**岩波ホールは7/31(金)までです。 是非!**
嗚呼満蒙開拓団
http://www.iwanami-hall.com/
ドキュメンタリーの第一人者、
羽田澄子さんの渾身の作
大連で終戦を迎えた彼女は、中国各地からの引揚者の事がずっと気にかかっていた。
いずれは撮ろうと思っていた宿題だったそうだか、撮り終わった今、大変なものを撮ってしまった、と述懐されている。
「むしろ肩の荷がうんと重くなったような感じです。」
とシネフロントのインタビューには答えている。
「作品をつくる苦労よりも、聞いた話の状況の凄まじさの圧迫感の方がずっと強くて。映画をつくりおわった後、心筋梗塞になった・・・」
これまでの羽田さんの映画ではメッセージを正面から出すことはなかった。
ところがこの映画ではストレートにそれを発している。
「あなたは満蒙開拓団の悲劇を知っていますか
なぜ、この悲劇は起きたのか」
「今回の映画では、問題をはっきり言わなくちゃダメだと思ったんです。」と語っている。
シネフロント368号
http://cine-front.co.jp/
朝日記事
http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY200906020115.html
関東軍が中国を侵略して傀儡国 満州国をつくり、維持の為に日本から開拓民を送り込む。戦略的にソ連国境の最前線に配置した。
日本の農村の疲弊につけこんでの棄民、100万家移住計画が国主導で行なわれた。土地持ちになれて、大規模農業ができると宣伝し、県は村に割合当てたという。
なんと1945年5月になってもまだ開拓民を送り込んでいた。
開拓民に割り当てた土地は実は未開墾地ではなく、中国人の耕作地を軍が強制的に買い上げて取り上げたものだった。買い上げはすべて強制で18円の土地を1円で、という無茶苦茶なもの。それを開拓民は知らされていない。当然中国の農民は恨んでいる。
戦争末期には関東軍主力が沖縄へ送られているので、男の開拓民から徴兵して対ソ戦線に配置した。残るのは年寄り、女、子供。結局、ソ連参戦後、身を守る術がない。
土地を取り上げられていた中国人は、暴民(この呼び方は適当ではないが)化して開拓民を襲う。 守ると思った関東軍は、一番最初に逃亡。避難列車にも車両にも、避難民を乗せない。窓に手をかけて追いすがるのを振り落として逃げていった。
開拓民達は途中で襲撃を受けてたり、包囲されてやむなく自決をしたり、子供を捨てたり、わが手で殺したりしながらも、自力で関東軍兵站部のあった方正(ほうまさ)地区へたどり着く。そこなら安心かと思って。しかし、そこで冬を越せず、餓死、病死、凍死。
その数5000人。
残留孤児支援、裁判を牽引してきた菅原さんの言葉。
自らも志願して満州に渡っていた。
「満蒙開拓団22万、満蒙開拓義勇軍10万、うち軍隊にとられたものが15万。のこりの17万人がまったく棄てられた。そして8万数千が死亡、うち方正で死んだのが5000人。 そういうことなんです。」
映画は、羽田さん自らがインタビュウーした膨大なフィルムからのほんの一部の紹介にとどまっているが、登場する人たちは皆、言葉では言い表せないほどの凄惨な経験をしており、避難行のなかで係累を何人も亡くしている。それがもう、穏やかな口調で振り返りながら話す内容が、信じられないようなもの。
まさにこの世の地獄。
「お国のため」と満州へつれてきた開拓民を、国は一顧だにせず棄てたのだ。
避難行で、守るってくれると思った軍は、足手まといになる年寄りを棄てていけと何度もいう。泣く子供をわが手で殺す。妹を中国人にあずけてしまう。母親が子供を川に投げ込む。・・・、
金丸キヌ子さん
「いまだに沖縄の話を聞くと似てるし、薬害の話を聞くと、結局は誰も責任を取らない、国も責任をとってくれない、守ってくれないというのは同じことだなと思います。」
方正へやっとたどり着いた避難民はそこで零下30度の冬を越せずにバタバタしんでいく。
凍りついた死体を積み上げていった。 雪が解けてくるともう放置はできない。 方正県の政府が3ヶ所に集めて焼いた。
その骨が、中国人と結婚していた残留孤児の松田ちゑさんの畑から出た。
彼女はそれを集めて、県にお墓を立ててくれるように交渉した。その話が周恩来のところまで持ち上がり、「日本の軍国主義と開拓民は違う。彼らも被害者だ。墓を立てるのはいいことだ」ということで、方正地区日本人公墓が作られた。いまは中日友好園林の中にある。
彼女はそれが元で、文革の時代には死刑の判決をうけ3年間投獄された。その話が周恩来の耳にとどき、九死に一生を得た。文革中の墓は県が紅衛兵の破壊から守ったという。
ひどい目に会った中国が立てたお墓に日本政府は公式には何もしていない。お参りもしないし、維持の醵金もしていない。
ちゑさんは言う。
「今になっても骨は残っているけど、日本の政府が何も構わないというのが、私たちは悔しいの、満州に行くときはね、国のためにみんなでいったの、それをね、あんな遺骨を見ると、本当に残念で。」
満蒙の地図
トークショーでの羽田さんの言葉から
「あたしたちが、日本がそういうことをやったということを次の世代に伝えなければ、
今の若い人たちは別に軍国主義でそだっているわけじゃないんですけれども、
どういうかたちで日本がアジアに対して何をしたか、中国に対して何をしたかっていうことをほとんど知らずに呑気な顔をして育っている若い人たちが多くなっているわけですね。
これはやはり中国のひと、韓国のひとの意識と日本人の意識に非常に大きなギャップがあって、色んなところで本当にアジアで仲良くしましょうといってもうまくいかない事とがあちこちで起こる一つの原因になっていると思います。
日本がなにをしたかということを日本人はちゃんと知って欲しいと思います。」
方正公墓の意味するもの(クリックすると読めます)
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皆さん、是非映画とともにトークショーに参加してください。
映画には納め切れなかった生の声が聞けます
トークショーは7月毎週水曜 16:30から、映画の半券で無料。
入場は16:30頃。その日の14:30の回を見られた方はそのままの席で。その他の方は先着順。

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