今日は予定のスケジュールをこなして厚木の父親を見舞った。もう夕方6時を過ぎていて、部屋を暗くして本を読んでいた。
決まって弱気なつぶやきから会話が始まる。「おれももうそろそろおしまいだろうな」と。そこで、どこか具合が悪いの?と聞くと。どこも悪くないと返答。
脳内出血で倒れる前は確かに糖尿病だ、高血圧だと病人扱いされていた。しかし半身不随という障害は残ったが内蔵系はいまや健康体そのものなのである。
しかしまだまだ長生きできるとは思ってみてもやはり75歳という年齢を考えると、残された時間を親父はどう過ごすのだろうかと考えてしまう。
まだ頭ははっきりしているので、施設に入っているとはいえ、さほど人に迷惑をかけていないという点では立派だと思う。自分がその齢まで生きたとして、自立していられるかどうかわからない。ただ、まだ使える身体の機能がたくさんあるのだから、何かに興味を持って何かに役立つことをしてみたらいいのになと思う。でもどうしても障害をもったことで被害者意識が強く、自分から新しいことをやりだすことはもうしないみたいだ。
したがって大好きな読書をひっきりなしにしている。そのため私は毎週渋谷の古本屋で長編の単行本の古本を次々と買って持っていく。
古本屋の親父とももうすっかり懇意になった。虚無僧関係の本があったらとっといてくれというお願いにはまだ答えてもらっていないが。
今日も新撰組関係の本を買っていって持っていった。

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