済州島四・三事件59周年記念「愛と平和への願いを込めて」
―講演とライブコンサートの集い―
4/20 日暮里サニーホール、18:30-
済州島四・三事件の事は断片的には聞いているが、ちらっと岩波新書の「韓国現代史」、文京洙、
http://green.ap.teacup.com/kysei/188.html
を読んだぐらいで、実際はほとんど知らない。
応援している李政美(い・ぢょんみ)さんが済州島出身の二世であることからこの事件のことを知ったくらいである。
何が起きたのか、歴史の真実を知ろうと足を運んだ。
始まる前一時間ほど、西からの客人と北からの友人との3人で、再開を祝して盃をあけた。
西からの客人leeさんは在日の方、ご両親は済州島からこられた。
四・三が起きたのは1948年、そのとき済州に戻っていれば彼は生まれてこなかったかもしれない。
済州島から日本へ渡ってきた朝鮮の人々をはじめてとして、彼らは、戦争が終わって「もういやだ、国へ帰ろう」と続々と帰国を始めた。済州からの人々もそうだったが、あるとき「帰ってきてはいけない、大変なことが起きている」という噂がながれてきたそうである。再び日本へ舞い戻ってきた人々もいた。それである時から、済州へ戻る人たちが激減した。そのとき済州四・三が起きていた。
日本に取って代わった米軍政は前年の三・一記念日に弾圧・虐殺事件を引き起こした。
度重なる暴政に耐えかねた人々は四・三蜂起を行った。
統一朝鮮を願う人々は5.10単独選挙に反対し、済州島だけが不成立となった。
米軍と李承晩政権は済州島にアカのレッテルを貼り、済州島島外から警察、軍、西北青年団などを動員して済州島民に対する無差別テロを繰りひろげ、三万とも七万といわれる人々が虐殺された。以降、軍事独裁政権はこのことを隠蔽していたが、金大中政権になって初めて真相究明がおこなわれ、特別法が制定された。そしてノ・ムヒョン大統領が誕生して2003年に公式謝罪が、2006年に大統領が「慰霊祭」に参加し再度謝罪が行われた。
左の本は四・三研究所の「済州四・三」許榮善著の日本語訳の本、1000冊送ってこられたそうで、会場では無料で配られた。右の本はハングゴだが写真が沢山載っている。
第一部:記念講演「済州四・三運動の到達点と課題」李圭倍(済州四・三研究所長)
李圭倍(イ・キュベ)さんは、日本に留学していた時にこの彼が四・三事件の集会に参加された。軍事独裁政権下でのこのことがどんなに大変なことだったか、今の我々には想像がつかない。
真相をもとめる人々の声が届いたのは事件後50年、軍事独裁政権を倒した「民主化」の賜物である。
そして今の大統領になって一挙に進んだ。政府が謝罪し、慰霊碑が立てられ、祈念の公園がつくられるなど、国の責任で名誉回復と謝罪がなされた。
李圭倍はいう、「でももし今の民主的な大統領が変わってしまったらどうなるかわかりません」と。
今、済州島はリゾートで有名だが、観光客が降り立つ滑走路、その下にも四・三犠牲者の骨が埋まっている。その調査をやっているという。
第二部:李政美ライブコンサート「愛と平和への願いをこめて」
サポート 矢野敏広(ギター&マンドリン)、芹澤薫樹(ベース)、港大尋(ピアノ・サックス・パーカッション)
セノヤ
京成線
浜千鳥
悲しみうたえ
木浦の涙
あなたの墓のそばに
アリラン
密陽アリラン
あれから2000年
イマジン
オギヤディア
いつにもまして純化されたステージ、無駄な部分がまったくない。
合間のmcもなんども聞いている話なのだが心にしみこんでくる。
今日のサポートは完璧、出過ぎるところも邪魔するところもなく、それでいてそれぞれの楽器を十分響かせている。
今まで聞いてきたライブのなかでの一、二を争うと思う。
#「あれから2000年」のハングゴバージョンが聞けてよかった。


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