
毎日正午に鳴らされるという伝統の大砲儀式、怡和午砲(noon day gunヌーン・デイ・ガン)です。現在では英国植民地時代初期の唯一の遺物であり、ジャーディン・マセソン社の従業員が毎日正午に大砲を鳴らします。
ジャーデインマセソンは東インド会社にルーツをもち、アヘン戦争を仕掛けた貿易会社。幕末に横浜にも進出し、英一番館とよばれています。吉田茂の養父が日本人支店長でした。長崎のグラバーは上海のジャーデインマセソンの社員でした。幕末に川越藩もジャーデインから軍艦を購入の契約を取り交わし、その後トラブルになっています。日本の生糸も扱い、また、川越藩(前橋藩)には上海で経営していた製糸工場の機械の売込みもしています。川越藩(前橋藩)の担当者は27歳まで川越で育った速水堅曹でした。速水は日本で初めての機械製糸工場、藩営前橋製糸所を作り、後に富岡製糸場の所長にもなりました。藤井の今回の香港訪問はジャーデインゆかりの場所めぐり。今までに上海、北京、天津、神戸のジャーデインの建物をめぐっています。
マカオのカジノ王として有名なスタンリー・ホーもジャーデインの中国人支配人の子孫です。今もジャーデインは多国籍企業、中国本土でもビジネスを展開しており、マンダリンオリエンタルホテルも経営しています。
◆ジャーデインの「noon day gun」 「お昼のドン!」について
「この伝統は、東角に主要な倉庫と事務所を置いていたジャーディン・マセソンが、航海によって到着した大物を歓迎するための礼砲を私設軍に撃たせていた、1860年代のある事件に起源を持つと考えられる。イギリス海軍は、そのような礼砲は、政府高官と軍の上級将校のためのみに保留されるべきだと考えた。贖罪として、ジャーディン・マセソンは、時報の役を果たすため、それ以来、正午に大砲を撃つことを要求された。
1941年、日本陸軍が香港を占領し、砲を除去した。再びイギリス領となった1945年、イギリス海軍が他の大砲をジャーディン・マセソンに与え、その結果ヌーンデイ・ガンの伝統を継続することができた。1947年7月1日、ヌーンデイ・ガンは再開された。現在の大砲は、第一次世界大戦のユトランド沖海戦で実戦に使用されたホッチキス3ポンド砲である。」 wikipedia より

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