5月2日、念願かない初めて青梅の大祭へ。うちの町内と同じ幕末の仲秀英の人形や名人原舟月の人形が当時の姿のまま現存することで、江戸型人形マニアの間ではとても有名な場所なのです。「青梅宿」の住吉神社の氏子5町の祭りがもとになっています。

森下町の会所前で。建物は青梅縞(木綿の織物)や醸造業で栄えた旧家。都の文化財に指定されています。山並みが後ろに映え風情があります。

明治後期ー大正に山車から屋台に改造されましたが、もとは川越と同じ、二層の山車で人形を上に掲げていました。

森下町の武内宿禰(たけのうちのすくね)の人形。嘉永元年、江戸の人形師仲秀英作。神田祭に31番で出ていたもの。名作、逸品です。会所に当時の山車幕とともに飾ってあるので細部までよく見ることができます。着物の織物、刺繍幕など総合芸術の質の高さにも圧倒されます。

こちらは赤坂日枝神社、山王祭に出ていた日本橋伊勢町、瀬戸物町などが所有していたという静御前の人形と山車の一部。幕末ー明治に日本橋伊勢町では川越唐桟の織物商正田屋・中島家が手広く商いをしていました。
「中島家は青梅の旧家・初代町長を務めた平岡家から婿養子を明治時期に迎えています。伊勢町の人形が青梅に売られていったのもかかわりがあるかもしれません」と中島家の子孫の方に伺いました。興味深いです。

神宮皇后の出陣姿、明治7年仲秀英の作。この目のきれ、顔の胡粉の艶。江戸型人形、当時のまま、うっとり(笑)します。脇を囲む赤い幕は川越の元町2丁目(山王の山車)に明治期に使われていたものだそうです。昔の雛人形と似てると思いませんか?それもそのはず、山車人形を手がける職人は普段は節句人形を作っていました。

上町のやまとたけるの人形。生き人形系統でしょうか。血管やすね毛までリアルに作られています。作者不詳で幕末ー明治初期の作と推定されています。
本町の人形。明治2年、原舟月の作。神宮皇后とその子、応神天皇を抱く武内宿禰の人形。名人原舟月の二人立ちの江戸型山車は唯一現存が確認されているもの。
5町の山車人形、いずれも製作当時のままの様子、職人それぞれ顔の胡粉の調合にこだわり、肌の質感を出していたといいます。川越ではもうなかなか見ることのできない幕末、明治初期の江戸型人形の肌艶を堪能することができました。来年また、ゆっくり拝見しに行きたい人形たちでした。

きもの愛好家の間ではこちらのお店のWEBは有名。
http://www.t-net.ne.jp/~srky/
織物で栄えた青梅の歴史を感じさせる風格のある店舗ですが敷居はそんなに高くありません。「青梅きもの散歩」も開催したいですね。

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