドのそばで、今週もまた見つかった親子熊はどうしただろう。きっと誰にも

見つからないうちにここを去ってくれるだろう。そうして誰とも会わないで往来する

忍者のようなヒグマが、わたしたちのフィールドに往来すること、結果、最も人の行き来

の多いところで、双方がニアミスをしながら生きている。こんな「共存」世界を、

実は密かに誇らしく思う。


人と車と産業が活発に行われている広大なエリアを、数頭のヒグマが誰にも見つからずに

移動している。それを可能にしているのは、緑地の広さとつながり、それと大事なのは、

誰も来ない隠れ場所ではないかと思う。これがあれば、双方、生きていける。思えば、

ヒグマは山にだけいたのではない。里の林も大好きだったはず。ここのフィールドは

ヒグマにとって珍しい里であり、山ではない。このフィールドは極めて特殊だ。



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タグ: ヒグマ 共生

森林が要る、という合意はないのではないか  北海道と自然

表題はこれまで長い間持ち続けていた個人的仮説であります。「日本人は、緑や森林なんて
この世になくても生きていける」と本音では思っている、しかし、形の上では
地球の温暖化防止とか、CO2とか、国土保全で必要だと一応は1票を投じる…。

しかし、生活実感として緑は欠かせないと本気で思っている人は一握りである。
そうではあるがある種の教養のように大事そうに振舞っている…。

例が正しいか微妙ですが、領土でもそうですが攻められる切実感、現実感がないまま、
あるいは対外的な緊張感など全く持ち合わせないうちに、周辺はすきあらばの隣接国が次々にみえてきました。こちらは誰かが守ってくれるものと、人任せのわが世の春を謳歌してばかりいたのでは、対応策も見えてこないのは当然で、下手したら、平和願望があったことすら忘れている、そこへの手立ても思考停止になってしまう…。正直、こんな事態に
変貌するとは思っても見ませんでした。


領土問題や国防と緑の世界は全く違うのですが、切実感、現実的な欲求に根ざすのか
どうかでは振り返るのに、とても底流に共通するものがありそうに思うのです。
これをとり間違うと、取り組みのコンセプトそのものが変わって来る。だから
森林ボランティアというのは国有林や道有林の保育などを手伝うことである、みたいな
思い込みが起きる。




英国には、庶民が緑のなかで憩うことを権利として要求して獲得してきた経験があります。領主に囲い込まれた土地をアクセスする権利を奪い取る歴史、それと、産業革命を経て劣悪な生活環境を改善すべく田園に向かったり緑地open space を獲得しようとしてひとつずつ
庶民の権利に結晶してきた歴史。

そんな英国の庶民の足取りを学ぶうちに、わたしはそもそも北海道のわたしたちに緑への
飢餓感覚はなく、充足への欲求もさほどなく、少なくともオープンスペースが
不可欠の生活空間だという意識は基本的にないのではないか、と思うのです。つまり、
北海道では緑は充足している、と。量か質かはともかくとして、です。

では、フィンランドのように人口密度が北海道より低い国で、緑地など自然享受が
強く求められるのはなぜか、ということになります。都会が息苦しいから森林に
向かうというのとは大分違う。むしろ、森林の環境の快適さ、子供たちの喜びなど、
プラスアルファのQOLのように見えます。英国がマイナスをプラスへ、という
なら、フィンランドはプラスの現状をさらに維持するために。つまりプロアクティブに。

北海道のわたしたちは、都会の便利さに汲々と惹かれつつも、田園や自然はレクとして
時々の楽しみとして訪れる程度で、なんの不満も提示されません。あるのは、自然保護の上ではいかがなものかというサイエンスの議論。貴重種と絶滅の問題。そこに私たち自身の生活実感はありません。

タミ、庶民の緑地願望とは存在するのでしょうか。
アジアモンスーンの、多様な自然に恵まれたわたしたち特有の現象でしょうか?



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タグ: 都市林 欧州 

町史の前で  北海道と自然

公民館制度のことをちょっと知りたくて、標茶町史をめくっていましたら
町史考というのも職場のライブラリーにあることがわかって都合3冊を
手にしました。

寛政十二年松前藩士が釧路川を利用して…のような書き出しで始まるそれは、地勢、気候、農業、開拓、市街地形成、釧網線、と連綿と続きます。そしてそれだけで、なんだか胸がいっぱいになってきます。

当たり前のことですが、この分厚い町史からみると、人、一人の営みとか
人生というものは、まあ、虫けらのように些少で、花火のように刹那的で、
エスタブリッシュしたつもりの偉い人の偉業もちっぽけなもので、まるで、
集合としての民の生活こそがとてつもなく偉いものに見えて、そして、
首がたれてきます。

人の一生は、そのときそのときの喜怒哀楽、明憂愛淋(わたしのつけたし)の連続ですが、なあんだ、ちっぽけなものじゃないか、と思わせる
町史というものは、般若心経みたいなものだな、と妙なことを連想しました。(^_^;)
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タグ: 開拓 人生

ハスカップのサンクチュアリ  北海道と自然

ハスカップの自生地に「サンクチュアリ」の名前をつけ、看板を立てました。
人為的な排水と湿原の植生遷移の帰結ではありますが、まず、同属のヒョウタンボクが
枯れ始め、いずれ、ハスカップ(クロミノウグイスカグラ)も枯れるのではないか、と
思います。わたしたちNPOは自生種絶滅もアタマにおいて、その遷移をみていくつもりです。

ですから、サンクチュアリ・デビューは誕生ではなく、挽歌にあたるかもしれません。
風土から引き去られるかも知れないことを心配するわずかな人々の、センチメンタリズム。なかば合掌の気分で看板を立てました。
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寺田寅彦の科学随筆的テーマ「ミラクルな落ち枝」  北海道と自然

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もう大分前から、フィールドのフットパスなどで発見する落ち枝がミラクルでは
ないか、と書いてきて、それを見に来る人もいたり、いつか訪問するのを楽しみにしたり、
あるいは何か意味を見つけたいという人、そして当然ながら全く興味を示さない
人などがいます。わたしはこの4例示の3番目で、できれば、胆振のコナラの雑木林の
特徴的な出来事だと言えないかと考えてきました。

大学の物理など自然科学系の研究者にもこれを話題として提供して、簡単な見立てを
してもらいました。こんな風に固執してみたのは、よく山で時間を過ごす道内の人のなかに
ほとんどミラクル落ち枝の経験者がいなかったからでした。

ところが、今年の正月の年賀状で新しい展開が起きました。わたしが落ち枝のことを
ちょっと書いたのを読んだ山口県の先輩が、急に興味を示したのです。先輩は
北大の農学部の先輩で、かつ山に登っていた時代の上級生でもあり、大学に愛想をつかして
裏表8年を札幌で楽しんだあとは、さっさと郷里の山奥に戻って林業と農業で生計を
立てている方でした。

わたしは丁寧にことの次第を書き、大学の先生たちも、寺田寅彦に所見を聞きたいような
テーマだ、と各々専門的な立場で意見を述べられたことまで伝えました。先輩は、最初、
あまり気にもしていなかったのですが、2通目のはがきで、自らの推論を書き、3通目と4通目
あたりでは、自らの周辺で起きるもっとミラクルなものを、寺田寅彦よりももっと
ラジカルに、独特の推論も込めて言ってよこしました。

これはわたしだけが読むのはもったいない内容でした。そして今回は、改めて自分の山を
歩いてみたら、おびただしい数のミラクル落ち枝があることを写真と共に知らせて
よこしました。そして、当地山口の結論として、「物理的に深く考える必要はなく、要は
確率の問題だ」、としました。何せ、ヒノキ林であれば樹木1本の周辺ににひとつぐらい
あるのではないか、というのでした。日常的だと。

で、わたし的結論は、なぜ苫小牧のここで急に目に付いたように感じたか、
にまとめる必要がありますが、林の手入れを始めた後に、ミヤコザサを
ブッシュカッターで刈って幅1.5m程度の路をつけたからだと考えています。

きれいに刈られた腐植土の小径にブスリと落ち枝は刺さっているので大変目に
付きやすくなった、ということでしょう。整頓された路ではそれがちょっと
意味ありげに見えるときがある、ということかも知れません。

それなら、もっと落ち枝を見た、よく見るという人が現れても良さそうですが、なぜか。
これは、野外によくでかける人でもいかに見ていないか、ということでしょう。
鳥や花や風景に目を向けても、藪の中の自然の不思議にはあまり気づく目がない。
もうひとつ、都市林や完全な林道では、ここのように土壌凍結と融解を
繰り返す腐植土を含む表土の柔らかさが得られないことがあろうと思われます。

以上の事例から類推されるように、落ち枝は物理的確率的な問題だけであり
十分高頻度で起こる可能性があるという点はこれからアタマにいれてさらに
観察しようと思います。恐らく、落ちて刺さる現場にもそのうち出会える
だろうという予感があります。

現場はまだ雪があり、あと1週間で完全に溶けるかと思いますが、今月中には、
林道の枝拾いがてら、合計10km近いフィールドの林道やフットパスを
この落ち枝観察も念頭に入れて歩いてみる予定です。その際には、だれか
同行するものがいれば山口県の山間部の事例も紹介したいと思います。

このたびは、ひょんなことから落ち枝についていろいろ推論と事例をまとめて
考察することになりましたが、自然相手では、観察と考える目があれば自然の
不思議とその意味がむこうからやってくるという先輩の考え確かにそうだと思います
。観察眼だけならまだいいのですが、田舎、里の自然から離れてしまった
現代の多くの人は、人との合意や、自然災害の備えや緊張や、危険察知など、
多機能で具有していたヒトの感性を失っているのではないか、と危惧される
こともあります。これはちょっと取り返しの付かない一大事ではないか、そんな
誇大妄想を連想させるテーマでした。


追加寄稿

以上のような記事を書きましたら、読者の方からまったく課題の究明になっていない
のではないかというご指摘をいただきました。たしかに、正論、推論をはしょりすぎた
かもしれません。それで以下を追加しました。またもや暴論ですが(^_^;)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

先輩とわたしは長い手紙のやりとりで推論をしている間に、真理や正論を
こえて「降参」したような状態なのでした。そのため、読者Aさんが求める
課題とか問題の究明のような土俵からはずれたのです。

だってそう思いませんか。雪が解けた山口の山間部の限界集落で、持山に
分け入ると、5mか10m置きに落ち枝が見つかるのです。ヘクタール800本の
ヒノキ造林地なら、数百の落ち枝があるかもというのです。

もちろん、落ち方(回転か、飛び込み型か)、自重、斜度、土壌などで条件が
かわり、より刺さりやすいのはなにか、という確度は変動要因としてあります。
その項目はすでに議論が終わっていました。が、ここまでたくさん落ちれば、
そんなことはある程度もうどうでも良くて、数うちゃあたる、たくさん落ちれば
そのうち必ず刺さる、的なことになるのではないか。

それで正論の推論はもう十分されたとして極論にたどりついたのです。
「要は確率だ。少なくても山口のそこでは珍しいモノではない」。

また、わたしたちは瞬時の確率感覚をもっているのではないかというわたしの新しい
仮説。雪のなかに枝が刺さっていても、一顧だにしないのです。意味のない
ことを詮索しない、あたりまえと判断したことに拘泥しない、スルーするということです。

先輩が見捨ててきた現象がじつはこんなにあり(先輩はそんなの一杯あるんじゃないかな、と初めからいっていました。)、それをわたしは胆振で珍しがっている。北海道人も
ほとんどなじみがない。同じ様な見捨て方を、わたしは雪の中の落ち枝にするのです。

あ、また長くなってきました。先輩もわたしも山と林の滞在時間が長いから、語れば
長いのです。そんなわけで、「降参」以外ははしょったわけでした。

〜〜〜〜〜〜追加は以上〜〜〜〜〜〜


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都市が排除したもの  北海道と自然

昨日は、久々の小春日和みたいな、からっとした天気でした。
きっと、生きとし生けるものすべてが快適と感じるような、そんな空気。

そんな日には、結構、カナヘビ君が出てきます。昨日、今季初めて
彼(彼女)と会いました。尻尾が切れておなかがぷっくりの、チェンソーの音にも
ひるまないで冥想テラスの枕木の間を出たり入ったり。

驚くことに、昨日は今年5本目のヘビちゃんの抜け殻を発見。2,3匹は
いるとしても、今年、かなりの成長があったのでしょうか。やはり、成長が
よければ複数回脱皮するといいますから。

思えば、これらハ虫類やコウモリなどは、都市の内部ではほとんど見かけなくなった
ものの典型ではないか。住み場所がない。住み場所とはまとまった植物的自然とすき間。
これらを徹底的に追い出した都市は、ついでに自然とともにいるアメニティを
排除し、揚句、アメニティを感じる感性も失いつつある。現実は、都市の環境を
息苦しいと思う人は、そのつど、観光やレクで直接現場へ出向け!、と。

========

以上のような日記を「どっとねっと」にアップしたら、年配のYさんから
下のようなコメントがきました。

>昔よく見た風景です。今、こういう小動物をみると、懐かしく、
>何となくほっとするような。(^^)

そうなんですよね。昔はみんな、多様な生き物と一緒に住んでいたんです
よねえ。
今は、便利優先の都会に住みますから、考えてみると、
ただただ徹底的に、人とペットだけにした世界ですね。養老猛さんは
「よせばいいのに、体の自然まで追い出しちゃった」という意味のことを
言っています。これは意味深です。

体の自然といえば、人間の身体こそ、宇宙の法則と相通じた仕組みで
動いているのではないか。人間は科学を自慢するが、まだ生命を作ることは
できない。与えられた生命をせいぜい生き切るだけです。

都市と自然、都市と人間、人間と自然。
これに対して、ひとつの理想は、適度な都市と適度な自然。わたしなら、
野生生物もすむ本格的な都市林を夢見ます。3000〜5000ヘクタール。
前述した300ヘクタール程度のセントラルパークではわたしは物足りない。



ところで、札幌のヒグマはどうしたのでしょう。三越のそばでみかけたり、今朝の新聞では南16西10の石山通を横断したというじゃありませんか。確かに、ドングリはあまりなっていないようです。





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スイスの示唆するもの  北海道と自然

10日ほどスイスにいました。岩登りをした人間なら、長く憧れをいだく国、スイス。年男の節目もあるし、歩けるうちに、という思いもあったのですが、足腰は大分後退して
いるので、クライミングは断念しました。

電車で昇ってしまう山々。それも今回最も高いところは3800mを越しました。
息ゼーゼーになるそんなところになぜ、かくも大勢の人が観光に来るのか。

ひとつはインフラ。100年ほど前、トンネル技術を駆使して開通させたアイガーの
トンネルなど。箱根の元になった山岳鉄道や登山電車によるアクセサビリティ。

もうひとつは、高山が代表する展望観、自然観。高山には当然高山植物の広がる
カムイミンタラがあるわけで、それを苦しまずに手に入れることができる…。
特に、高い山々という神々の所業に唖然とするひと時。

これ(地方独自の風土)がこんなに、人をひきつけるということを人々や行政が気づいていない。国が悪い、道が悪いと地域振興の不手際を他人のせいにしまいがち。スイスは、その点で大分違うようでした。

ひょっとすると、知床や阿寒になぜ人がひきよせられるのか、そこをしっかり見据えないと
どうも道庁の観光行政を超えられない、とわたしは密かに思っています。観光の根っこは、伊勢神宮年間2000万人が示すような根源的動機。底にコミットしなくては。裏返すと、
底にコミットできればシーズは広がる…。

ちなみに、山に登る料金は高い。グリンデルバルトから巡るユングフラウの登山電車は往復16000円、ブリエンツの展望台の登山電車は往復7000円。しかし上にはきれいな水洗トイレとおいしい料理を出すレストランが完備されています。クリックすると元のサイズで表示します
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エコライフへのジェラシー  北海道と自然

山とフライフィッシングとカヌーの先輩を訪問。本州の激務を60歳で
切り上げて、郷里の北海道に戻り、奥さんと二人2年前に余市に
建てた新居です。

高台の斜面、360坪に建つ木造家屋はログメーカーが建てただけあって、
雑木の藪を大事にしたナチュラル派。今回呼ばれた理由も、その藪と
どう付き合うか、のアドバイスを求められたためでした。

でも、わたしなどアドバイスすることなどありません。定年後、コツコツと
土地を調べ、資材を集め、土地の素材を使い切る工夫を、まさに
エコライフの実践としてしているわけです。

のみならず、氏ご夫婦は、棚田のような畑で野菜を自給し、持ち前の
フィッシングの腕で、魚も港や海岸や川で釣ってほぼ自給。
時々は氏のネットワークで、畑仕事や山仕事をてつだってくれ、と
声がかかり、生活費の心配はなさそうでした。

当日わたしらが頂いた、野菜はもちろん、マメイカやサクラマスも
氏の手ずからゲットしたものでした。この、おお!田園ライフ!

わたしたち夫婦は窓辺の食卓から、外の若葉に行き来する鳥たちを
見ながら、子供の話し、知人の消息、そしてまた小鳥、してまた
古い釣りの話し、仕事と年金、そしてまた訪れる小鳥のこと、と
居ながらにしての自然の風物を語り合ったのでした。

いわばエコを実践してきたご夫婦。月の電気料は2000円台、暖房は、
時々手伝いに行くリンゴ農家の剪定した枝と裏山の枯れ木を立派な
薪ストーブ1台で燃やします。

参りました。ワタシにとっては人生はかくありたし、みたいな典型だった
かもしれません。エントランス、玄関、ほかロフト、文机など、アート
一杯の造作を拝見して、はっきり言って、ジェラシーを覚えました。 クリックすると元のサイズで表示します
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外資による森林買収  北海道と自然

東京財団の外資系による森林買収の政策提言は、その後色々波紋を呼び、あまたの
メディアも追いかけて、いまや、言論統一の様相まで匂います。つまり、出所は
一緒の問題意識。こわいことです、出所は一緒とは。

わたしは、これを、農水省系のプロバガンダではないか、と思いつつ関心を寄せているものです。何のためのプロバガンダか。新たな大掛かりな仕事、つまり、林業の集約化、地籍確定など、この合意形成に向かっているのではないか。森林・林業再生プランの骨格です。

森林・林業再生プランの中身を見ていくと、それらしいテーマも見えますが、それよりもよくぞここまで放置してきたこと、生産とマーケットがつながっていなかったことなど、唖然としてしまいます。

森林行政を担っていたセクションはどうしていたのだ、という声が聞こえそうですが、ここは本当に「反省」をじっくり、揚句「覚悟」が要るでしょう。が、無理でしょうか。言いながら、この無力感。(^_^;)

まず、人材育成から、というのも「もと来た道」。根が深すぎて素人には手が負えそうもない。東京財団のレポートは今、3部作。 

http://www.tkfd.or.jp/topics/detail.php?id=250
http://www.tkfd.or.jp/topics/detail.php?id=179
http://www.tkfd.or.jp/topics/detail.php?id=118
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雪道は少しでも楽したくなる、の巻  北海道と自然

冬のフィールドを歩いたことのある方は、大なり小なり気づいていますが、
雪の中の足跡は、人間と動物が共用するようになりますね。

積雪が深ければ深いほど、人は、シカの足跡に自分の足を重ねようと
するし、往々にして、逆もあります。一番歩きやすいところを選ぶせいも
あります。それは自ずと一致するから。

昨日の林では、人間が山仕事のために使うスノーシューやそりの
道が、完全に「シカ道」になっていました。シカに貸してやった感じ。

なぜこうなるのか。恐らくは、「積雪」がもたらす「負荷」。
人も動物も基本は「少しでも楽したい」。その究極が、歩くための
負荷が少しでも減るならそれがキツネの跡であろうが人の跡で
あろうが何でも使うぞ!…できれば象の足跡がいい!

そこへ出てきた人間の醜いエゴ、「シュプールの上を長靴で歩かない
でくれ」。

歩くスキーの愛好者から、長靴散歩の愛好者へのクレーム。いやはや、
人間はスケールが小さい。 クリックすると元のサイズで表示します
雑木林&庭づくり研究室
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/index.htm
NPO法人苫東環境コモンズ
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/commons00.html
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池の掃除は鯉に任せよう!  北海道と自然

山林の中にある池はヘドロが30cm、落ち葉が数10cmあって、
町内会長はヘドロを除きたい、と前からいっていたので、市内の
土木建設の幹部に来てもらって、立会い。重役と町内のやりとり↓

幹部 「バキュームで吸い取って池尻に捨てる。しかし金はかかるし、
    このぬかるんだ林道ではもたないでしょう」
町内会「予算は当然あまりなくて…」

幹部 「そもそもヘドロを除去する意味はなんですか?」
町内会「サカナを飼いたいのときれいにしたい、それにここから蚊がわいて
    いるような気がして…」

というようなことになり、わたしが思いついたのは鯉。かつて、池に繁茂した草を減らすのに、霞ヶ浦にソウギョを買いに行った経験と、長野県の
I先生も数年前、池の浄化に鯉を放していたのを思い出して。

そして実際にある。↓

http://www.pref.nagano.jp/xnousei/suishi/yukimasu/story/s...

しかし、なんですね。鯉に掃除してもらおうという童話のような話を
町内会長は、フンフンとまじめに聞いていない様子(爆

金がかかる話は相手にせず、金のかからない話というのは、とかくバカに
される証ですね。(笑い

町内会がやらなければ、わたしはもう、ゲリラ的に鯉を放すつもり
になっているのだ!(^_^)v
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http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/
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