
横浜市の花は「バラ」とのこと。やはりハイカラですね。ちなみに川越市の花は「やまぶき」です。

山下公園は関東大震災の復旧の時、震災の瓦礫を埋めてつくられた公園で昭和2年に公開されています。当時全国唯一の臨海公園。震災前までは外国人居留地で外国人に永代借地権が認められていたところ。震災後、横浜在住のイギリス人が、この借地権をもつ外国人たちを神戸や帰国先まで訪ねて説得し、公園の下地つくりをしたそうです。この横浜のまちづくりは田村明氏の「都市ヨコハマ物語」に詳しく書かれています。

川越だったら人力車ですが、横浜はこんな自転車タクシーが走っています。

山下公園を後にして・・・。
ランチは三溪園近くの横浜グループの方の茶室で頂きます。戦前からの建物で、昔は道路を渡ると海だった場所。

ヨコハマと言えば〜。シュウマイ弁当〜。
閑静な住宅街のお茶室にて、楽しいランチタイム。お薄もいただきました。
今回の目的は横浜のシルク王、原三溪が造った三溪園の見学。広大な園内の普段は非公開の重文の建物で織物工芸作家たちによる「夏したく展」が開催されているのです。
17万5千平方メートルの広大な敷地に京都や奈良から移築された古建築が点在し、国指定の重要文化財は10棟を数えます。
生糸貿易で財をなし、その富を社会にも還元しているのが原家のすごいところ。すでに明治時代に庭園の一部は一般公開されており、岡倉天心との交流から多くの日本画家を応援し、川越出身の小茂田青樹も支援を受けています。

原三溪の義父は埼玉県神川出身の原善三郎。昨年、この原家の
別荘を見学するツアーを開催しました。こちらも広大な敷地に庭園が広がり、三溪園と同じ庭師が造園したと聞きました。 原家は富岡製糸場を経営していたこともあり、シルクとは縁の深い実業家です。
これで埼玉と横浜、両方の原家ゆかりの庭園と建物をめぐることができました。

こちらは「鶴翔閣」、明治35年築で原家の住居でした。横山大観も逗留していました。近年復旧整備され、会議や茶会などの貸出施設として利用されています。

それぞれの和室で工芸家が作品を展示販売しています。

素晴らしい蒔絵の箸置き。みんな帯止めにみえてしまいます。

秩父ほぐし捺染染めの織り元、新啓織物の新井園恵さん。かつては織物で栄えた秩父も、織り元は数えるほど。そのなかでも一番若手の織り元です。

秩父の「いろどり繭」で織った帯です。銘仙の技術を使っています。

以前からお会いしたかった山梨の
染織iwasakiさんとお会いできました。「布のチカラ」を呼び起こしてくれる紬がやっぱり好き〜。 (つづく)

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