
14号で特集した川越出身の画家、近藤洋二。いったいだーれ?
すでに川越でも知っている人はわずかだと思います。戦前、1歳の幼児をつれて親子3人、憧れのパリに渡りますが、上海までの片道切符しか持たず。無謀なバックパッカーのような旅だったのか!?上海の内山書店が開催してくれる個展で絵を売り、その後の旅費にする目論見でした。
そんな無謀とも思える行動力に魅かれた〜ことも近藤洋二を取り上げるきっかけのひとつ。また、埋もれた人材を掘り起こすこと、誰も知らない昔の話を発掘するのが、20年前の創刊以来の藤井の役割なので。
また、個展を開催してくれた内山書店も伝説の書店なのです。この書店の事だけで本が何冊も書けるほど。
書店は文化サロンのようになっていて日本に留学していた中国知識人と日本の作家の交流を促したり、魯迅を匿ったり。内山書店は別の機会にまた紹介します。
今も神保町に創設者の弟が開店した店舗が存在しています。
近藤洋二のことは、20年程前に、小仙波町にあった古書店坂井ぎやまん堂さんに絵をみせてもらい、戦前のパリのサロン・ドートンヌに入選しているのはすごい!と教わりました。ご子息の乃耶さんの本を見つけ、その活動の全貌がわかり、「こんな人がいたのか〜」とびっくり。それ以来、いつか紹介しようと思っていましたが、もはや完全に忘れられていた画家。市立美術館に問い合わせをしても「収集リストにないので」、とつれない返事。
「浦和画家」を調べているというさいたま市の、うらわ美術館は近藤の名前は知っていましたが、逆に「何かわかったら教えて下さい」といわれる始末。どこから手をつけるか霧の中。週4日の嘱託勤務のお仕事もあり、(この3月で卒業しました)時間もなくそのまま塩漬けでした。
そんなとき、横浜ユーラシア文化館での「中国の近代建築講演会」に参加して、以前から愛読していた建築探偵団の藤森照信さんと写真家の増田彰久さんのお話しを聞き、レトロな建物が満載の画像を見て「上海」行きたい!と背中を押され。
ちょうど少し前に、入間のアミーゴで開催した「絹と木綿のものがたりフォーラム」で、トヨタグループの創始者、豊田佐吉が作った豊田上海紡績工場に詳しい方とも出会いがあり。あれこれ、いろんな糸がつながり、2017年は2回も上海にいくことに。足掛け3年以上かかってやっとカタチになりました。
14号は近藤洋二特集号でもありますが、「日本人がいた時代の上海」もテーマになっているのです。
ブログでは取材ルポを随時書いていきます。

中国に行くのは1983年に広州・桂林にツアコンで行って以来(当時は団体旅行のみ。外国人専用の通貨もありました。)

羽田から2時間半で上海へ。上海航空で往復28000円!図々しくギャレーを覗いて、クルーとちょっとおしゃべりするのが、おばちゃんの楽しみ。私も元クルーなので許してね(笑)

上海には浦東国際空港と(リニアモーターカー・マグレブで30キロの距離を8分で結ぶ)と虹橋航空があります。今回の上海航空のチケットは行きは虹橋、帰りが浦東でした。帰りにリニアを体験。 (2017年6月の情報です)

地下鉄の駅をでたら、こんな煉瓦の建物が。青い塀で囲まれてる建物は保存再生されるそう。

郵便博物館を併設した上海郵便局。建物の看板の書は上海出身の江沢民によるもの。

街中ではモデルさんの撮影や結婚式の撮影が行われています。
後ろの建物が今回泊まるホテル。アスターハウスホテル。上海で初めての洋式ホテル。
1846年創業です。幕末の遣欧使節団もここに泊まりました。渋沢栄一と三井物産の益田孝も泊まっています。現在の建物は1910年(明治43年)に新築されたもの。
上海で初めてのダンスホール。ここで朝食をいただきます。110年前の建物が今も現役で使われているなんて、すごくないですか。当時アジアで最高ランクのホテルでした。このホテルについては次回また〜。

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