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映画 『日大闘争の記録』@阿佐ヶ谷ロフト
年寄りばかりかと思ったら、若い人も沢山、さすがロフト。
68年は高校3年、69年は浪人をして神田の予備校に通ってた。後が無いということで浪人していたから、学園紛争は横目で見ながら御茶ノ水の予備校へ行っいた。
それでも、さすがに、9.30の大衆団交は知っているし、「叛逆のバリケード」という本も買った。
日大だけはなんとなく他の大学の闘争とは違うののではないかと思った。
なんせあの右翼の牙城から叛乱が起きたのだし、右翼学生のリンチ、砲丸をおとすというような中で一般学生がみんな立ち上がったのだから。
秋田明大という名もとどろきわたっていた。秀才の山本義隆よりはなんとなくシンパシーがもてていた。
予備校の帰りに新宿西口地下広場のフォーク集会とかによってはいたが。
しかし、けっきょくどこへも所属しない浪人は傍観者でしかなかった。
そのとき、キャンパスの中で実際に何があったのか、知りたいと思っていた。
秋田明大さん
後半では、右翼、機動隊から身を守る為ヘルメットが登場
見終わって、会場から鋭い質問がとんだ。
かいつまんでいえば
「大変な闘争をやってこられたことはわかる。敬服する。それで、当時矛盾に気がついた人たちは9.11以降の今、どうされてきたんですか?」
挑発的といえば言えるし、あの闘争で傷ついた人たちには酷かもしれないのだが、私の聞きたいことでもあった。
さらに、ちょっと厳しいかなとおもったが
「今、あの映像をみて恥ずかしくありませんか?」
言葉を補えば、「あの闘いをしたのに、怒りはどこへいったのだ。 権力の本質を知ったのに、今何もしないでいるということは、自分に恥ずかしくないか?」ということだろう。
残念ながら、橋本さんや当時闘った人からは、正面から受け止めたと思える答えは帰ってこなかった。
「挑発しているんだけど、その手にはのらない・・・」
「旗振ったりデモしたりするだけが闘いじゃない。 自分にもここまでという基準はある。」
「今大事なのは生活・・」
「あのときは若かったから」
よくわかるし、燃え尽きてしまったのかもしれないけれど、やはりそれでいいのかなと思ってしまう。
バリケード封鎖をし、毎日活動者会議で議論を闘わせ、ゲバルトも辞せず というところまで 意識を研ぎ澄ましていたリーダーたちなら、一挙に100%の生活回帰でいいのだろうか・・・。
あの歴史的な9.30団交のときは、「そんな公式的な答えはいいよ、ひとりの人間としてどう考えたか、どうしてああいう決定に賛成したのか聞いているんだ。そして今、どう考えているのか・・・」と問うていたはずだ。
「そこのところきっちり展開してみろよ・・」 当時良く言われた言葉である。
前日、放映された 小田実さんの原点が「大空襲の下にいた自分」、それを死ぬまで持ち続けたことと思わず対比して考えざるを得なかった。
** ただ、私は22:30で帰路についたので、その後会場ではさらに議論が深まったのかもしれないが、それについてはわからない。 どなたか補足いただければ幸いです。
ご参考
1968年全共闘だった時代
http://www.z930.com/index.html
** えらそうに書いているが、当時何もしなかった私は何を言う資格も無いし、なにを書いても自分にもどってくるのはわかっているのだが・・**
+++++宣伝文+++++
歴史記念碑的記録映像の金字塔! 『日大闘争の記録』
1968年、万余の学生が闘い抜いた日大闘争。
それを日大芸術学部の一人の学生が記録し続け、驚異的な持続力によって編集された幻の巨編!
これまでその存在が噂されながら、上映されることが極めて少なかった映像がここに公開される。
全共闘とはこれである。
時代を、精神を、そして人間を、その「いま」を語るなら、これを見ずして語ることはできない!と思うけど、どうでしょう。
上映後、当時を知らない人の質問に答えます。
当時の関係者の皆様、入場料1000円プラスドリンク代は「場所代」と思ってください。
自前で払うなら、あとはなんぼ飲んでもよし。
まあ、酔っ払わないように。
日大闘争の記録をみんなで観る会
突然にわか責任者 橋本記
【出演】
橋本克彦(ノンフィクション作家)
塚本公雄(撮影者・カメラマン)

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