
氷川神社に参拝します。
社務所が新築されていました。

綾部家の人麻呂神社も立派になっていました。

清々しい檜の香りが漂います。
各町内の会所にお囃子で挨拶をしながら、山車を曳きまわします。
曳き手も、会所のひともみんな着物で江戸時代と同じ光景が見られます。

電線が地中化された蔵の町並みでは、各町のシンボルの山車人形を挙げて通ります。
うちの町内は浦島太郎のお人形。釣竿と玉手箱を抱えて登場します。文久2年江戸の人形師仲秀英の工房に依頼し、古川長延が作りました。
山車本体は江戸神田明神の小倉作兵衛に依頼。幕の刺繍はサンゴ、山車の彫刻にはイセエビやタコの江戸彫があり、海のモチーフで統一されています。
山車は大正4年に作られたので来年100年になります。

山車人形の神さま同志のご挨拶、「ひっかわせ」。蔵から出てきて2日間だけ山車の上から川越を見渡してくれます。徳川家康に会ったり、牛若丸に会ったり、鈿女に会ったり大忙しの浦島さん。

着物も100年ぶりに新調し、きれいになりました。文久生まれの浦島さんの贔屓の呉服屋は京都の龍村と川島織物。江戸っ子ですが、やはり織物は京都、ということでしょうか。文久2年の袴ときものを持参し、京都で復元新調しました。
150世帯の町内だけで文化財の山車、人形、衣装、幕を維持、修復をするのは不可能なので、国、県、市、の助成金で行い、町内負担は8分の一の金額となります。山車の修復だけで3400万円、下段幕の修復で1200万円。山車が動く美術館といわれる由縁です。
次代へひきつぐ責務をどの町内ももっており、それが川越祭り開催の誇りとなっていくのでしょう。
今も山車を新しく作る町があり、現在進行形で各町の歴史を作りながら進化していくお祭りでもあります。

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