先日の茶道の稽古では、「唐物茶入」の扱いについて勉強いたしました。
この茶入、「大名物」だの「中興名物」だの目にしますが、
茶道具として珍重され始めたのは、室町中期、東山時代にはいってからだそうで、
足利義政の頃には、その関心も異常に高まり、五百貫(約4,000万円)や千五百貫(約12,000万円)で取引されている記述ものこっているそうです。
「唐物茶入」というからには、
唐で造られて日本に持ち込まれた舶来品であろうとだけ思っていましたが、
実は、古くは千年以上前の漢の時代につくられたであろうものや、
宋朝よりもちこんだ土と釉薬により瀬戸窯で伝説の藤四郎が焼いたとされるものがあるらしいのです。
松平不昧は、今でいう中国で(漢から唐、宋の時代ころまで)造られたもの「漢作」、
日本国内で焼かれたものを「唐物」と分けているようですが、
はっきりとは区別できていないようなので、
(もちろん、科学的分析もおこなわれていないので)、
総称して「唐物」としているようです。
貴重な物なので、その扱いは”もちろん!” 特別視しております。
さて、茶道の稽古においての唐物茶入の扱いは、
通常より丁寧に、かつ、茶入の廻し方など気を遣うようにか常とは反対の所作にて行ないますが、
私が今日メモしておきたいのは、次の点です。
「唐物茶入の稽古では、”茶碗の扱い”がキーとなる!」
・茶碗を持ち出し、一度、茶道口を閉める.
・唐物茶入を清めた後、茶碗を膝前に取り込み、膝行(退)し建水を取りに行く。
・仕舞の際は、茶碗を(茶杓を置いたら)そのまますぐに仕舞いつける。
写真は、「大名物 国司茄子」の写しです。
本歌は、その形と釉の色、特に垂れが緑黄色の中に紫がかっていて、茄子に似ており、
伊勢の国司・北畠氏が所持していたことから、
その名が付けられました。
茄子は、唐物茶入の中でも最上と言い伝えられているそうです。
仕覆は五つ付いていて、写真はその中の”国司間道”の写しで、
元来は非常に古く稀なものだそうです。
また、本物には、小堀遠州箱書の”堆朱七賢之盆”が付属されていて、
そういう意味では、この写しの茶入は「盆点」の稽古の方が向いていますかね・・・
ちなみに、この国司茄子は、「漢作」の部類にはいります。

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