江戸の人形師・仲秀英の曾孫のかたに取材をして以来(小江戸ものがたり9号)
この人形師の作品を見に出かけています。町内の人形も文久2年に仲秀英に依頼して頼んだものというご縁もあり、この140年前に活躍した職人さんも私のテーマのひとつです。江戸は震災、空襲とあり、子孫のかたの手元にも資料が殆ど残っていません。2代目と3代目の区切りもはっきりとした記録がないのが現状です。ところが最近各地で仲秀英作の節句・雛人形などが見つかることもあり、各地でのネットワークがつながると川越だけではわからなかった歴史がつながることもあり得ます。
今回の祭りではそんな各地からの仲秀英つながりのかたが元町1丁目の交流会会場にいらしていました。(日比谷の江戸天下祭りに関わった有志の方が運営)青梅、越生、佐倉、神田の研究グループのかたなどに浦島の人形をみてもらう機会がありました。
浦島の人形は以前の修理のときに頭の中から、秀英の高弟の古川長延の書き付けが出てきていることもあり、作者をめぐる見解がいろいろと出てきているホットな人形。この師匠と弟子の関係にも複雑なドラマがあり、明治後期まで生きていた古川長延の資料がもっとあれば、また、子孫のかたがどこかにいないかが気になるところ。浦島の人形は2回ほど塗り直しをしているので、なるべく沢山の戦前のオリジナルの写真を探すところから始める手探りの状況です。情報をお寄せ頂ければありがたいです。
日本橋の魚市場の旦那衆が依頼し、今は石岡市にある古川長延作 弁財天。
千葉県酒々井で、山車研究家の方たちが発見した仲秀英による小野東風。
川越松江町2丁目、浦島太郎。文久2年仲秀英作。
昭和61年に京都で胡粉洗い落とし、全面塗り替え。
川越元町2丁目・山王の人形 明治4年 3代目仲秀英作


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