11月23日は樋口一葉の命日です。一葉の日記にもよくでてくる「いせや」質店がこの日1日だけ一般公開されます。
公開をしているのは川越織物市場の保存運動でも協力いただいた「たてもの応援団」のみなさんたち。ふだんは千駄木の安田邸の公開にかかわっている市民グループです。

約700人の見学者が訪問しました。

昭和57年まで営業をしていたそうです。

等身大の一葉さんが迎えてくれます。
16歳で相続戸主となり、17歳で父が死去。その後母と妹との暮らしを一葉が戸主として支えていくのです。
一葉が11歳まで通った池之端の青海学校は最後の川越藩主・松平周防守の家臣が校長でした。維新で職を失った旧川越藩士が教師として多く雇われていました。一葉の母が女子に教育は必要ないと退学をさせたときに、熱心な教師が一葉の自宅まできて両親に勉学を続けさせるように頼んだという記録も残っています。

その後、華族の子女たちに和歌を教える中島歌子の塾に通います。中島歌子は坂戸の旧家の出身で川越の豪商・横田五郎兵衛との関係も最近あきらかになっています。24歳で肺結核で亡くなった一葉ですが、その周辺の人たちの意外なつながりがわかり興味深いです。

蔵の前の廊下には火事の際に蔵の扉に塗る「目塗り」の用心土がかめに入られていました。
中庭には池があり、火事の際には帳簿をそこに投げ入れ焼け残る様に考えられていました。

「一葉伝」の著者・澤田章子先生と再会。以前、川越をご案内したり、本郷文学散歩ツアーを開催し、お世話になりました。来年春、澤田先生による「一葉ゆかりの地」をめぐる講座を企画中です。

一葉が使用していた井戸のある路地。向かいの家も新築されていました。

突き当たりの木造3階建ての建物はそのまま残っていてほっと安心。

伊勢屋の裏口から出るとこんな雰囲気が残っていました。明治時代の東京を垣間見ることのできた菊坂歩きでした。

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