花岡への旅−その5、中国人殉難者慰霊式 6/30
大館市主催の慰霊式は殉難碑の立つ
十瀬野公園で毎年10:20から開かれる。
中国殉難烈士慰霊之碑
碑の裏面には
『
昭和19年7月から同21年3月までの間に当町において死亡した左の中国人の霊を供養するために
昭和38年11月24日建立
花矢町長 山本 常松
鹿島建設株式会社
同和鉱業株式会社秋田鉱業所花岡鉱山部 』
とある。
小畑大館市長の名簿奉納、式辞
クリックすると大きくなるので是非読んでいただきたい。かなりきちっと反省した文となっている。
県知事は議会開催中のためか代理を送ってきたが、民主党の松浦大悟参議院議員が参列した。
若い人に歴史の真実を継承してほしいものである。
遺族の追悼文、日本軍国主義、日本政府、最高裁に対する怒りはおさまらない。
遺族達

慰霊式では
ちょんみさんは鎮魂の意をこめて
セノヤを歌う。

一般の人たちが歌をバックに続々と献花する。

遺族達は市のセレモニーが終わった後で、線香を焚き、紙幣を模した紙を焼き、亡くなった人があの世で困らないようにと弔う。
ここで初めて思いっきり号泣する。

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マスコミ報道
毎日
花岡事件:「事件を語り継ごう」 大館で中国人殉難者慰霊式 /秋田
http://mainichi.jp/area/akita/news/20080701ddlk05040028000c.html
47News
父の名刻む慰霊碑に号泣 花岡事件の中国人遺族
http://www.47news.jp/CN/200806/CN2008063001000546.html
【今日は何の日】1945年:「花岡事件」が起こる
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0630&f=column_0630_002.shtml
北鹿新聞 7/1
後世に伝え平和誓う、花岡事件から63年、遺族、市民らが献花
http://www.hokuroku.co.jp/thismonth/20080701.html#Anchor250848
戦時中の昭和20年、大館市花岡に強制連行された中国人労働者が、過酷な労働に耐えかねて一斉ほう起し、多数の死傷者を出した「花岡事件」から63年を迎えた30日、十瀬野公園墓地で市主催の殉難者慰霊式が行われた。遺族や市民ら約150人が参列。犠牲者に花を手向け、恒久平和を願った。
中国人殉難烈士慰霊の碑前に祭壇を設け、小畑市長が殉難者名簿を奉納したあと式辞。「人間が同じ人間の自由を束縛し、尊厳をないがしろにすることなど許されない」とした上で、「二度と過ちを繰り返してはならない、風化させず後世に伝えるという責務を心に刻む。戦争の全面禁止と平和希求を強くアピールする思いが、式に込められている」と述べた。
中国大使館の王天霊・一等書記官は「誠意と勇気をもって過去に立ち向かい、後世に歴史を伝えていく」とあいさつした。
遺族代表の楊静さん(50)が追悼文を読み上げ、「日本政府に戦争責任を追及すべく、謝罪と賠償を求める50万人の署名を提出したが、いまだ応答がなく抗議の意を示す。過去を忘れれば将来の戒めとならない。両国友好、世界平和のため努力する」と訴えた。
参列者らが献花した後、慰霊碑に刻まれた家族の名前に手を当て、涙を流す場面もあった。遺族の賈傳善さん(68)は「父のためにこうした活動を続けてくれて父も満足しているだろう」と話した。
【メモ】昭和19年から20年にかけ、大館市花岡の旧鹿島組花岡出張所に986人の中国人が強制連行され、河川改修工事などに従事。飢えや暴行に耐えかねた中国人たちは6月30日夜、一斉ほう起したが鎮圧された。強制労働や拷問などで亡くなったのは400人を超えた。
2008/7/1(火) 遺族ら参列、犠牲者の冥福祈る 花岡事件慰霊式(秋田魁新報社)
http://www.sakigake.jp/p/akita/national.jsp?kc=20080630l
花岡事件の中国人殉難者慰霊式が30日、大館市花岡町の十瀬野公園墓地で行われた。強制連行された被害者の遺族をはじめ、市民、中国大使館員ら約150人が参列し、中国殉難烈士慰霊之碑の前で犠牲者の冥福を祈った。同市の主催。
小畑元市長が、過酷な労働や事件後の拷問で亡くなった中国人の名簿を奉納した後、参列者全員で黙とうをささげた。小畑市長は「人間が同じ人間の自由を束縛し、尊厳をないがしろにすることは許されないこと。風化させず後世に伝えなければならないという強い責務が、あらためて心に刻まれる」と式辞を述べた。
式典後、遺族が中国の風習に従って紙を燃やしながら、犠牲者を追悼。地面にひざまずいて泣き叫んだり、慰霊碑に刻まれた亡くなった父や祖父の名前をなぞりながら号泣していた。
花岡事件は1945年6月30日、花岡町(現大館市)で発生。強制連行された中国人が過酷な労働や虐待に耐えかねて一斉蜂起、鎮圧時の拷問などによって419人が死亡した。
◆花岡事件の中国人殉難者慰霊式(NHK秋田放送局)
終戦の直前、中国から強制連行された労働者が過酷な仕事に耐えかねて暴動を起こした「花岡事件」から63年目となる30日、事件のあった大館市で犠牲者の慰霊式が行われました。
花岡事件は終戦直前の昭和20年6月30日、大館市の花岡鉱山で、日本に強制連行された中国人の労働者が過酷な仕事や待遇に抗議して一斉にほう起したもので、400人以上が犠牲になりました。
事件から63年目の30日、大館市花岡町の十瀬野公園墓地で行われた慰霊式には、事件の遺族や市の関係者などおよそ150人が参列しました。
はじめに全員で黙とうをささげた後、大館市の小畑元市長が「2度と、このような過ちを繰り返さないためにも事件を風化させてはなりません」と述べました。
続いて、事件で祖父を亡くした楊静さん(50歳)が「歴史を心に刻み、中国と日本の友好と世界の平和のために努力していきます」と慰霊の言葉を述べました。
参列者たちは一人ひとり慰霊碑に花をたむけ、事件で亡くなった人たちのめい福を祈っていました。
中国・河北省から初めて来日した楊さんは、「非常に悲しいですが、多くの人が毎年、慰霊してくれていることに感動しました」と涙ながらに話していました。

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