
明治5年に建てられた日本で最初の官営模範工場。130年前の建設当時の建物がほぼそのまま残っています。昭和62年まで片倉製糸が操業していました。日本の産業革命の原点として重要文化財に指定され、世界遺産暫定リストに記載されました。
ちなみに官営模範工場の2番目は大阪の造幣工場だそうです。

富岡製糸場開場には渋沢栄一をはじめ、初代所長、尾高惇忠、初代女工長青木てる(小川町出身)と多くの埼玉県人がかかわっていたことは意外と知られていません。川越藩からも多くの士族の娘たちが、女工さんとして行きました。

生糸や機械の検査を担当したフランス人技師の住居として建設され、後に事務所として使われました。2階には皇族や政府要人が使用した貴賓室があります。現在、1時間ごとにガイドツアーも開催されています。

繰糸場です。当時の欧州の工場でも座繰り100人規模の工場が普通だったなか、この富岡は300人規模の世界最大の製糸工場だったといいます。昭和40年代に導入された日産製の自動繰糸機が残されています。トヨタと同じく日産も製糸器械を作っていました。柱の無い広い空間、電気のない時代、採光のための大きなガラス窓が特徴です。

操業していたころの生糸の太さと繭の数を指定するボード。私たちが注文しているいろどり生糸の太さも「27中」という太さです。最後のオーナーであった片倉製糸はこの建物を大切に使っていました。建物の維持費に年間1億円かかっていた、とガイドさんがおっしゃっていました。
片倉製糸が昭和14年に引き継ぐ前は、埼玉県神川町出身で横浜の生糸王といわれた原善三郎一族の会社がオーナーでした。

フランス人女性教師の住居として建設された2号館。

製糸には多くの水を使用し、排水もでます。レンガ積みの排水溝も設置されていました。

東西に長さ104mの巨大なレンガの繭倉庫があります。当時年1回しか養蚕は行われていなかったので1年分の繭の在庫を保存しておく場所です。とにかく広い。見学できるのは15000坪の敷地の一部分です。
このあとは安中市にある日本で最後の2つの製糸工場になってしまった碓氷製糸組合を
特別見学。深谷の渋沢栄一生家と組み合わせて11月に大宮、川越からの富岡バスツアーを埼玉県観光課と共催で行います。おたのしみに〜。

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