川越市松江町は文化財の宝庫です。佐久間旅館、米問屋「足要」原田家、日本聖公会川越基督教会、田口家住宅。この度永らく空き家だった田口家「百足屋」が古民家カフェとして甦りました。
建物は明治26年の大火で焼失し、その後蔵造りの店蔵を明治29年に再建、内蔵が明治41年、外蔵が昭和3年に建てられました。
元川越市幹部の方たちが株式会社を設立し、建物のオーナーの田口家から借り受けてカフェと和文化体験の場所として再生されました。準備に2年かかったそうです。
9年前の「小江戸ものがたり13号」で、ご当主にお話しを聞き書きしています。
寛永16年(1639)に組紐問屋として創業、屋号の百足(むかで)の由来は、むかでは足が多いいことから客足が多いい、「おあし」がお金に結び付くため商売繁盛を意味するから、とのことです。
田口家の江戸時代のひな人形が飾られていました。田口家は男児も女児として育てるしきたりがありました。端午の節句は一切やりません。男児もお雛様で祝うのです。女児のほうが身体も強く良く育つということで、女の名前で呼ばれていたと言います。
(小江戸ものがたり13号より、田口家の方より聞き書き)

こちらは内蔵の文庫蔵、着物レンタルもここではじめるそうです。
奥のお座敷では川越抹茶やコーヒーが飲めます。個室もあり、ゆったりした空間もあります。

火事の際の用心、重厚な観音扉と土戸。明治26年の川越大火が川越商人にとって大きな教訓になったことがうかがわれます。

小江戸まるまるやの川越民芸品が販売されています。

10代目田口吉兵衛さんは、上松江町(松江町2)の役員として、浦島の山車を神田明神鳥居前にあった「だし亀」小倉作兵衛に発注しています。完成時に神田で撮影されたお祝い
の写真も田口家に大切に保存されていました。
「小江戸ものがたり13号」で田口家の方の聞き書きを紹介しています。
川越の町雑誌「小江戸ものがたり」は一番街の本の店「太陽堂」
通販は
小江戸まるまるやでどうぞ。

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