故里の獅子舞について、同級生のA君が分かり易くまとめて、白鷹会に持って来てくれました。ちょっと長いですが、そのまま転載いたします。(ブログで読み易くするため、段落を多くしました。)
なお、文中「置賜」「西置賜」とあるのは、山形南部の地域名(旧米沢藩)、「十王」は白鷹町の一地域名。A君は十王の人。ちなみにLeafmanは、白鷹町の「荒砥」(十王の隣り)の出身。
白鷹町の獅子舞について
白鷹町は東北一の獅子舞密集地
日本には神楽系・田楽系・念仏系・舞楽や延年系・地芝居などたくさんの芸能が伝えられているが、その中では獅子舞が一番多いといわれ、日本中に分布している。その起源をさかのぼればシルクロードのはるか西方まで行くことになるが、それが仏教文化の伝来とともに大陸から日本に伝えられた外来系の芸能ということになる。記録では推古朝20年(612年)百済の帰化人が「伎楽」という芸能を伝えたとあり、その中に獅子舞もあったという。
日本で一番古い獅子頭は、東大寺の正倉院にある9体の獅子頭で、これらは天平勝宝4年(752年)の大仏開眼供養時に使われたものと考えられている。また、法隆寺にも古い獅子頭が残されている。
中央の大きな寺院で始まった獅子舞であるが、時代とともに地方の隅々にまで広まり、それぞれの土地の信仰や他の芸能と影響しあって、多彩な芸能となっている。
日本で一番獅子舞の多いところは北陸地方で、富山県だけで1200組も獅子舞があると聞いている。山形県の南部も東北では一番の獅子舞の密集地であり、百数十組もの獅子舞が見られる。中でも多いのが長井市で40組を超えるが、白鷹町も35組を超えるから、人口比率からすれば、白鷹町は東北で一番の獅子舞密集地ということになる。
白鷹町の獅子舞は「むかで獅子」
獅子は4つ足の霊獣であるから、前足役と後足役の二人で一頭になるのが普通で、この形態を「二人立ち系の獅子舞」と呼びその分布地域は広い。
置賜地方の獅子舞はたくさんの人で獅子の体を作るところに特徴があり、こうした形態の獅子を「むかで獅子」という。これがたくさんまとまって見られるのは日本でも北陸地方・関東の一部と置賜地方だけである。
置賜地方の獅子をざっと見渡すと、南陽市は笛太鼓もない「暴れ獅子」型や「梵天追い」型、長井市飯豊町、川西町の獅子舞は、多少の違いはあっても「蛇頭系」一色である。
白鷹町の獅子舞は「蛇頭系」もあれば「七五三系」もあり、白鷹山麓や最上川下などにはそれらとはまた振り付けの違った土地風の獅子舞がある。この多様さは財産である。
七五三獅子舞は邪悪を祓う呪術舞
七五三という数字は聖なる数であり、神秘的な力を持つ数とされている。七五三獅子舞という名は、舞い手の足の運び方から来ていて、舞い手は前半をドンドンデンの笛太鼓に合わせて獅子頭をゆったりと上下に振りながら、7歩前進・5歩斜め後方に下がり・3歩で元に戻るを繰り返す。後半はダダンコの激しい笛太鼓のリズムに合わせ、獅子頭を激しく上下させながら激しく地面を踏む舞となっている。
こうした激しい足踏みは修験系の芸能に多く見られるもので、へんばい(*)またはダダとも呼ばれている。前半の舞は、七五三という聖なる数で三角形に踏むことによって邪悪を祓おうという呪術舞、後半は激しい足踏みによって邪悪を踏み静めようという呪術舞で、獅子の持つとされる邪悪を祓う霊力に、二つの呪術舞をうまく組み合わせた舞が七五三獅子舞といえるであろう。
なお、この十王の七五三獅子舞はインターネット環境があれば、何時でもどこからでもみることができます。
http://jp.youtube.com/watch?v=rpXRhPOqn4Y
または「You Tube」の動画サイトを開いたら「白鷹町」で検索
(十王皇太神社獅子連 AK)
(*)「へん」は反、「ばい」は門構えに下の字(Leafman註)

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