先日、拝見した軸は「独坐大雄峰」
なにか、”どっかりと雄大に坐っている”イメージの禅語ですが、
ご存知のように、もとは1200年程前の中国の百丈和尚ととある僧との問答から来ています。
僧、百丈和尚に問う
如何なるか是れ奇特の事(きどくのじ)
丈云く、
独坐大雄峰
僧 礼拝す
丈 便ち打つ
さて、気になる点が2点?
1)”奇特の事”って、どういう意味?
山田無文禅師の本によれば、「ギリギリ有り難いこと」
ネットで調べてみると、「言行や心がけなどがすぐれていて、褒めるに値する様」
「中でも特に、他人の得にはなっても自分にはメリットのない行為を指すことが多い」
2)大雄峰って?
これは百丈和尚の住していた寺のある中国・江西省の山で、百丈山とも呼ばれ、まさに百丈和尚のその名の由来です。
中国の観光サイトに百丈寺とその背後に山々がみられました。
この僧、
「百丈山に独り坐っていることじゃ」(と訳すのは、恐れ多く軽薄なのかもしれませんが)
と答えに「よくわかりました」とばかりに礼拝したところ、
すかさず、バシッ!と杖で打たれました。
やはり、禅問答は難解ですね〜
だいたい、この僧の質問の真意はなんだったのだろうか?
仏様の行ない?
仏祖のありがたい教え?
仏のご加護?
この世でもっとも有り難いこと?
それとも、今、私がこの世で目指すべき行い?
「如何なるか是れ奇特の事」の受け取り方によって、
「独坐大雄峰」の解釈も変わってきてしまいますね。
いずれにせよ、「独坐大雄峰」の文字から来るイメージとは、
違ってまいりました。
だいたい、なんでバシッと一発打たれたんだ!?
う〜ん・・・・
とりあえず、
秋はそこまで来ています。
これも、独坐大雄峰?

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