ソン・シンド(宋神道)さん記録映画『オレは負けていない−ナヌン・チジアナッタ』制作支援コンサート
―出会い マンナム―(1)
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今日は宋神道さんの支援コンサート
亀戸に少し早目についたので、天神さんまで足をのばした。10分ほどだが、勿論、藤はまだ。蕾になってるものがある。藤がない天神さんは閑散としている。
開場時間の5分過ぎごろいくと、もう沢山の人が行列している。あれっと思ったが、どうやら、東京、毎日、朝日に記事が出たためのようだ。
http://www.asahi.com/national/update/0407/TKY200604070090.html
「従軍慰安婦」の存在を歴史から教科書から消し去ろうという恥ずべき動きがあるが、こうやって宋神道さん支援につめかける人たちをみているとなんだかちょっぴり元気がでてくる。
市民運動の方たちも沢山こられている。VAWWNETの西野さん、朴慶南さん、どうたっちの太田さん、コッタジの尾澤さん、西口のT場さん、・・。
402人の定員の会場は満員、入れなくて諦めて帰られた方たちもおられるという。
ホールのパネル展示
苦しくって読み通すのがつらい。
プログラム
オープニング: SANTA”散打”
開演挨拶
いぢょんみ
映画予告上映
口音 チャン・ジェヒヨ
韓国舞踏・サルプリ 蔵重優姫
チャン・ジョヒエ
チャンゴ競演: チャン・ジェヒヨ&ミン・ヨンチ
SANTA”散打”
宋神道さん 挨拶
閉会の挨拶
フィナーレ(全員)
「開演挨拶」
『オレは負けていない−ナヌン・チジアナッタ』、この言葉は最後の裁判報告集会でおっしゃった言葉です。「
たとえ裁判負けても、ソンシンドの心は絶対負けてないから」この言葉を発したときのソンさんの自身に満ちた姿は10年間の裁判でソンさんが獲得したものの大きさを物語っています。提訴後にともに歩んできた支える会にも敗北感はありませんでした。支える会が学んだもの、得たものを残し伝えて行かなければならないと思っています。
「二度と戦争をしてはならない。おれのようなおなごを二度とつくってはならない。日本の子供と朝鮮の子供が本当に仲良くできるように平和の運動をしなくてはならない」そう訴えてきたソンさんの思いが、今この社会でもっとも必要とされている尊いメッセージである、そして後世に伝えるべき普遍的な価値であると思っています。この映画制作はその私たちの思いを実現する取り組みです。今日この場であらたな出会いをした人たちの力を借りて新しいスタートを切りたいと考えています。 その思いで、出会い−マンナムとしました。皆さん、ソンさんが発信する、アーチストの皆さんが発信する平和のメッセージを伝えていく一人に加わってください。
宋海龍監督の挨拶
監督としてここに立っていますが、ソンシンドハルモニと支える会が10年間なさったことを1年で纏める技術者にすぎません。
この映画が失敗したら、一人に一発ずつ殴られても400発です。そんな苦痛をうけるのはいやなので、がんばっていい映画をつくります。
映画予告編
朴保の傷痍軍人の歌がバックにながれる。ソン・シンドハルモニを歌ったバ゙ージョンが使われている。
「傷痍軍人、従軍慰安婦、松代大本営
戦争はほんとうに終わったのか
従軍慰安婦、ソンシンドおばあちゃんに会ったのは九段下の靖国神社だった。 おばあちゃんは耳が遠い。兵隊にぶん殴られ過ぎて、おばあちゃんは耳が遠かった。戦争を本当に終わらしてほしいと、あんたらの娘たちに私と同じ思いはさせたくないと、おばあちゃんはいってた。 背中には刀の傷、腕にはかねこという入れ墨、本当に戦争をなくしてほしいと、おばあちゃんは俺にいってた。・・・」
韓国舞踏・サルプリ 蔵重優姫
ソン・シンド ハルモニの恨をすこしでも断つという踊り、散打のuhiさんが踊る
===演奏から===
い・ぢょんみ
「・・京成線の鉄橋の下、私が生れたふるさと、関東大震災の時に亡くなった人たちと殺された朝鮮人の骨がまだ埋もれています。 日本中だけじゃなくって世界上私たちの住んでいるこの土の下を掘り返すと、いろんな歴史が眠っていますけれども、そこをコンクリートで固めてしまうんではなくって、そっと水をかけてその場所をぜひとも祝祭の場所にしたいなって思います。・・」
京成線
「おととい4月の6日に、多摩全生園、らい病の施設に歌いに行きました。 今年で4回目になるんですけども、一年で一番つらいコンサートなんです。行く度に「私はここで何を歌ったらいいんだろう」って。ようやく4回目で皆さんによろこんでもらえました。 その多摩全生園のパク・スリョン ハルモニから、「ぜひ、あなたが歌ってください」といっておととい習ったばかりの歌です。
浜千鳥っていう唱歌があります。その歌をお母さんが子供のときにうたってくれたのをスリョンさんがずっと覚えていて、お母さんを思い出す度にこの歌を歌っていたそうです。 2番の朝鮮語の歌詞をスリョンさんに教えていただきました。今日はこの歌を初めて歌ってみます。」
浜千鳥(アカペラ、ハングゴバージョン)
青い月夜の 浜辺には
親をさがして 鳴く鳥が
波の国から 生まれ出る
ぬれた翼の 銀の色
*以下が朝鮮語で歌われた*
夜鳴く鳥の 悲しさは
親を尋ねて 海こえて
月夜の国へ 消えてゆく
銀のつばさの 浜千鳥
息をのむ。 思わず涙が溢れてしまう。
ひでり
キーン・アリラン (ミン・ヨンチのテグンといっしょに)
これをきいたのは二度目である。
ミリャン・アリラン
あれから2000年 (チェジュドの4.3慰霊祭で歌ったハングゴ・バージョン)
「今回、あれから2000年を歌ったんです。これは数年前にクリスマスの日につくった歌で、アメリカが空爆している映像をみながら作りました。クリスマスソングのつもりで作ったんですけれども、4.3の催しにあわせてこんな風に変えてみたんです。」
オギオギ ノーチョー ピョンハエ タンムロー
ポルポル ナイゲチ ピョンハエ ソンムロー(たぶん、違っていると思うのですが、ハングゴは知らないので、耳にはこう聞こえたということで、お許し願いたい)
舟を漕ぎ出せ平和の大地へ
ひらひら羽ばたこう平和の島へ
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SANTA;散打
グループとしての散打の音楽を聴いたのは初めて。とにかく衝撃をうけた。まったく新しいタイプの音楽で、テクノと民族音楽の融合としか表現のしようがない。ただ、その底には確かな民族的伝統音楽が脈打っているのを感じる。
可能性、今後の発展がものすごくありそうで、大変楽しみなグループである。演劇的でもあり、農楽的でもあり、なんともいわくいいがたい・・・。
オープニングの喇叭、ぐっと引き込まれた。 お面をつけてでてきてあの喇叭をみると、ここはヴェネツィアかと・・。
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チャン・ジェヒヨ
これは本当の韓国民族音楽の真髄。 歌も楽器も・・。
口音は「楽器の音を声で真似ること、ことばとしての意味をもたない音節を歌うこと」をいうらしい。
おもわず”西便制”の映画を思い出していた。
チャンゴ競演: チャン・ジェヒヨ &ミン・ヨンチ
すごかった、チャンゴとはこういうものか。素晴らしかったとしか表現のしようがない、終わらないでほしい、と思ってしまった。
この二人高校の同級生なのだそうだ。そしてPURIというバンドでいっしょにやっていた。息の会い方がなんともいえない・・・。
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以上の、全てのアーチストを食ってしまったのが、宋神道さん
「・・・なによりも、かによりも、皆さん寒い中ありがとうございます。 さまざまな方が皆あつまってこのソンシンドさんの、この85歳のババの顔を見たくってくるんだか、歌を聴きたくって来てるんだかわけわかんね〜」
「皆さんどうもありがとうございました。ところところの方々が皆集まってくれて、歌っこ聴きたい、ソン・シンドの話も聞きたいながらも皆さん集まって、人間はたらくのばかりが能じゃないから、たまにはこういうとこきて、歌もきいたり話をしたりてやっぱりおもしく生きて、おたがい協力したほが一番いいから、とにかく 戦争ばっかりが能じゃないし、はたらくばかりがめじゃないの、だがら皆が来てあの、歌ったり、さまざまな歌きいて、わたしもへたながらも、口でうたうだけ歌いますから・・」
宋神道さん、なんと二曲うたった。
くにの便りの味がする
王将
王将は2番3番ととどまるところをしらない・・。
しかもこのあと続けて踊った。85歳である。
ペンノレ
ミリャン・アリラン
ペンノレのときに会場から皆が壇上へ・・・。
ペンノレ、カジャンダー・・・。 ケンガリも、チャンゴも、・・・。
*お願いして、挨拶とフィナーレだけ写させていただきました。*

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