応募して本になった原文・・
『おじいちゃん、おばあちゃん 長生きしてネ!』の本に投稿した文章…
南牧村に出来たテレビ局を利用したネット事業の一つで全国へ募集を募り、その応募された数々の中から七十七通のメールを
『おじいちゃん おばあちゃん 長生きしてネ!』のエッセイ集にまとめて ”本 ”にした物です。それに私が投稿メールした原文です。
この本の中に出版されました。
出版された『本』の原文・・・
『 思い出の”じっちゃん かめちゃん いそちゃん”のエピソ-ド 』
ああ・・ここは同居老人の保育園? というのも今からもう25年前にもなっちゃうのか〜?
『お〜い はあっ、ぼつぼつお茶でもいれろや〜 』
前庭で畑仕事の手を止めて、家に向って話し掛けるおじいさん(実五郎こ と ”じっちゃん ”)
『そうだのう、はあ、ぼつぼついいやのう〜 』
しゃべりながら、御勝手口へ そそくさと向うおばあさん(かめ志こと ”かめちゃん ”)
『じゃがたらの、塩っぷかしでもゆでろや〜 』
もう一度 おじいさんが話し掛けるが、お勝手のおばあさんには聞こえずらい
『な〜んだや〜っ??』 もどりながら、おばあさんがもう一度 聞きなおす
『おじいさんが じゃがいもの塩ゆででも しろって 』
孫の 小針仕事をしながら 聞いていたもう一人の祖母(一の宮のおばあさんこと ”いそちゃん ”)
『御茶入れたでえ〜。みんなも三時のお茶にしろやあ〜 うんめえ〜 塩っぷかしが煮えたで 冷めねえうち食えやあ・・』
『おいよう・・・』とみんな。
こんなたわいない会話が、毎日飛び交っていた。
3人の孫を見て、自分の植えたさつまいもを食べずに、今は毎日写真で恵比須顔
*かめちゃんの教えは?
と、考えさせらるが今になって思うと 生き方そのものなのかもしれません。昔の事で、母親は引き直し(今でいう…再婚)になってから生まれて来たため、4歳で母と死別。真の愛情を知らずに育ち、周りの言うがままに結婚、8人の子をもうけ、それぞれに結婚して 十七人の孫、そして ひ孫が十三人。昨年九十二歳で天寿を全う・・この間病気をしたり、けがをしたりもしましたが、子のため孫のためとしんなりがんなりと、働きました。
この『働く』と言う事が、一の宮のおばあさんとよく話をしていた事・・傍(はた)を楽にする為にみんな働くんだって! 去年のお正月 招待されて箱根駅伝見学の旅行、帰ってから大流行してた大風邪をひき 心臓に負担が来てたのか、いやいやの入院、ベッドで言った言葉が 「あ〜あ、もう 傍を楽にする事が できなくなっちゃったなあ?」と、
家族旅行に行くのが大好きでした。何しろ 八十六歳でハワイに行けた程ですから・・パスポ-トが切れる前に、もう一度ハワイに行きたいと言っていた。
眠るように 退院七日目で永遠のハワイ旅・・。
*いそちゃんの教えは、
” 蒔かぬ 種は生えぬ ”と 私が小さい時から言い聞かされて 育った為、人の為自分の為 何事にも 自分から努力しなきゃ見返りや、ほどこしは ないと言う事。
ありがとうの気持ちを忘れずに 他人に対して、やな感じを与えない事。
”人の振り見て、我が振り直せ ! ”です。
腎臓病を煩い、人口透析を受けながら、南牧に来るのが楽しみで、わずかな年金の内から 5人の子供達に ちょっとしたおみやげと、小ずかいをくれに、南牧から、行ってる人に便乗して来ちゃうのです。
ある時、こんな事があった。3番目の娘が、第一反抗期か?おばあさん達に、きつい事を言ったりしていたら、
「今日はおばあちゃんは、おこずかい 美香には、やんないよ」と、四人には くれて帰ってしまったのです。なぜくれなかったのか?よく考えろ!。
それからは、今では思いやりのある素直な子供に 育っていると、信じています。この世に、生を受けたものは、すべてに 基があるはず!
人は誰でも親があり、先祖がいる。そして人生の先には、老いがあり一人では生きられない。
家族の輪・夫婦の和・みんなの絆を 大切に生きて行きたい!
私が、嫁いだのが 昭和五十年正月、今は5人の子宝に恵まれて忙しい日々、自営業の忙しさに猫の手も借りたいと、よく言うが、まさに皆の手を借りてすくすくと、育つ孫達に 年の功で、色々な事を残してくれたような気がします。
私の母も、御先祖様の御導きかも知れない、と始終口癖のように言ってたので、先祖が田貝姓のまま、一の宮の墓地にあるので、気になり調べたら、やはり愛知県に行った先祖のわかされ?だったのです。
” 縁はいなもの あじなもの ” とは、良く言った物です。
*じっちゃんの教えは、
一度 決心した事は 後悔せぬ様 努力しろ.!
いつも、お天道様はどこでも、平らに見てるから、自分が真っ当にやっていればいい、曲がれば、今に誰にでも天罰が下るから.! っと主人が小さい時から、言われていたらしい。
昔は、飲んべえでと、言う人もいるが、私の知っているおじいさんは、恵比寿様みたいな ニコニコしているおじいさんしか私は知らない。
ある時こんな事があった…若気のいたりか?けんかとなり、私が子供をつれて家出してしまいました。すると、
「このうちは、とみ子が いないと回っていがねえから 迎えに行くべえ〜。」と、おじいさんがハッパかけて迎えに来てくれました。
この時のおかげで? 今は…な〜んちゃって!
(こんな三世代同居の生活がとても楽しい子供にとっての本当の意味の子育て教育なのだと、改めて思います。)
思い出せば切りが無い事だけど、年子だったせいか、些細なことでよく喧嘩をして、絵でも書いていた時か?雄太が鉛筆を持ったまま、押し合いになり…その鉛筆が笑実の頬に当たり、突き刺さったようになり…刺青状態?女の子なのに…と、今思うと長女の笑実は、顔の傷の思い出が多いなと思う。まだ二人の時だったから、何かにつまずいて、鼻から落ちたから額から鼻筋にかけて傷が出来惨めな顔に…鼻が低いのにまた低くなっちゃったと、大笑い・・その顔のまんま東京Kチャンネルの『おはスタ』番組におじいさんとみんなで出演して、いい記念に!そんな風に思い立つとどこへでも車を飛ばし出かけていくのが神戸流育児教育。

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